第14話 闇は闇を誘うもの

 あぁ、甘い匂いだ。

 ドキドキする。

 けれどこのまま時雨さんに抱きついているのはよくない。非常によくない。


「ごめん!」


 こんな人混みの中で抱きつくのは僕も恥ずかしい。体からダバダバと冷や汗が出る。


「だ、大丈夫デスヨ————」


 だめだ。完全に大丈夫じゃない。

 あたふたしているとどんどん人混みは前に進んでいく。バシバシと急停止した僕に数人の肩が当たる。

 祭りの場所まで早く進まないと僕たちも邪魔だ。と、前を見る。


「あー………」


 そこに倉井戸たちの姿はなかった。


「置いていかれた————」


 ◆


 固まってしまった時雨さんの両肩を持ち、強引に道を外れて小さな公園に入る。

 倉井戸の様子が心配なのに。一応連絡はしておくか。

 都合よく近くには自販機があり、二人分のスポーツドリンクを買うと僕たちはベンチに座った。


「はい。これ」


「あ、ありがとうございます。お、お金お金」


「あ、いいよいいよ。お金は。自分のお金だから」


「アルバイトとか、されているんですか?」


「ま、まぁ」


 アルバイト。といえばアルバイト………。


 実は、以前のアドルフォの事件の後、「あの鬱陶しいオッサンを討伐してくれた報酬だ☆」と香夜から手渡しで数万円が渡された。学生からしたらそれはもう大金で。十万円には行かないものの、もう少しで十万円。そんな金額だった。

 本当はもっと渡すべきだと思うけど、学生だからね。そう笑って渡された。命懸けだったわけだし、相応かもしれないが、やはり渡された時は萎縮した。


「時雨さん」


「は、はい」


「か、体の方は大丈夫————?」


「はい、あれからは正直調子がいいです」


「そう、なんだ————」


 その言葉を聞いて安堵した。

 それはもう、空っぽの心が満たされるくらいには。


 青咲巴の行動に、意味はあった。


 その事実を彼女の口から言ってもらえたことが嬉しかった。


「と、巴くんは、大丈夫、なんですか?」


「あ、ああ。もう、大丈夫だよ」


 怖いんだろうか。うん、そりゃあそうだろう。

 クラスメイト青咲巴が奇行に走り、クラスメイト倉井戸蒼が大怪我を負った。その一部始終どころか全てを見た彼女が、今こうやって普通に振る舞ってくれているのが奇跡なんじゃないか。

 だから僕は思わず訊いてしまった。


「あの夜————僕は、おかしくなった。今はもう、元気だよ。だけど、時雨さんは怖くないの?————その、僕のことが」


「もちろん怖かったです————だけど、今はそんなことありません。あの夜私は、黄昏さんの力を借りて、青咲くんの心の中に勝手に入ったんです。その時に青咲くんの事を少し知りました。そっか、こんなこと思って、一人で考え込んでいたんだなって————多分、青咲くんも気づいていない深層心理の話なのかもしれませんが————」


 時雨さんが僕の心の中に?

 黄昏、いやもう一人の巴あいつからの聞いた話だったか。そんな事を言っていたな。


「あ、ああ!ごめんなさい。少し話過ぎました」


「いや。いいよ。時雨さんが助けてくれたおかげで僕はこの通り元に戻れた」


「そうですか————あ!そ、それでですね、青咲くんにお話しが————」


『主人様』

 

 黄昏の声と共にグンと全身に緊張が走る。


(ああ、何かいるな。素人の僕でもよく分かる)


 突然の出来事に全身の感覚が鋭敏になる。


「時雨さん、立てる?」


「は、はい」


 彼女の肩を抱き寄せると周囲に簡易的な結界を張る。

 

「あ、青咲く………」


「静かに。何かいる」


 魔術師か?

 まずどこにいる?気配はするが姿は確認できない。


『低俗な怪異か?』


(怪異?お前に引き寄せられたんじゃないだろうな)


『否定できないのは事実』

 

 迫って来ている。

 守れるか?

 敵が分からない状況で僕は彼女を守れるか?

 まず目的が分からない。クソ。どうすれば————。


『来るぞ!八時の方向!後ろだ』


「はいよ!」


 赤い刀身を異空間から抜刀する。

 バリバリと火花のように魔力の粒子を上げながら、妖刀は世界に顕現する。

 急接近していた敵はそれに気が付いたのか間合いを取る。

 が、そのおかげでようやく全体像が見えた。

 点滅する街灯の下にその姿が。


「お、おい————あれは」


 ズクズクと胸が痛い。

 汚れた服、生気のない肌、瞳。

 僕が敵だと認識したのは紛れもない、人間だった。


『惑わされるな。あれはもう人間じゃない』


「じゃ、じゃあなんだってんだ!」


『怨霊』


 迷いなく黄昏は言う。

 襲ってきたモノが人間ではないことは、吸血鬼の眼でも確認できた。だけど、僕の人間性はそれを未だ認めることができなかった。


「クッ!」


『魔は魔を呼び込む————どうやら刺激したらしい。複数体に囲まれているぞ』


 逃げるのが得策か?

 多数が相手となればこちらが不利なのは間違いない。

 だがどこに逃げる?倉井戸も香夜もいない。場所を変えたところでなんとかなるのか?


『お前さんを狙ってない————?標的は雪か!』


「どうしてだ?狙われる理由はないだろうが」


『バランスが崩れたんだ————儂が保っていたバランスが————』


 僕の、せいなのか————?

 ズキン。体が痛い。

 一族が怪異を殺して回っていたという事実。怪異と関係しているというよくない縁。僕が黄昏を奪ってしまったから————。


『時雨家の人間の魔力は他の人間のものとは違う。雪もその対象なんだ。いや、雪だけがその対象なんだ。怪異殺しの儂と契約していたという事象が彼女の魔力を変質させている』


「だから、襲うと————」


『雪の命を吸えば他の人間にも害を与えるくらいには力を得られるようになるからな』


 クソ。

 全身が熱い。苛立ちか、ただ恐怖しているのか。

 負傷もしていないのに体から蒸気が噴出する。


「あ、青咲————くん?」


「く————ァ」


 落ち着け、落ち着け。

 守らないといけないんだ。


「青咲くん!」


 守らないと————。

 こいつは俺が守らないと!


「力を、貸せ。黄昏————!」

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