第6話 プロテスト(能力解禁編1)

  プロテスト当日、唐沢に緊張感はなかった。緊張の度合いは合格への思いの強度に比例する。プロテストの合否は唐沢に取って問題では無い。印象の与え方が問題である。衝撃を与えないと1軍への道のりが長くなる。


 もちろんこの日は、宮野と祥子も同行していた。宮野が同行するのは当然の流れであるが、祥子は唐沢のマネージャーと言う事にしてある。本来なら基礎体力テストをパスしないと打撃テストは受けられないが宮野の交渉で特別が認められた。

 基礎体力を試験されたら合格なんて有り得ない。通常、基礎能力として50メートル走(5秒台)と遠投(90メートル程度ボールを投げないといけない)が課せられる。


 今回の試験は球団としては一種のだった。行事ではあるが、この事は球団内部の極限られた人間にしか知らされていない。つまり、今回のテストに何の期待も寄せていない。球団側としても打撃試験以外やるつもりが無かった。


 立ち会った三枚堂監督は宮野に『あんたには困ったものだ』を添えて挨拶した。この期に及んでも監督は嫌みを言わずにはいられない。監督はこの不本意なテストを大事なオールスターゲーム中にオーナーから強制された。このテストが成立したのは宮野がオーナーを脅したのだ。荒川選手についての新情報を記事にされたくなければテストをやってくれ、と。記事にする新たな情報など持ち合わせていなかったが、オーナーも宮野が荒川選手と親しい事は知っていたため、何らかの情報を持っていると思ったのだ。


 監督もオーナーからの命令だとしても非常識であれば意見を言う事が出来るし、本来であればオールスターゲームを理由に断る事は簡単であった。しかし、監督には昨年の背信行為があったのだ。シェパーズが昨年Aクラスの成績を収めていれば、監督はオールスターゲームに参加する義務が生じる。義務ではあるが名誉なことなのだ。Aクラスとは、6チーム中3位以内に入る事である。


 昨年のリーグ優勝チームの監督が今年のオールスターゲームで監督を務める。そして、2位と3位のチームの監督がコーチとしてベンチ入りする。昨年のシェパーズの成績は5位という残念な位置でペナントレースを終了した。この責任は監督にある。だから、オーナーに対して断る不当な理由さえ思いつかない。


 宮野が唐沢を紹介したと同時に監督の表情は強ばった。唐沢は、身長こそ180センチあるが、線が細い。到底、プロでやっていける体付きではない。高卒ならまだしも、この年齢から身体作りをする時間がない。(さっさと終わらせよう、の思いを込めて)監督は唐沢に握手を求めた。監督の握手は唐沢の表情を歪めた。

「くれぐれも怪我だけはせんでくれよ」

「はい、ここで怪我をしたら意味がありませんから」唐沢は、右手の借りを返した。

「準備運動は?」

「いいえ、ウォーミングアップは済んでいますからいつでも良いですよ」唐沢は、将棋でも始める様に軽く答えた。

「じゃあ、手始めにマシン打撃から行くか」


 監督の一声でマシンの隣にいた裏方の準備が始まった。それじゃ、時速130キロからで大丈夫だろう、と監督が告げると裏方はマシンをセットした。そして練習球を数球投げた。バッティングセンターと違い本物のキャッチャーが球を受けている。


「監督準備OKです」とキャッチャーが言った。キャッチャーも感覚で球速が分かる。

「それじゃ、どうぞ!」キャッチャーはお客さんを迎える様に言った。

唐沢はキャッチャーに一礼して打席に入ろうとしたが、キャッチャーは目配せをして横に並べてあるヘルメットを被るように指示した。唐沢は一番合うサイズのヘルメットを選び、左右、上下に微調整し、頭と目線が最適になる場所を探った。

 唐沢は剣道の試合と似たような感覚を覚えた。


 マシンの横に立っていた裏方が、「じゃあ、行くよ」と言ってマシンにボールを流した。マシンは130キロのボールを投げ込んで来た。唐沢はそのボールをジャストミートし、ボールはライナーでマシンに当たった。監督は思わず笑った。それは唐沢が見事に打ち返したからではなく、こんな事をしている自分が可笑しかったのだ。唐沢の結果なんて関係ない。一応、見事に打ち返したので余計に自身が滑稽に思えた。


「ほんじゃ2球目ね」裏方は2球目を流した。マシンは初球と全く同じ速度で球を投げた。今度は、レフト側へ打ち返した。今回も鋭いライナーで。監督は、笑わなかった。2球目を見て面倒になった。早く終わらせたいのに。実は、初球を見て『ありがとう』で締めくくる予定だったのだ。監督が躊躇していると、

「じゃあ3球目」行くよと言いながら裏方はボールをマシンに流した。唐沢は思い切ってライト側に打ち返した。先程の当たり同様の鋭い球がライト側へ飛んで行った。


「素人にしては悪くないな」監督は宮野に告げた。この発言に宮野は苛立ちを覚えた。何を言っても始まらない。(論より証拠)がこの場合で求められている。宮野は切り返した。

「監督、この程度の球じゃ判定できないでしょう。もっと速度を上げましょう」

監督はこれ以上の速度を試す積もりは無かったが断るにはそれなりの事実が必要だった。

「分かったよ。あんたもしつこいね」監督は裏方さんに指示した。

「マシンの設定を140キロにして」

宮野は直ぐに割り込んだ。

「監督、時間のですよ。140キロを打ち返しても意味ないでしょ。設定を150キロにしましょう。監督もお忙しいでしょうから」

監督の表情が赤く染まった。宮野に時間のと言われたからである。

「宮野さん、もうええわ」

「それでは、140キロを打てば合格ですか?」宮野は真剣だった。

監督は怒りを込めて言った。

「150キロ!」

裏方は監督の指示に従い、マシンを設定した。山田さん行きますよ。キャッチャーは山田と言うらしいと唐沢は思った。


 マシンから150キロの球が放たれ、一瞬でキャッチャーミットに吸い込まれた。祥子には球が良く見えない。途中で球が地面に着いてしまうように見えたが途中から浮き上がって来た感じだった。キャッチャーミットは高飛び込みで腹から思いっきり水面に着水したような音を立てた。恐らくキャッチャーの手は、飛び込んだスイマーの腹の様に真っ赤に充血しているのだろうと祥子は想像した。少し離れた安全地帯にいたのにも関わらず、恐怖を感じた。プロのピッチャーってこんな球を投げるのかと改めて感心した。


「じゃあもう1球」裏方は球をマシンに流した。1球目と同じ音を立ててミットにボールが収まった。監督は唐沢に言った。

「やめてもええよ」

「確かに速いですね」と唐沢は思ってもいない事を言った。「でも頑張って見ますよ」

これを聞いた監督はもう止めるのを諦めた。

「それじゃ、はじめてくれ」


 裏方は同じ様にマシンに球を流した。ドーンとマシンは150キロの球を吐き出した。唐沢はその球を時速130キロの1球目と同じ様にマシンに向けて打ち返した。マシンが投じた球が速い分130キロの時より勢い良くマシンに当たった。それを見ていた監督は前回見せた表情とは明らかに違っていた。


「じゃあ、もう一丁」裏方はそう言って球をマシンに流した。唐沢はその球を思いっきり引っ張った。球は時速130キロの2球目と同じ方向に飛んで行った。

それを見ていた監督は唐沢の小賢しいに気付いた。唐沢は狙ってセンター、レフト、ライトと打ち分けているのか、と。監督は予測した。次の球を唐沢はライト方向に打つ積もりなのだと。


 裏方は3球目をマシンに入れた。唐沢は監督の予想通り球をライト側へ打ち返した。唐沢は思い通りに時速150キロの球を打ち返したのだ。それを見ていた監督の思いは、驚きから始まり、迷いに変わり、そして、不愉快さが頂点に達した。

それを察して宮野は監督に訊いた。

「監督このマシンは何キロまで出るのですか?」

監督は無言である。代わりに笑みを浮かべたキャッチャーの山田が教えてくれた。

「実際の練習だと最速は160キロだね。でも、確か、マシンは200キロまで設定可能じゃないかな」

戸惑っている監督に対し宮野は提案した。

「監督、それでは180キロで試しましょう」

「宮野さん何を言っとるの。プロでも180キロなんて打たんよ。怪我でもされたら責任持てん」

「この場で起こった事に関しては私が全責任を負いますから」

「責任ちゅうのは、口実だよ。いい加減に察してよ。辞めようと言っているんだよ!」

「監督。そんな事は、許されませんよ」宮野は穏やかに言った。

2人のやり取りを聞いていた唐沢が口を開いた。

「監督、ここで議論しても埒が明かないのでこうしましょう。マシンを180キロにしてもし私が打ち返したら合格、ダメなら不合格」

唐沢は、200キロを提案しようと思ったが、さすがに衝撃が想定出来ないのと、木製バットが絶え得るのか心配であった。監督は暫く考えたがこの2人を諦めさせるにはこれしかないと決心した。

「おーい、マシンを180キロにして」と監督は言葉を180キロで投げ捨てた。これまで『行きます』以外に言葉を発しなかった裏方が、

「監督本当にいいの?責任とれないよ。180キロは初めてなもんで」

「構わん!」監督は声を荒げた。


 裏方はこれまでとは違い慎重にマシンを設定し始めた。マシンのネジを締める二の腕にも力が込められ、マシンからギュッと音が聞こえるような気がした。一連のやり取りを側で見ていた祥子がたまらず唐沢に近づいて小声で囁いた。

「本当に大丈夫なの。あんな事言って?」

「覚えている?一緒にバッティングセンターに行った時の事。祥子が最初に90キロを試した時の事」


 祥子は思い出していた。確かにあの時の感動は忘れていない。1球目祥子は空振りした。それを見て唐沢は大笑いし、祥子は発奮した。負けず嫌いの祥子は2球目更に集中した。そして、辛うじてバットに当てたのだ。ボールは祥子の思い通りには飛ばず、バットに擦り軌道を少し変えて後ろのパットの角に当たり跳ね返って祥子の頭に当たったのだ。唐沢は先程より強く笑った。祥子は恥ずかしそうに唐沢を見たが直ぐに次の球に向かっていた。そして3球目、祥子はバットの芯でボールを捕らえた。ボールはライナーでマシンまで届いたのだ。


唐沢は小声で。

「俺に取っては180キロは祥子が打ち返した90キロとなんだ」

「どういう事?」祥子は困惑していた。

「準備出来たけど・・・」と裏方の声はやや裏返っていた。

「それじゃ頼む」監督の声は小さい。そしてキャッチャーの山田にゲージから出る様に指示した。

「しようが無いな」裏方は球をマシンに流した。マシンはボールを吸い込み軋む筈のない金属性のマシンが縮んだ。そして休火山が噴火するかの様に球を一気に吐き出した。マシンの前方が少し浮いた様に感じられた。球はもの凄い勢いで飛び出した。引き裂かれた空気は悲鳴を上げた。『ブシュー!』マシンから細く白い糸がバッターボックスまで引かれた。その糸は一瞬で消え去り、同時に球がキャッチャーの後ろにあるネットに当たる音が皆を恐怖に落としいれた。マシンを見ると内部が真っ赤に煮え滾っているように見えた。しかし表面は相変わらず鉄の塊だった。


 裏方はもう1球マシンに流した。今回はどんな球が出るのかある程度予想出来たがその予想を上回った。予想が体に馴染むには隔たりが大き過ぎる。球は地面すれすれに放たれたのが分かった。そして、ボールにジェットエンジンでも搭載しているかのように、見たことも無い低さを保ち正に一瞬でネットに吸い込まれた。2球目をみて祥子は気づいたが、バッターボックスを通過する時点で球の高さは胸の辺りにあった。裏方は、更にマシンを低めに調整した。祥子は思った。『私はこんな球を打った覚えはない』と。


「唐沢君、俺は知らんよ。どうなっても」監督は念を押した。いっその事怪我でもしてくれたら気持ちが晴れ渡る。

「大丈夫ですよ。それより約束を覚えていてくださいよ」この状況でも唐沢は冷静である。

唐沢は『いいよ』と笑顔を見せた。そうしないと裏方が動きそうに無い。重たそうに腕を動かし球を掴んで怖々とセットした。(何が起こっても自分の責任ではない)と呟いて目を閉じた。唐沢は少し不安だった。球は良く見えるのだが衝撃の度合いが計り知れない。唐沢はバットを強く握った。そして、バットの芯で捕らえる事だけに集中した。芯を外すと手を傷める恐れがあるし、間違いなくバットは折れる。


 マシンは球を吸い込み叫び放った。唐沢は全ての感覚を目に集め、時の流れを制御した。マウンドからの距離は18.44メートル。時速180キロになると放たれてから到達するまでの時間は僅か、0.369秒。『ズバッー!』『ブシュー』『バチン』『ガーン』一瞬の内に事が終わった。けたたましい音が連続で4回続いた。その間、1秒も無い。マシンがボールを吐き出す音。ボールが空気を切り裂く音。唐沢がボールを弾き返す音。そして、ボールがマシンに叩き返される音。


 唐沢は球をマシンに打ち返した。赤く変わった鉄のマシンが凹んだ錯覚に見舞われた。唐沢はバットを見た。球が当たったと思われる所が黒くなっていた。この光景を見ていた誰もが言葉を失っていた。唐沢はオルゴールのネジを巻きなおした。

「ほんじゃ、もう1球行きますか?」こうでも言わないと誰も動かないが、この状況下では不適切な言葉である。次へ移る前に他の誰もが今の状況の整理をしたい。


「お願いします。もう1球」唐沢は、大きな声を出した。

裏方は言われるがまま球を流した。『ズバッー!』『ブシュー』『バチン』今回も一瞬で終わった。1回目より音が一つ少なかった。唐沢は狙い通りレフト側に打ったのだ。だから、マシンに当たる音はない。唐沢は集中していたが、衝撃の強さに驚いていた。少しでも芯を外すとやばい。


「それじゃ、最後お願いします」間髪いれずに唐沢は告げた。

裏方は興奮気味に頷き球をマシンに流した。唐沢は予定通り見事にライトに打ち返した。人間技ではない。宮野以外、蝉の抜け殻の様に動かない。こいつは何者?監督の表情を見た唐沢は顔を顰めた。少々やり過ぎた事を後悔した。そして、その判定を宮野に託すために唐沢は彼を見た。宮野は小さく右手の親指を立てて(良くやった)を返した。そしてそれを言葉に出した。

「監督!約束は守ってくださいよ」


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