第14話 ヒーロー、唐沢

 球場ではヒーローインタビューの準備がされていた。場内は唐沢コールが続いていたが祥子は少し恥ずかしく思った。最後に代打で出てきて何もせずにヒーローになるなんて他の選手に申し訳ない。宮野の説明もいまいちピンと来ない。


 そんな祥子の思いには容赦なく、唐沢は帽子を振りながらベンチから出てきたのである。お立ち台の上に居たアナウンサーが拍車をかけた。


「お待ちかねしました。今日のヒーローはサヨナラ暴投を呼んだ新人の、そして本日、初打席の唐沢選手です!」場内は大拍手に包まれた。唐沢の功績より勝利したことに意味があるようだ。

 唐沢は相変わらず帽子を振っている。そしてお立ち台に上がると振っていた帽子をやっと被った。

「唐沢選手。それではお聞かせ下さい。今のお気持ちは?」

祥子は見ていられなかった。場内は一気に静まり返った。唐沢の一言目を待っている。唐沢は少し間を置いて答えた。

「気持ちいいもんですね」唐沢はお立ち台から見る球場の眺めを楽しんでいた。唐沢のコメントに合わせて静まりかえっていた球場が沸く。まるで木魂の様に。

「唐沢選手はこの間のカープ戦から一軍に合流されました。それで行き成りお立ち台です。今日は忘れられない一日になったのではないですか?」

「ファンの方にとっても忘れられない日になってくれれば嬉しいです」と言いながら唐沢は場内を見渡した。


「それではあの場面を振り返りましょう。さて敬遠が2つ続きました。そして、代打に指名されました」

「私以外にいないと思っていました」と唐沢は言いながら一塁側のスタンドを見た。このコメントを原下はどんな気持ちで聞いていたのだろうか。祥子はお立ち台に立ってインタビューを受ける唐沢を見た。場内は唐沢のコメントに大騒ぎだった。祥子はようやく唐沢がやったがいかに大きな事だったのかを実感し始めた。もう唐沢を見ることは恥ずかしく思えなくなっていた。

「さて、あの場面どんな気持ちでバッターボックスに入りましたか?」アナウンサーも興奮している。唐沢のコメントも楽しみだ。

「あの場面は・・・」唐沢は一呼吸置いた。祥子も唐沢のコメントが楽しみだった。「最高の舞台だと思いました」


「さて、今日の勝利で首位に並びました」場内の盛り上がりが頂点に達した。唐沢は場内が静まるのを待った。唐沢はシェパーズが優勝しようが最下位で終わろうがどちらでも良い。場内は唐沢の思いなど知る由もなかったので、唐沢から優勝宣言が飛び出す事を期待している。祥子でさえも雰囲気は感じられていた。


「それは僕には関係ないですから」そう言った途端唐沢はなんだかすっきりした気持ちになった。唐沢のコメントを聞いたファンはどう解釈して良いのか迷っていた。ファンが期待したのは優勝宣言である。宣言とまで言わなくても『まだ優勝の事を考えるのは早い』とか『目の前の試合を一つひとつ乗り切るだけ』などを期待していた。ヒーローインタビューには筋書きが存在する。しかし、宮野と祥子には唐沢が言った意味は良く理解出来ていたのだ。

「ちょっとやり過ぎだな」と宮野は祥子に言った。

「どうせやるならとことんやった方が良いと思うわ」祥子は野球の事は良く分からないが、この言葉は分かっているつもりだ。

アナウンサーは戸惑っていた。しかし、彼は自分のやるべき事を実行した。

「確かにちょっと気が早かったですかね」と苦し紛れに誤魔化した。「それでは最後にファンに一言お願いします」

「またここに戻って来ます!」

「今日のヒーロー唐沢選手でした」


場内は今日の勝利をとにかく祝う雰囲気で統一されていた。この時間が球場に足を運んだ者にだけ与えられる特権である。TV中継ではこの感覚はとても得ることが出来ない。場内の唐沢コールはボルテージを失わないでいた。


 試合後、唐沢はロッカーでシャワーを浴びずに球場を後にし、車で事務所へ向かった。事務所では宮野と祥子が唐沢のサヨナラ打点を祝うつもりでいた。祥子が腕によりをかけた手料理が待っている。祥子と宮野はテレビを見ながら唐沢の帰りを待った。唐沢は事務所の近くにある月極駐車場に停めた。そこから事務所へ歩いた。唐沢が事務所前まで行くと反対側に停めてあった車に目をやった。中には二人の男が座っていた。唐沢は気になったがそのまま事務所に入って行った。


「待たせたね」唐沢は事務所のドアを開けた。空腹時には耐えがたい匂いが唐沢の鼻を擽った。テーブルには何種類もの料理が並んでいたのだ。

「お帰りなさい」祥子は微笑んだ。宮野は隣で笑顔を見せていた。

「ただいま」と唐沢は言いながら祥子が作ったのかと驚いた表情で料理を見た。

「どう?これ全部私が作ったのよ。でも作ったのは昨日だけど」と言いながら祥子は舌を出した。

「旨そうだ」と言って一口摘まんだ。「あとは、シャワー後に頂く」と言いながら唐沢は服を脱ぎ始めた。「このシャワー誰か使った?」と唐沢は祥子に尋ねた。

「唐沢さんの為に使わずにおいていたの」

「じゃあ、一番乗りだな」と言って唐沢はシャワールームに入った。「あっ、そうそう。宮野、表に紺の怪しげな車が停まっている」と言ってドアを閉めてシャワーを浴び始めた。


 宮野はそっと外を確認した。確かに紺のクラウンが一台停まっていた。宮野はナンバーをメモし、テレビ画面に目を戻した。ちょうどNチャンネルで今日のスポーツニュースが始まる所だった。ニュースの始まりと同時にスポーツ担当のハンサムなキャスターは唐沢のデビュー戦から今日のニュースをスタートした。


「まずはこちらの試合からお伝えします。シェパーズ対ジャイアンツ戦で新人がとんでもないデビューを果たしました」と同時に画面は今日の試合前の練習風景から放送し始めた。その映像には唐沢は少しも移っていない。この時点では唐沢がとんでもないデビューを果たすとは考えられなかった。唐沢の入団経緯が通常であったなら、ここで取りあげられる事はなかったであろう。


 祥子は慌ててシャワールームをノックした。

「唐沢さん早く出てきて。今日の試合をニュースでやるわよ」

「結果が変わる事はない、ゆっくりさせてくれ」

「そりゃそうだけど。でもニュースを一緒に見ながら色々と聞きたい事があるの」


祥子は唐沢を急がせた。しかし唐沢は一向に急ぐ気配が無かった。祥子は苛立った。シャワールームのドアに手を掛けた。鍵が掛かっているものとばかり思っていたが、ドアは何の抵抗も無く開いた。中には丁度シャワーを終えた唐沢が裸で立っていた。祥子は全裸である事を確認して、『バタン』とドアを閉めた。祥子はニュースを直ぐに見たかったが火照った頬の熱が冷めるまでドアを背に待った。


 祥子が戻った時にはニュースは試合開始の場面だった。実際に球場で見た試合だったが、テレビで観ると視点の違いからか、異なる試合を見ているように思えた。しかし、ダイジェスト流れるプレーは確かに自分の目で見たものだった。


「あの場面ではピッチャーの原下はあんな表情をしていたのね」

「そして、同点のままシェパーズの最終回の攻撃を迎えます」とキャスターは興奮気味に最終回の攻撃を紹介した。ビデオはあの場面を忠実に再現していた。上田が送りバントを成功した場面で祥子は言った。「あの人あんなに嬉しそうにしていたのね。地味なプレーだったのに」と言って着替え中の唐沢が居るシャワールームの方を見た。


 画面は4番を敬遠する場面を映した。ボールを二球投げた所でベンチの三枚堂監督の表情をアップで映し出した。三枚堂監督は何やら打撃コーチと話をしている。続いて5番の敬遠シーンに移った。三枚堂監督は眉間に皺を寄せて何やら大声を出していた。その直後に唐沢が画面に登場した。事務所にも風呂上りの唐沢が登場していた。祥子は画面の中の唐沢と風呂上りの唐沢を見比べた。これが同じ人物だとは到底思えない。


「テレビ映りが良くてよかったわね」

「それって普段の俺が格好悪い様に聞こえるけど」

「どうしてちゃんと聞こえているのに聞きなおすの」祥子は画面の中に唐沢に夢中だった。

「ねえ、この時、監督と何を話していたの?」祥子は画面を指さしながら問うた。

「監督の質問に答えていた」と唐沢は説明した。

「だから、監督は何て質問したの?」祥子は焦らす唐沢に迫った。

「球団が渡した二枚のチケットは誰にやった?」って聞いて来たの。

祥子は意味が分からなかった。野球用語なのかと思った。

「それで何て言ったの?」

「俺は正直に言ったよ。友達にあげたって」

祥子は画面から目を離せない。

「それで監督は?」

「それはお前の女か?」と聞いてきた。

隣で宮野が笑い始めた。祥子はようやく唐沢にからかわれている事に気付いた。

「ちゃんと答えてよ!」祥子は怒った。

「正直、あまり覚えてない」

「なんだ。じゃここに居る意味ないじゃない。料理食べさせない」

「そうだ、そろそろ乾杯して食べよう」宮野はそう言うとシャンパーンとグラスを持って来た。


 画面は唐沢が打席に向かうところだった。画面の中の男性はとても格好良く、素敵に見えた。唐沢のアップされた表情は祥子の知らない一面を捉えていた。この画面上の唐沢だけしか知らない人は祥子が今思った印象しかないのだろう。それに留まらず視聴者の女性は唐沢を美化し、人格や生活スタイルそして自分勝手な理想像を唐沢に投影して楽しむ。それは、ファンの特権だから仕方がないが、現実が想像とかけ離れていたとしても、唐沢を責める事はやめて欲しい。


 ビデオは一球毎に唐沢の表情を映した。祥子は毎回唐沢があんなに真剣にボールを見ていたとはスタンドに居る時は気付かなかった。

「唐沢さんどうして初球の甘い球を見逃したの。体が固まっていたの?」祥子は尋ねた。

「それは簡単だよ。何の準備も出来ていなかったから」唐沢はタオルで髪の毛を拭きながら言った。宮野は二人にシャンパーンの入ったグラスを渡した。

 画面は最後のボールに移っていた。

「この時は何を思っていたの?」祥子はグラスを手に取り言った。

「何も考えていなかった。ただ、打つことしか考えていなかった。流石に余裕があまりなかったのが正直なところかな」

「そうなんだ・・・」祥子は意外だと思った。「それで、次のボールの種類とか山を張ったの?」

「それも分からなかった。投球の組み立てなんて考えていたら結論出ないから」


 唐沢が考えていた事が分かり拍子抜けした感がある祥子だが、最後のボールを投げる原下の形相は鬼気迫るものがあった。鬼のボールを唐沢は打ちに行こうとしている。唐沢の表情を良く観ると目の辺りの映像がぼやけている。宮野は、その事に気付いたが恐らくこのニュースを観ている視聴者は気が付かないだろう。気付いたとしても電波障害だと思っているはずだ。その証拠に祥子も指摘しない。

「ねえ、どうして打つのを止めたの?」祥子は唐沢に尋ねた。

「ボールがホームベースの手前で落ちるのが分かった。それでも打とうと思えばヒットに出来たけどね」

「どうしてヒットを狙わなかったの?」

「あんなボール球を打っても格好悪いから」と唐沢は祥子の手料理を褒めながら言った。「やっぱりストライクゾーンに来た球を打たないと絵にならないから」


 祥子には良く理解出来なかった。「そう言うものなのか・・・でもボールが後ろに逸れるって分かっていたの?」

唐沢は唐揚げをつまみながら答えた。

「残念ながら分かっていたよ。あの瞬間俺は(サヨナラ原下)って呟いた。多分スローでビデオを見てもらえば分かると思うけど・・・」


 テレビの映像は試合の再生を停止しアナウンサーを映した。アナウンサーの隣には元プロ野球選手の江田が解説者として座っていた。アナウンサーは江田に尋ねた。

「江田さん、この新人の唐沢選手をどの様に思われますか?」

「どの様にも何もこの一打席だけ見ても何とも言えませんよ。しかしヒーローインタビューを聞く限りでは度胸は一人前ですがね」アナウンサーは頷いていた。

「しかし、原下投手から渾身のストレートをファールにはなりましたがライナー性の当たりを飛ばしました。あのバッティングなんか新人離れしていると私には見えましたが」

江田は微笑みながら答えた。

「野球はフェアーゾーンに打ってなんぼのスポーツです。いくらファールを打っても意味がありません。良く場外ファールの後、三振するでしょう。あれはわざとファールを打たせている事もあるからですよ。原下投手にしてみればカウントが稼げて追い込めた訳ですから」

アナウンサーは再び江田の解説に頷いた。このコメントを聞いていた宮野が言った。

「この江田の解説はやっぱり三流だね。現役の時も三流だったけど・・・もっとましなのに解説させれば良いのに」


 祥子は江田のコメントの何処がいけなかったのか宮野に尋ねようとしたが、アナウンサーが再び江田に尋ねた。

「しかし、顔の近くに投げられた後のホークボールを追い込まれながら見逃すのはなかなか出来ないと思いますが・・・特に、ツーアウト満塁サヨナラの場面で」

江田は即座に答えた。

「あれは単に手が出なかっただけですよ。いや、彼は本当にラッキーでしたよ。まあ、しかしキャッチャーの安部選手も体を張って止めてやらないといけないですね」

「しかし、ビデオを見る限り唐沢選手は一度打ちに行って、ボールと判定しバットを止めた様に思えましたが」

「そんな事は有り得ませんよ。あの原下投手のホークを新人が見切れる筈はありません。まあ、しかし次の対戦が楽しみですね。原下投手とすれば次は三振を狙いに来ますよ。このまま新人にやられっ放しだとエースのプライドに関わりますから」


 ここまで聞いて祥子は唐沢に言った。

「宮野さんが言う様に江田の言う事なんて気にする事無いわよ。何も分かっていないのだから」

唐沢は江田なんて眼中になかった。


「これでシェパーズが勝利し首位に並びました。今後の展開を予想してください」

「やはり戦前の予想通りジャイアンツが有利でしょうね」

「シェパーズも今日の勝利で勢いが出るのではないでしょうか?」

「どうでしょうか。三枚堂監督がシェパーズをひとつにまとめる事が出来ますかね?最終回の場面ですが、森に代打を送ったのは失敗だったと思います。恐らく、選手は納得していないと思いますよ」

「なるほど。確かにそうかも知れませんね。代打に送ったのがベテランでは無く新人でしたからね。いずれにしても、今後の唐沢選手の活躍次第で今回の采配の是非が問われることでしょう。江田さん、本日も解説ありがとうございました」


 TVは、今日のニュースのまとめを伝え始めた。祥子はチャンネルを持ち、他の局がスポーツ結果を伝えていないか観ながら、

「それでいつまで唐沢さんはプロの選手を続けるの?」祥子は宮野に尋ねた。

「それは良い質問だね」と言って宮野はシャンパーンを自分で注いだ。「でも今日の唐沢を見ていたら探偵より向いている様に思えたけど」

「何を言っている。この世界は俺には向いていないよ。こんなのが毎日続いたら身が持たない」唐沢は思ったより体が疲れていたのだった。代打で一回打席立っただけであったが、握力もそうだし、お尻の筋肉に至っては既に筋肉痛に近い状態である。箸を握る手も震えていた。練習で100回素振りするより、身体は削がれている。そして、反動も気になる。「早いとこ相手が尻尾を出してくれないとこっちが先に参ってしまう」唐沢は宮野に迫った。

「分かっているよ。とにかくお前は活躍してくれれば良い。必ず敵はお前に何らかの接触を図る筈だから」と言って宮野は再び窓から車を確認した。

「さっきまで停まっていた車はもういないな」

「念の為に調べてくれるか?」

「そのつもりでナンバーをメモって置いたから」

3人は祥子の料理を食べ尽くしオフィスを後にした。

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