第3話 Death count_1

 痛みは完全に消え、傷口も綺麗に塞がった。

 刺されたという事象を証明するのは破れたズボンだけ。激痛で動かなかったはずの下半身も今はしっかり動く。


「これで分かった?」


「吸血鬼って―――は。漫画の真似か?」


 飲み込めない状況を吐き捨てるように笑う。

 すると少女は、細い指先でつん、と。僕の脚に触れた。


「じゃあこの脚はどう説明する?」


「―――それは」


 彼女は確かにそう言った。吸血鬼と。

 吸血鬼。民話や伝説などに登場する存在で、血を吸い、血を栄養源とする。蘇った死人または不死の存在。 世界中で知られている怪物のひとつ。僕でも知っている、有名な怪異の一種。

だけど、そんな奇想天外なことは信じられる訳がない。


「なんなら飛び降りてみても構わないわよ」

 

 その言葉に頭が沸騰した。思わず舌打ちする。

 では、先ほどの行為の意味はなんだ。

 吸血鬼の証明?

 そんなおとぎ話を――――いや、つまらない思考を巡らせる必要はない。

 クソみたいな妨害は入ったが、これで僕は死に至れる。


「そうかよ」


 正直の所、今日彼女に妨害された時点で飛び降りる気は失せていた。また日を改めようと。そうすればいくらでも終わるチャンスはあると。夏休みはまだまだあるのだから。

 けれど、彼女のその後の声音は心底不快で、僕は彼女の目の前で死んでやろう。そんな突発的な激情に駆られていた。


 再び欄干の外側に立つ。

 不死の力なんて存在するはずがない。この世はそんな奇想天外な世界ではないのだから。脚の負傷もなにかの勘違い。あるいは死を前に生じた幻覚か。この女も、そうだとすれば――――ありえるはずがない。

 恐怖は無かった。

 そこにあるのは彼女への怒りと生の終幕に対しての喜び。ぞくぞくと体全体を襲う快感に身を震わせ、一歩、空へと進む。

 瞬間、体はバランスを崩し下降を始めていく。

 空を向いて、大地へ墜ちる。

 撃ち落とされた、一羽の鳥のように。


 肉が飛び散る音がする。

 地面と肉体はあり得ないくらい密着する。

 最期に感じた痛みは、それほどなかった。

 ああ、これが――――。


 ふわふわとした意識の中、に視界に入ったのは少女の凜とした顔だった。

 


  ◆


 眠りから覚めた。

 空はまだ暗い。星のない、空だ。

 夏の湿気が肌を湿らせて、居心地が悪い。どうやらここは学校のようだ。


 って―――――おかしい。

 僕は自ら命を絶ったはずだ。屋上から落ちて。それはそれは盛大に、内臓をぶちまけて。


「あ」


 答えはすぐに出た。

 死に至らないワケ。

 誰も信じない。少女の戯れ言。

 ふと数分前の出来事を思い出す。

 沸騰するように沸き立つ血と、蒸発して喪失した血液。そして、ぱっくりと開いたはずの傷口を。


「本当に、吸血鬼――――?」


 都市に光に負けて星のない、どんよりと暗い空を見る。

 一人呟いた言葉のはずが、返事が返ってきた。


「そうよ」


 目の前にいたのは先ほどの少女。侮辱するわけでもなく、嘲笑するわけでもなく、昏い瞳で地面に転がる僕を見つめていた。


「は――はは」


 思わず笑いが出てしまう。

 あり得ない。

 そんなおとぎ話みたいなこと、あっていいはずがない。


「証拠としてあなたが再生していく様子を撮影しようとも思ったけど、さすがにろは人としてどうかしてる。まぁ、今ので分かったでしょ?」


 確かに僕は飛び降りた。屋上からだ。あの高さから落ちれば即死だろう。落下している最中に植樹された木に引っかかったわけでもない。

 けれど僕は生きている。体の調子もおかしくない。なんなら調子が良くなっている。


「ま、納得いかないならまた飛び降りたら?もう私は止めないわ。じゃあまた。連絡するから」


 そう言うとくるりと背を向けて、校門の方まで歩き出した。


「ちょっと待て!」


 慣れない気持ち悪さに耐えて、その場から立ち上がったときにはもう彼女の姿はなかった。


「連絡する――――?」

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