第17話 活躍

 ジャイアンツ戦のサヨナラ暴投の翌試合から唐沢は先発出場を果たしている。ポジションはサードを守っている。初先発の試合で唐沢は四打数二安打を放った。そして生涯初のヒットで打点も記録した。唐沢の凡退した二打席は何れもランナーが居ない場面だった。

 荒川の引退発表から唐沢は新人離れした活躍を加速させた。活躍するに連れて唐沢のプライベートがどんどん失われていった。事務所の前にはハイエナが集まる様になり、唐沢の心配は祥子の事だった。ある週刊誌が『唐沢選手に婚約者あり』と報じたのだ。その週刊誌を唐沢に見せたのは当の祥子だった。

「唐沢さんこれ見て。私が犯罪者のように出ているの?」と言って祥子は唐沢に週刊誌を見せた。それを見ると祥子の目は黒く塗り潰されていた。

「確かに。俺の知り合いがこうなるとは思ってもいなかった。何かしたの?」

と唐沢は犯罪者に言った。

「私は何もしていないわ。したのは唐沢さんでしょ!」祥子は記事の事はあまり気にしていないようだった。

「聞いておきたい事があった」唐沢は珍しく改まった。

「何?」

「こうなって後悔していない?」

「何を後悔するの?」祥子は具体的に聞きたかった。

「虚像が作られる事に対して」

「今はしていないわ。だってそんな事気にしている暇は無いもの」祥子はきっぱりと答えた。唐沢はこの言葉を聞いても安心しなかった。どんな言葉を聞けば安心するのか自問自答した。その答えは得られなかった。答えの変わりに自分のした質問が愚問だったと悟った。


「間違っていなかったと言うことかな」

「唐沢さん、結論を出すのは早すぎてよ。まだまだ私のこと何も知らないくせに」

「知っているよ。だって俺たちは婚約しているのだから」

「でも、そうだとしたら私の薬指が空いているのは何故?」

「そう言えば、これから宮野に会うけど、祥子も一緒に来る?」

「行かない。私はこれから友達と会うの」と言って祥子は事務所を後にした。唐沢は祥子を見送り事務所を後にした。自宅に着き部屋着に着替え、一息着いた頃、宮野が唐沢を訪ねてきた。


「予想以上。上出来だな」

「ちょっとやりすぎだと思うか?」

「そうだな。28試合に出場して、先発が26試合。114打数54安打、打率が4割7分3里、打点63点、本塁打0本。1本ぐらい本塁打があっても良いのではないか。ちょっと寂しい気がするけど」

「贅沢言うなよ。バットに当てる事は簡単だがホームランにするにはパワーがいる。筋トレの成果はそんなに直ぐには出ない。シーズン後半まで待ってくれ。このまま行くとシーズンオフに岡林に会うのが楽しみだ」

「今頃、青ざめているだろう」

「それでお前の見立ては?」

「そうだな。今シェパーズは129試合終わっている。だから規定打席は400(129試合x3.1=399.9)打席になる。お前の打数は114打席だから今の打率は参考記録。現在プロ野球の試合数は合計で143試合ある。これを規定打席に換算すると443打席になる。残りの試合に全て先発出場したとして、1試合4打席換算で170打席。いくら打率が良くても規定打席に到達は出来ない。つまり首位打者のタイトルは来年以降だな」

「ちょっと待て。来年も俺は選手でいるつもりはない」

「こればっかりは、俺にはコントロール出来ない」

「タイトルには興味はないが・・・。どうにかインパクトを残す必要があるな。何か良いアイデアはないのか?」

「そうだな。打点と本塁打は規定打席に関係ないから。本塁打は駄目としても打点は前の打者の出塁率にもよるがこの調子だと間違いなさそうだ。それにしても二十八試合で63打点は異状だよ」

「昨年の打点王は何打点だったのだ?」

宮野は、データシートに目をやった。「昨年の打点王は147打点だな。しかしこれは出来すぎだから今年は130打点以上ならまず大丈夫だろう」

「だとすると一試合何点取れば良い?」

「そうだな。残り試合が13試合。現在お前は63打点だから、13試合で67打点必要だな。つまり1試合だいたい5打点だ」

「なんだと!お前、さっき間違いないと言わなかったか?」

唐沢は、頭を抱えた。宮野は故意に言ったのかは定かではないが笑っていた。

「やっぱりお前に必要なのはホームランだよ。プロの投手は球が速いから、お前でも飛ばせると思うのだが」

「他人ごとだと思って簡単に言うよ」

宮野は、自分が深く考えずに言った事を認めた。


「もう一つインパクトのある方法があるぞ。それは新人王だよ」

「はいはい。それで?」真剣に聞くことを唐沢はあきらめていた。

「とにかく打つ事だよ。俺の予想では対抗馬は2人いる。1人目は、フォエールズの立見辰彦だ。やつは、高卒ながら開幕からベンチ入りしている。それも、ショートでだ。高卒で開幕一軍を勝ち取った選手はプロ野球の歴史からみても希だ。野球センスについては誰も文句を言えない。つまり、5年後中心選手になることは真夏の天気予報より確率は高いよ。しかし、立見に関しては恐らく大丈夫だ。今年の開幕一軍は、チームとして立見への投資だ。これまでの成績からも裏付けられる。厄介なのがジャイアンツの辻本啓太。やつは左投げの投手だ。昨年はでは神宮の星だったが今年からジャイアンツの星になるために磨きをかけている。やつも将来の球界を背負う逸材としての期待が高い。つまりおじさんのお前にタイトルを与えるよりも将来性のある辻本の方が有利だろうな」

「なるほど。球界のVIP会員って訳だな」

「そう言うことだ」

「それでどうすればいい。その辻本からタイトルを奪うには?」

「やっぱりインパクトだよ。実力の違いを見せつけるしかない。つまり辻本との直接対決でやつを打ち込むことだよ」

「そんな事か。それくらいは問題ないな。しかし、辻本には悪い気がするな。あいつには何の恨みもないからな」

「このまま野球生活を続けたいのか。長引くだけだし、お前のやっている事は全ての選手皆に悪いことだよ」

「一日でも早く引退したいけど、これをさせているのはお前だろうが」

「所詮、人間なんて公平じゃない。余計な情けは不要だよ」

「分かっているよ・・・不公平か・・・何か飲むか?」

「水割りでも貰おうかな」


唐沢はグラス2つとアイスボックスを準備した。そしてリビングボードからバーボンを取り出した。

「今日泊まっていくだろう?」と唐沢は宮野に尋ねた。

「今日は飲みたい気分だからやっぱりロックで頼む」と宮野は答えた。

唐沢はロックを宮野渡した。宮野はそれを一気に飲み干した。そして空いたグラスを唐沢に渡し、唐沢は先ほどの動作を繰り返した。宮野はグラスを受け取って言った。

「今日寄ったのはこの件なのだ」と言って宮野は週刊誌を唐沢に渡した。先ほど祥子が見せた週刊誌とは異なるものだった。それにはポストイットが挟まっていた。唐沢はそのページを見た。


 そこには祥子の身の上までが調べ上げられていた。唐沢関連の暴露記事は売れ行きが好調らしい。記事のタイトルは『玉の輿女性Sの本性』。中身は年齢から始まり、学歴、恋愛遍歴、家族構成、親の仕事までにまで至っている。その記事の一部に祥子を中傷する内容のものが有った。所々に不幸と言うスパイスを入れないと雑誌は売れない。スパイスのひとつに、祥子の父親が経営するタオル工場が多額の借金の為に倒産寸前であると書いている。今回の唐沢選手との婚約(誰も発表はしていないが)で父親の会社は間違いなく立ち直るであろう、と締め括っていた。


「借金って本当なのか?」

「ああ、間違いない」

「それで金額は?」

「俺が調べた所五千万だ」

唐沢はグラスを空けた。そしてウイスキーを足した。

「だったら契約金で清算出来る訳だな」

「それで良いのか?」

「おかしな事を言うね」

「おかしくは無いと思うが・・・・・・・」

「じゃあ、聞くが。何故、お前がもう借金の額を調べているのだ?」

「それは・・・記者の宿命だろ」

「まあ、良いよ。お前が祥子の事を心配している事ぐらい分かるよ。ただ、言わせてもらうがそんなに心配だったらお前がその借金を精算したらどうなの?」

唐沢は、ウィスキーグラスを目線まで持ち上げ宮野に向けた。宮野は、それに応じてグラスを鳴らした。


 翌日唐沢は試合後、祥子を食事に誘った。デビュー当時は試合後食事に行く体力は残っていなかったが、このところ体力的には余裕が出て来た。既に週刊誌には取り上げられていたので外食は気楽であるが、銀座の某フランス料理店の個室を予約していた。食前酒で乾杯をしたあと、唐沢は今日の試合から話題を変えた。

「決めていなかった事がある」

「何の事?ひょっとして結納の日取り?」

祥子は戯けてみせた。唐沢は微笑んだ。

「確かにそれも決めないといけない。でも、それ以外にも忘れていた事があった。もっと肝心な事で。社員の待遇に関して。俺は、野球選手である前に、経営者だから」

唐沢は偉そうに言った。


「何それ。どちらも中途半端じゃない」

「きついな。とにかく、社員の待遇は今問題になっているだろう。ブラック企業とか」

「給料はちゃんと頂いているけど。昇給の話?」

「確かに昇給に付いても決めないといけないな。でも、昇給以外に。例えば、賞与だよ」

「賞与ってボーナスの事?」

「そうボーナス。俺の探偵事務所は、完全成果主義で賞与の額を決める。つまり事務所の所得から、社員の貢献度で決める。ここまでで何か質問はある?」

「偉そうに。質問は無いわ」

「それで事務所の所得は幾らになっている?」

「ハッキリ言ってほとんど所得は無いわ。良いのよ。ボーナスなんていらない。毎月ちゃんとお給料頂いているからそれで十分」

「それじゃ、俺の気がすまない。社長だけが幸せになってもいけない。ちゃんと儲けは還元しないと社員は辞めて行くから。俺は、そんな会社を嫌と言う程見てきたから。今回の調査で宮野からはかなりの依頼料を受け取るはずだ。やつが約束を守れば、の話だけど。そして、やつは引き換えに特ダネを得るのだから。しかし、それは調査が終了してからだから今は払えない。シェパーズからは毎月100万が振り込まれている。半年で600万円になる。それに忘れてはいけないのは契約金」

「ちょっと待って。契約金は唐沢さんに支払われたのよ。私に関係はないわ。それにあれには条件があったはずよ」


 祥子は唐沢の言わんとせんことが分かったので声を荒げてしまった。唐沢には助けて欲しくない。

「祥子、最後まで聞いてくれ」

「ごめんなさい・・・」

「だからこれまでに5,600万円の所得があった。契約金は返還する恐れがあるが。それはそれとして。俺は貢献度を考えた。祥子は毎朝トレーニングに付き合ってくれた。それに寮に荷物を運んでくれたし、俺の我侭を文句も言わずに聞いてくれた。そして一番大きいのは祥子のプライベートを犠牲にした事。だから祥子の貢献度は9割、俺は1割とする。勿論次のボーナスの支給時にはこの数字は見直すけどね。つまり祥子は5,600万円の9割を受け取る。端数は切捨てとさせてもらうから。だから賞与の支給額は5,000万円とする。俺は公平に評価をしているから俺の下した判定に文句は言わせない。自分でもっと頑張っているから査定に納得出来ない場合はきちんとした理由があれば、話を聞くけど。それから、契約金を全額もらう条件だけど、絶対にクリアーする。あの岡本から全額出させてやる。あまり、俺は約束しないけど、これだけは約束する」


 唐沢は一気に思いを伝えた。そうしないとダメな気がしたからだ。

祥子はずっと俯いていた。思い詰めていた。唐沢は何も言わずに待った。先程と同じ様に祥子は無風の雲の様にゆっくりと唐沢を見た。

「私が言う事は何もないわ。お礼も言えない・・・」

「ああ。言葉なんていらないよ」

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