第7話 プロテスト(能力解禁編2)
唐沢の打撃は監督の怒りを凌駕していた。プロ野球の監督は全国に12名しかいない。大袈裟に言えば、1億人以上いる日本の人口から、12名が選ばれている。それぞれ現役時代の成績はまちまちであるが突出した才能を見抜く目は持っている。三枚堂は側にいたコーチに前木を呼ぶように伝えた。前木とはこの球団のエース級の投手である。今は、腰を痛め2軍で調整していたが、患部も完治しオールスター明けから1軍に上がる予定になっていた。前木は速球投手ではないがコントロールは抜群で変化球の切れは申し分ない。
「宮野さん、申し訳ないが一度、
前木は直ぐに現れた。
「前木、すまないが早急にアップしてくれ」
前木は状況が飲み込めていない。バッティングゲージにはいかにも素人らしき男がヘルメットを被って立っているし、記者の宮野もいた。それにどこかのOL風の女性がそのバッティングゲージの男と興奮気味に話している。どこかのTV局のアナかと思ったが見覚えがない。
「監督アップってどう言うことですか?」
「簡単なことだよ。そこの素人相手に打たれたらお前は首って事」
前木は何故自分が素人相手に投げないといけないのか納得できず、ぶつくさ言いながらアップを始めた。唐沢はバッティングゲージから出てアップが終わるのを待った。祥子は唐沢に言った。
「なんか大変なことになってきたわね」
「本当だよ・・・。オレ、あのピッチャーを首にしたくはない」
「でもここまで来たのだから頑張ってね」祥子は唐沢を本気で応援していた。調査のことなど頭には無い。
ウォーミングアップが終わったのかキャッチャーの山田が前木の所へ駆け寄った。
「注意しろよ。あいつ本当に素人なのか分からないぞ」
「何言っているのだよ。見れば分かるよ」
確かに唐沢の格好は素人そのもの。山田は、いくら言っても無駄だと思った。これが逆の立場だったら同じ反応をする。前木は監督に言った。
「監督準備OKっす」
唐沢はゲージの中に入った。監督は念を押した。
「いいか。これは試合だと思って攻めろ。勝負は3打席。打球の方向に関係なくヒット性の当たりならバッターの勝ち。バッテリーがもし負けたらお前らは首だ」
前木は依然としてバカ馬鹿しかった。『やれやれ何で俺がこんな所にいるわけ』と思いながら山田のサインに首を横に振った。山田は初球から決め球のスライダーを要求したが、前木には変化球を投げる積もりなど無い。山田は仕方なくサインをストレートに変えた。前木は憮然とした表情を出して頷いた。キャッチャーの山田にまで、腹が立ってきた。前木は振り被り、軽くストレートを投じた。前木のストレートは平均時速140キロ前半。180キロを観ていた周りの人間には遅く感じた。
唐沢は予言通りその球を前木に向けて軽打した。球は前木の顔を掠めた。この結果に驚いたのは前木だけだった。山田は、だからストレートはダメと言っただろう、と前木にジェスチャーで伝えた。前木は呆然と立ち尽くしていた。その光景を見ていた監督は苛々していた『何でストレートを投げるのだよ。お前を呼んだ意味がないだろう。あの馬鹿が』と。
前木は怒りに震え渾身の力でボールを握った。山田は大きくサインを出した。勿論、スライダー。前木も大きく頷き、振り被った。そして、得意のスライダーを投げ込んだ。確かに変化している。ボールの縫い目が横に回転しているのがくっきり見える。唐沢はまたも予言通りその回転している球をレフト側に引っ張った。当たりは快心だった。
前木の怒りはピークに到達した。山田も段々腹が立って来ていた。『少し脅してやるか』山田は真ん中を構えたがサインはビンボールだった。山田はこの衝動を抑える事が出来なかった。前木も震え交じりに首を縦に振った。『舐めた事をしやがって。当ててやる』。
前木は振り被り、唐沢の頭目掛けて投じた。唐沢は球が自分に目掛けて来るのが直ぐに分かった。球の回転は縦回転だったのでそのままこっちに来る。唐沢でもこれを芯で捕らえるのは難しいが不可能ではない。バットに当てようと思ったが止めた。ここで打ったりしたらやり過ぎだし、前木にもプライドがある。唐沢は大袈裟に避けて見せた。祥子が血相を変えて唐沢に近寄った。
「唐沢さん大丈夫!」
唐沢は祥子にウインクを飛ばした。祥子には唐沢が余裕を持って避けたことなど知る由も無い。冷静に見守っていたのはもちろん宮野ただひとり。サインを出した山田、そして球を投じた前木は余計に腹が立っていた。監督の心境は微妙だった。公式戦なら平気で内角を攻めてくる。実践に沿った攻めを歓迎する半面、素人にデッドボールを与えるのも褒められない。
山田はボールを拾い前木に返した。前木はボールを受け取り山田のサインを待った。山田は外角のボール気味の球を要求。前木は頷く。もはやバッターボックスにいる相手が素人だとは思っていない。山田は唐沢に目をやった。唐沢は、平然としている。前木は振り被りスライダーを外角ギリギリに投じた。山田はニヤリとした。完璧な投球だった。しかし、そのボールは山田のミットには収まらなかった。ライト側へ完璧な打球を返した。
監督は正式な返事は後日に伝える、とだけ言って消えた。その表情は1試合采配を振るった程に疲れて見えた。マウンドで呆然とする前木も8回を投げきり最終回に逆転を許した様に両肩が下っていた。
宮野はこの結果を予想していたため、高級レストランを予約していた。決起集会である。
「先ずは第一関門突破だな」3人は乾杯をした。宮野は今回の結果に大いに満足していた。これ以上ないインパクを与える事が出来た。
「でもあのピッチャーには悪いことをしたかな?」
唐沢は必死で頑張っている選手のプライドを傷つけたことに対して後味の悪さを引き摺っていた。
「あんなピッチャーに同情なんてすることないわよ。だって素人相手に頭目掛けて投げて来たのよ」祥子はあの光景を思い出しただけでもムカムカする。
「あの時のさっちゃんは本当に怖かったな」宮野は両人差し指を頭の上に立てて鬼の真似をした。
「宮野さんは平気だったの?唐沢さんがあんな目に遭って!」
「あんなのほんの序の口序の口。こっからが本番」と言いながら唐沢に目を向けた。
「俺も少し今回の事甘く見過ぎていたかも知れない。プロの選手は生活を掛けてやっている訳だから」唐沢はこれから始まる犯人からの仕掛けよりも、その過程で対戦する相手の事を考えていた。今日の前木の様に打ち込まなくてはならない。だとしたら最短で目的を達する必要がある。唐沢は宮野に尋ねた。
「契約が成立したらどうすれば良い?」
「手っ取り早く事を動かすには派手に暴れて貰わないと」
「ひとつ困った事がある・・・」唐沢はそう切り出して続けた。「シェパーズって言えばセ・リーグだよな。つまり、俺は守備につかないと試合には出られない。代打専門と言う選択肢もあるがそれだと獲物は動かないだろう?」
「お前って守れないんだっけか?」宮野は簡単に尋ねた。
「なんで俺が守れるって思った?」
「だってボールは打席と同じ様にゆっくり見える訳だろ?」
唐沢は(はっ)とした。確かに守備だってボールはゆっくり見る事が出来る。途中でボールがイレギュラーな跳ね方をしても唐沢なら反応出来る。しかし唐沢は実際に守備についた事が無い。
「問題はポジションを何処にするかだな。まあ、監督が決める事だが」宮野は具体的な問題点を挙げた。
「やっぱりファーストだろ」唐沢は言った。
「いや、ファーストはダメだ。ファーストにはバレトンがいる」
「バレトンってプロレスラー?」祥子には学ぶ事が沢山ある。
「バレトンは外国人選手でチームの4番を打っている。彼を外すことは有り得ないし、彼を他のポジションに移す事は難しいだろうな」
「じゃあ、どうすれば良いの?」祥子は宮野に聞いた。
「荒川選手のポジションはライトだったから唐沢がライトを守れれば言う事無いが・・・」宮野は唐沢を見た。
「それは無理だな。あんな忙しいポジションは守りたくない」
「何その上から目線は。やる気があるの?」
「俺はスーパーマンじゃない」唐沢は呆れたように祥子に言った。
「それじゃどうするかな・・・」宮野は頭を抱えた。沈黙が3人を結んだ。
「ちょっとトイレに行ってくる」唐沢は席を立った。
祥子は強い眼差しで宮野を見て、
「宮野さん、唐沢さんの秘密ってなんなの。さっきゆっくり見えるって言っていたけど。今日のテストの時、唐沢さんが言ったの。唐沢さんの180キロと私の練習場で打った90キロが同じだと」
宮野に隠すつもりはないし、唐沢からも口止めはされていない。ただ、宮野から話して良いのか、いつ話すべきなのかタイミングが分からなかった。
「やつは、他に何か言っていた?」
「何も・・・」
宮野は目を閉じ、黙った。祥子が始めて目にする宮野の表情だった。
「唐沢には両親がいない。彼が4歳の時に交通事故で同時に2人を失った。その車に唐沢も一緒に乗っていたんだ。後部座席に」
祥子は黙って聞いている。
「唐沢は両親に助けられたと俺は思っている。俺も後で聞かされたが、事故後両親は何故か片目ずつ損失していた。目の周りには外傷が無いにも関わらず。俺は事故を当時担当していた刑事に話を聞いたが、詳しいことは教えてくれなかった」
「唐沢さんは無事だったの?」
「これも、不思議なのだが、唐沢は無傷だった。全ての破片が唐沢を避けるように散らばっていたらしい。破片が避けたのか、唐沢が避けたのかは、誰にもわからない。それ以来やつが集中すると動くモノが実際よりゆっくりに見えるらしい。ちゃんと測定した事はないが、本来の速度の半分以下にはなるらしい」
それっきり宮野は何も言わなかった。そして、祥子もそれ以上聞こうとしなかった。唐沢がトイレから戻り、
「用を足しながら考えていたのだが、現実的な解だとセカンドかな?」
宮野は即、唐沢の考えを否定した。
「セカンドはダメだ。少年野球のレベルだとよく(ライパチ)ってライトで8番の選手はお荷物だと言う代名詞がある」この話を聞いて祥子が質問した。
「ライパチっていけないことなの?でもイチローってライトでしょ?」
宮野はごもっともな質問だと思い祥子に説明した。
「プロでは左の強打者が沢山いる。でも少年野球ではそんなにいない。それにライトの重要な所は、ランナーが一塁にいてライトゴロの時に肩が弱いと一塁の走者が三塁まで走ってしまう。それを阻止する必要が有る。つまり、ライトはレフトより守備力が必要な訳なんだ」
祥子は今の説明でもピンと来ていない。頭の中に野球の守備位置が想像出来ていないのだ。ここで唐沢が口を挟んだ。
「それで何故セカンドは駄目なんのだ?」
宮野は空いたビールのグラスを合図にウエイターにワインリストを頼んだ。
「セカンドの場合、ファーストベースには物理的には近い。しかし、セカンドベース寄りのボールを処理した場合には肩の強さを求められる。それに、セカンドはダブルプレーの時も強肩と俊敏なフットワークが必要なのだ。また、右中間や左中間にボールが飛んだ時にカットに入る必要が有る。これも肩が強くないと駄目」
また、祥子が質問した。
「カットに入るって野球の試合中に美容院に行くの?」
宮野は祥子が本当に分かっていないのか、冗談を言っているのか疑いの目で見た。
「カットって言うのは、外野の選手、いや、バッターボックスから遠くにいる3人の選手なのだが、あの選手がボールを後方まで追いかけた時に、その選手がホームにボールを一気に投げるのは遠すぎるから、他の選手が外野選手とホームの間に入ってボールを中継する必要がある。そのプレーの事をカットすると言う訳」宮野は喉が渇いたのでお勧めの赤ワインを頼んだ。
「宮野さん凄い。物知りなのね」祥子は本当に感心していた。宮野はこんなに褒められるとは思ってもいなかったので、照れた。
「宮野、そんな蘊蓄はいいからちゃんと説明しろよ」唐沢は下らない説明に飽き飽きしていた。
「唐沢さんそんな言い方しなくてもいいじゃない?」祥子は唐沢を睨んだ。
宮野は説明を続けた。
「それにセカンドはキャッチャーの次に守りの要とも言われている。守りはセンターラインが重要視される。つまりピッチャーを含めた、キャッチャー、ショート、セカンド、そしてセンター。サインプレーもあるからお前には無理だ」
これを聞いた唐沢は宮野に聞いた。
「それでお前は何処を勧めるのだよ」
宮野は届いたワインのテイスティングをして、頷き、注がれたワインを一口飲んで言った。
「このワインいけるぞ!」そして続けた。「サードで行こう!」
「その心は?」
「サードのポジションはバッターボックスに近い為に、サードに飛んでくる打球はセカンドやショートに比べて速い。長嶋さんがサードのことを(ホットコーナー)と称したのもこのためだ。これはお前の目の能力を生かす事が出来る。それにサードは左端だから守備範囲が狭い。だからそれ程脚力を必要としない」宮野はひと先ず説明を留めた。
「プラス要因は分かった。それでマイナス要因は?」
「マイナス要因と言えば、やはり物理的にファーストには遠いため最低限の肩が必要になる。それと、打者が俊足の場合セーフティーバントをされる場合がある。この場合、俊敏な動きと強肩が必要になるが、お前の場合は打者が俊足なら普通の選手より大分前進守備を取れば防ぐ事が出来る。万が一、強い球が飛んで来てもお前なら大丈夫」
野球素人の唐沢からするとサードは少し荷が重い気がした。しかし、祥子の反応は違っていた。
「唐沢さん大丈夫よ。サードなら何とかなると思うよ」
根拠のない祥子の優しいコメントだった。
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