第10話 Q血鬼
人間、追い込まれたら簡単に死ぬ。甘い蜜のように『死』が暗闇から手を招き、人はそれを希望と見間違える。街灯に群がる羽虫のように、何かを求めて最後の希望にすがる。
僕は一度、それに呑み込まれた。永い間、暗闇の中でじっとしていた。
光を求める事もなく、足掻くこともなく、無気力で。それでもやっと動いた足で僕は命を絶とうとした。
それが七月の屋上での出来事。
倉井戸蒼。あいつがどんな形であれ僕の事を止めていなければ、きっと僕は最期の最期まで自分がくだらない世界に囚われている事に気がつかなかったんだろう。
だから、僕は――――。
「ぁあ―—―—―」
駆け寄った時にはもう、香夜は注射針を刺していた。
「っ!」
倉井戸は力なく香夜の腕に倒れこむ。
「香夜、アンタ」
勢いのままに、僕は香夜の肩を掴んでいた。
彼は微動だにしない。僕を見て、何か察したように笑う。
「巴くん、何か勘違いしてるよ。僕が蒼ちゃんに打ったのは鎮静剤。そりゃあ多少は現代の医療技術ではないものも交じってるけどさ。もしかして、吸血鬼化の薬品だと思った?」
「え、ああ、そう、でしたか」
全身から力がどっと抜ける。
確かに、倉井戸からもそんな気配は発生しなかった。
「はは。さすがに君に使ったような薬品はもう二度と作れないだろうさ。だから安心するといい」
「二度と、作れない?」
「あ、蒼ちゃん布団に戻すから、手伝って」
その質問に香夜は答えなかった。
「あ、はい」
手伝って。と言われたものの、僕の手際が悪かったのか、香夜はほとんど一人で彼女を布団に寝かせた。
「巴くん」
「はい」
「少し話をしようか」
「は、はい」
どかっとその場に座り、にこっと笑う。
僕もそれに合わせて床に座る。
「蒼ちゃんには鎮静剤みたいなものを打った。もう大丈夫だと思うけど、しばらく見張ってやってくれ」
「分かりました」
「黄昏を始末したんだってね。いやぁ、びっくり。君にそんな根性と実力があったとはね。数百年前に消えたとされる人造の怪異—――—。現物を見れないのは残念な話だ。破壊したんでしょ?」
「え、ええ。破壊しました・・・・・それより、人造の怪異っていうのは?」
「ああ、日本には有名な怪異殺しがいて、その戦士が持っていた刀が黄昏だっていうのは知ってるかい?」
「はい、それは聞きました」
誕生秘話ってやつだ。そう言いながら懐から出した煙草の箱をじっと見つめる。
「その戦士が暮らしていた街、というか集落かな?それがとある怪物にやられたのが全ての事の発端だったらしい」
「それはどういう?」
「怪異に皆殺しにされたんだよ。集落の人間を」
「え」
「昔はそういうこともあったんだよ。それでね、その戦士様は驚くことにその地域の怨霊になった集落の人間の魂を一つの刀に収束したんだ。その全てを一緒に背負ってね」
「そ、そんな事が――――」
「その戦士は復讐のために各地の怪異を殺しに回って、最後にやっと瀬戸内海のとある小島に怪異を追い詰めた。そんで相打ちになっておしまい。ってのが今魔術師達の間に広がってる有名な話だ。刀だけ残っていたなんて驚きだ。だから処分してしまったというのは少し残念だね」
「でも、あれは危険な存在なんでしょ?」
倉井戸は古い怪異ほどその危険性は増すと言った。その存在を知っている者が少なければ尚の事。
「そうだね。確かに危険だ。だけど現代においては大した力はないんじゃないかな?進歩しちゃったからね。人間。怪異殺しなんてそこらじゅうにあるさ」
「じゃあ、黄昏は―――――?」
「高く見積もって中級怪異ってとこかな」
「中級?」
「怪異とか、
「もっと強い武器だと思っていたんですけど」
「うん。大したことない!」
けけけと笑う香夜に吸われるように外に出ようとする黄昏を必死に抑える。実力なんてない。そう言われていたらそりゃあ腹が立つだろう。こいつの場合数百年間屋敷で何もせずに眠っていたわけだし。
「で、でも、僕の体には異変がありましたよ?」
「まぁ多少はあるよ。怪異殺しだもんね。だけど僕の用意した吸血鬼能力にその力は通用しないよ。異常があったんなら巴くんの精神面の影響じゃないかな。回復能力には精神面の回復もあるけど、肉体再生に比べれば弱いからね」
言われてみればそうかもしれない。今回だって『もう一人の自分』が暴走のトリガーになってる。そんな気が素人ながらに分かっていた。
だからこそ、僕は吸血鬼能力を疑ってしまった。
これは本当に、吸血鬼なのか。
十字架でも死なない吸血鬼なのか。
太陽に焼かれない吸血鬼なのか。
思考するよりも先に口が動いていた。
「その、その吸血鬼能力って、本当に吸血鬼能力なんですか?」
その質問に、一瞬部屋が凍りつく。
香夜はコンマ数秒黙ってからゆっくりと口を開いた。
「————巴くん。君はアドルフォや黄昏の事件に介入したとはいえ吸血鬼能力を抜きさえすれば一般人だ。そんな君がこれ以上関わったらどうなるか分かるか?」
否。僕は一般人ではない。できれば死ぬまで気づかない方がよかったであろう事実。黄昏の力で解放された過去の記憶。
僕は、最初から魔術師だった。
知識はなくとも、魔術師だった。そんな僕が知っていた魔術師の黒い面。それを僕は口にした。
「本当は、事が終わったら俺も殺すんでしょう?」
いつの間にか眉間にしわが出来る。いつの間にか自分は臨戦態勢だ。
彼の殺気。そんなものを僕は感じられずにはいられなかった。
「はは。そんなことをしたら蒼ちゃんが怒るよ。多分それだけじゃ済まない」
普段通り香夜は笑う。その言葉に嘘がないのは何故か分かった。
体の緊張も一気にほぐれる。
「—————そうですよね。ははは」
「安心しなよ。きっとそうはならないさ」
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