母、襲来。そして……


 玄関前に現れた母さんを見て、俺は一旦手を止めて凝視する。熱が見せた幻覚なんじゃないかと疑ったが、管理人さんが「あ、あわわ……」と慌てふためていているのも見えるので、どうやら現実らしい。


 「泰、別にこっち来て彼女作るってのはあんたの勝手だけどさーいきなり同棲ってのはさすがに早いと思うよ。確かにこの子めちゃくちゃ可愛いから気持ちはわかるけど」


 しかもなんかあらぬ誤解されてるし!


 「ち、違う! その人はこのアパートの管理人さんで、俺が昨日体調を崩したから看病してもらってただけだ! か、彼女じゃない!」


 なので俺は必死で否定する。管理人さんも顔を真っ赤にしながら高速で首を縦に振っているので、これで信じてくれるだろう。


 「なーんだ。まあ、あんたがそう簡単にまた彼女を作れないか。……というか、この子管理人さんなの? とてもそうは見えないんだけど」


 「あ、あの……母の代理で管理人をしてます、柏柳美来と申します。御察しの通り、私はまだ高校二年生です」


 「あーなるほど! 初めまして、丹下泰の母です。まだ高校生なのに偉いわねえ……こんなバカ息子の世話までしてくれて」


 「う……。そ、そもそもどうしてここにいるんだよ! 金ないからこっち来ないって俺が東京来る前に言ってただろ!」


 「店の連中が飛行機のチケットくれたのよ。泰がそろそろ無理して体調を崩す頃だろうってことでね」


 「う」


 「お店……。丹下さんのご実家、何かお店をやられてるんですか?」


 「あ、ああそうです。母さんがバーをしてますね」


 俺の実家は母子家庭なので、母さんが働いて俺を育ててくれたわけだが……その収入源は主に俺の爺さんが経営していたバーからだ。小さな町の小さなバーだから、大して儲からないみたいだけど。


 「へえ……素敵ですね」


 「あら、なら美来ちゃんも働く? とっても可愛いからうちの看板娘になれそうだわ」


 「え!?」


 母さんの軽い悪ノリに、管理人さんはびっくりしてまた顔を赤くしてしまう。


 「冗談よ冗談。美来ちゃんみたいな可愛い子には、私の店は勿体無いわ。さてと、それよりも今は……このバカ息子に説教しないとね」


 そういって母さんは俺の元へ近づき、はあとため息をつく。


 「まずはどうして体調を崩したのか聞かせてくれる?」


 「え、えーっと……バイトをいっぱい増やして」


 「だろうね。あんた塾のバイトする気満々だったし、大方生徒がテスト期間だからってことで無理をしたんでしょう」


 さすが母さん。俺のことはなんでもお見通しだ。むしろ怖いまである。


 「はあ……あんたさあ、ほんと学習しないわね。中学の時も文化祭実行員頑張りすぎて肝心の文化祭には参加できなかったし、高校の時も体育祭実行委員して同じことになるし……」


 「……」


 「……た、丹下さん、すごく頑張り屋さんなんですね」


 管理人さんはそう言って褒めてくれるも、俺の自己管理の無さがよくわかる話には間違いない。……情けねえ。


 「で、案の定大学生になっても同じようなことをしていると。……今回は美来ちゃんがいたからよかったけど、いなかったら……どうなっていたことやら」


 「う……」


 ほんとぐうの音もでないです。


 「これだと実家に帰ってもらった方がいいかもねえ……」


 「な、何を言ってるんだ母さん!」


 「また倒れられて死なれるなんてことになったら……さすがに私も困るし。金もないから頻繁に来ることもできないからねえ」


 母さんの言っていることはもっともだ。俺がまた無理をしないという保証もないし、それだったら近くにいておいてほしいのも仕方がない。


 だけど俺としてはこっちでまだまだやりたいことがあるし、帰るわけにもいかない。だが俺が反対しても……母さんを安心させる材料がないしなあ。


 「……だ、だったら……私が丹下さんの健康状態をお伝えしましょうか?」


 「「……え?」」


 一体どうしたもんかと悩んでいるそんな時だった。管理人さんが恐る恐る、母さんに提案をしたのだ。


 「わ、私は丹下さんのお隣さんですし、毎日おすそ分けをお渡ししてますから会う機会も多いですし……。こ、今回はこうなってしまいましたけど……次は絶対丹下さんがこうならないようにしますから! だ、だから……わ、私は……丹下さんに……このアパートにいてほしいです」


 沸騰しそうなぐらい顔を真っ赤にして、何度も言葉が途切れながらも、管理人さんは母さんの目を見て訴えかける。


 「美来ちゃんがそこまで責任を負う必要はないのよ。このバカと貴女はあくまで他人だし、その上で看病やおすそ分けまでもらってるなんて……お世話しぱっなしじゃないかしら?」


 「わ、私も丹下さんのお世話になってます。い、色々と助けてもらってます。だ、だから……お互い様です」


 「……そう。なら美来ちゃんは毎日泰のお世話をできるってことかしら?」


 母さんは真面目な顔で、管理人さんにそう問いかける。


 「……はい、できます」


 そしてその問いに、管理人さんははっきりとそう答えた。


 「……優しい子ね。断らせるために意地悪な質問をしたつもりだけど……そうはっきりと答えられたら、任せるしかないわ」


 すると母さんは少し柔らかい表情になり、ポンと管理人さんの頭を撫でてそう言った。


 「あ、ありがとうございます!」


 「でも過度に世話する必要はないからね。このバカ自身がまともに生きられるようになるのが一番だから。わかった、泰?」


 「わ、わかったよ!」


 至極もっともな意見だ。俺自身がまともになれば管理人さんに迷惑をかけることもないし……。でも、管理人さんが俺のためにここまで言ってくれたこと、それは……嬉しかった。


 「じゃあ美来ちゃんと連絡先交換したらさよならするわ」


 「え、早くない?」


 「まーせっかく東京きたし、観光もしたいのよ」


 「なるほど……」


 「それに、私がいなくてもなんとかなりそうだし。あら、可愛いアイコンね、美来ちゃん」


 「そ、そんなこと……」


 グイグイと近い距離で母さんが管理人さんに近づくので、管理人さんも押されている。……にしても、なんか思ってなかった展開になっていったなあ。


 「さてと、それじゃあ行くわ。……あ、そうだ。一つ注文」


 「注文?」


 「これから泰、もっとお世話になるんでしょ? ならもっと距離感縮めてもいいんじゃないかしら? だから美来ちゃんのこと、ちゃんと名前で呼びなさい」


 「へ!? い、いや、それは……」


 な、なんて注文をしてくるんだ! 管理人さんだってそんなの余計なお世話だって思ってるだろ!


 「美来ちゃんも泰にそう呼んで欲しいでしょ?」


 「…………はい。そう呼んでもらいたいです。私、もっと丹下さんと仲良くなりたいですから」


 「!?」


 そう思っていたのは、俺だけだったようだ。管理人さんが恥ずかしそうに、俺の目を見てそういったのだから。


 「う……。じゃ、じゃあ……美来って呼んでいいですか?」


 「敬語も外しなさい」


 また母から注文が来た。


 「…………美来、これから……よろしく」


 今までずっと敬語で喋っていたから、すごく違和感を覚えながらも……なんとか言えた。


 「……は、はい! …………や、泰さん」


 そして管理人さん……もとい美来も、俺のことを下の名前で呼ぶ。敬語は健在だが、向こうの方が年下だからそうなってしまうのだろう。さすがの母さんもそこは強制しなかった。


 「それじゃ行くわ。さて、次に会うのは……二人の結婚式かしらね」


 「な、何いってんだよ! 変なことを言うんじゃない!」


 「はいはい。んじゃまたねー美来ちゃん」


 最後にとんでもないことを言って、嵐のように母さんは部屋を去っていった。


 

 今思えば、これがなければ俺たちの距離はそれ以上縮まることがなかったかもしれない。きっとこの日が、俺たちの関係が進んでいく……きっかけとなったのだろう。


  ――――――――――――


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