第9話 悪魔の微笑

 吸血鬼の体とはいえ体は外も中もボロボロだ。

 黄昏との戦闘に精神世界でのあの男との戦闘—――。

 体に残る若干の違和感に、気持ち悪さを抱えながら、自宅の扉を開く。

 記憶の混濁も酷いな。頭がパッとしない。

 一応は片付いたとはいえ時雨さんをあのままにして帰宅してよかったものか。

 でも、やっぱり倉井戸の事も気になる。東条さんには「本人次第」なんて言われたし。

 

「た——だいま」


 部屋は真っ暗だ。でも玄関には倉井戸の靴がある。

 リビングへ向かうと、テーブルに小さな紙切れが。


『蒼ちゃんは自分の部屋で眠ってる。外傷はもうほとんどないけど、まだ目が覚めないから看病してあげてね。すぐ香夜が来ると思うから、そこは覚悟しておいてね♡・東条』


 やっぱり、香夜来るよな………。

 メモ書きをゴミ箱に捨てて彼女の部屋へと向かう。


「香夜というのは誰なんだ?」


「うわ、びっくりしたぁ」


 いつの間にか背後に黄昏がいた。

 先ほどと同じように和装に身を包んだ若い男の姿。イケメン、というよりは「美しい」という言葉の方がぴったりかもしれない。がっしりした体形にどこか儚く、落ち着いた気配。人里離れた山奥で静かに修行でもしていそうだ。


「香夜ってのは俺と倉井戸の魔術の先生だよ。ここらで怪異に関わる仕事をしてるらしいよ。僕はそこまであの人に詳しくないんだけどね」


「倉井戸—―というお嬢さんの方が詳しいのか」


「た、多分—――?こういうことに関わるのは多分僕の方が日が浅いよ」


 そういえばまだアイツの事は全然知らないな。

 家族の事も、魔術師になった経緯も、あいつの学校での様子も———。

 まずこの家で一人暮らしをしている。という点も普通であれば不思議に感じてしまう。


「主人様相当何も知らないのな」


「否定はしないよ————あぁそうだ、倉井戸が目覚めたらお前は隠れておいてくれよ」


「どうして?」


「お前は死んだという扱いにしたいんだよ。僕しか知らない切り札ってことさ」


「信用しておらんのか、お仲間を———」


「正直な。今日過去の記憶に触れてその思いは強くなった」


 そう、忌々しい過去の記憶。

 黄昏に触れて気づいた、もう一人の—―—――。


「過去の記憶――――昔何があってこうなっているのか知らんが、いずれ話してもらうぞ」


「—――—そう、だな」


 部屋のドアノブを握ると、黄昏が何かに気が付く。

 

「お嬢さんもう目覚めてるな」

 

 眉間にしわを寄せ、耳元で静かに囁く。


「え?」


「気配がする。早めに儂は消えるとする」


 そう言うと一瞬にして黄昏は消える。

 それを確認してから、僕は扉を開けた。


「倉井戸—――大丈夫、か———?」


 ベッドの上で上体だけを起こしている彼女が見えた。 

 胸部には服の上からも包帯のようなものが巻かれている。ああ、魔術で作られた道具の一つか。そういう気配があれからはする。

 それより気になったのは、彼女の表情。

 両手で顔を抑え、隙間から瞳は真っ黒に淀んでいる。


 ゾッとした。 

 

 僕の、せいなのか———。体が萎縮する。だけどここで逃げるわけにはいかない。いかないんだ。


「く、倉井戸!!」


 ぼうっとした顔はそのまま変わらない。


「わ、私は―——―」


 視線はこちらに向くが、様子は一向に変わらない。

 刹那。頭に一つの単語がよぎる。


 精神汚染。


『悪くない推理だ』

 

 黄昏も異変には気づいた。

 背筋が凍るような思いなんだけど、黄昏は随分と冷静。

 可能性があるとしたら――――。

 

『蒼い光』


(黄昏と時雨さんが見たっていう?)


『そうさ。原因は分からんがな。お前さんの悪性を受け取ってしまったか、記憶に触れたか』


 なんとかしないと。

 東条さんは何も知らなかったのか?

 蒼い光の事は――。


「おい!大丈夫」


 駆け寄って咄嗟に肩に触れる。


「う、うわぁぁぁぁぁぁぁ!」


「お、おいっ!」


 肩に触れた瞬間、それを拒絶する。

 目は大きく広がって、僕を拒絶するように暴れる。


『お前さん、何か魔術は!』


「ダメだ。なんでかわからんけど無効化される!」

 

 腕を掴んで無理にでも魔術を行使しようとするけど、出力しようとした瞬間に術が成立しない。どうしてだ?

 簡易的な回復魔術だぞ?失敗するはずは―—―――。


「ちかよらないでっつ!」


 思い切り突き飛ばされる。

 彼女は這うようにもがくと窓の方へ向かう。


「お、おいっ!何しようとしてる!」

 

 窓の施錠を解除するとそのまま窓枠に足をかける。

 

 飛び降りるつもりか?

 何考えてんだ!

 僕が言えることではないが!

 急いで立ち上がる。


「馬鹿野郎!死ぬつもりか!」


「はいはい。蒼ちゃーん。落ち着いてー」

 

 背後からとんと肩を叩かれる。

 煙草臭い、あの男。

 香夜—――—?

 早足でがっちりと彼女を抑え、冷たく微笑む。

 彼の手には、注射針が見えた。


「なっ―――!香夜!」


 思わず叫ぶ。

 あれが、あれが吸血鬼化の薬品だとしたら、倉井戸は、倉井戸は!




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