第10話 交差

 唐沢達が入団テストの準備をしている頃、吹石達の捜査も同様に進行していた。吹石は、荒川の知名度を考慮し聞き取りには細心の注意を払う様に田村に指示を出した。八百長以外で警察が動いていると明らかになると、漸く足下を照らし始めた一筋の光が隠れて仕舞いそうな恐怖に近い不安があった。この光はとても不安定で一度途絶えて仕舞うと明けない夜を迎える様に思えた。


 吹石は、一恵と小百合から得た情報を元に手分けをした。田村には、車の被害について調べる様に指示を出した。吹石自身は、自宅被害の調査に当たった。

田村は、荒川が所有している車が当時から買い換えられていない事実を掴んだ。荒川の所有している車はドイツ製であった為、近くの正規販売店を片っ端から当たり、販売店を特定した。


 警察手帳を販売店の店長に見せると水戸黄門の印籠のごとく、直に荒川が修理を依頼した日時を開示した。田村は、格さんのように今でも警察手帳を出す時には、背筋を伸ばし気持ちを込めている。店長は対照的であり尚且つ予想通り八百長事件との関連を田村に覗ったが田村は吹石の指示通り相手の鼻を摘まんだ。全ての修理に対して荒川からは被害届が出されていなかった。


 吹石は平日の昼過ぎ車を走らせた。目的地は、世田谷の一角にある住宅展示場である。住宅展示場は職業柄目にする機会は普通のサラリーマンより多い。その度に、自分が住宅展示場に足を運ぶ時は将来を共にすると決めた人と訪れると思っていた。もしくは、犯人が住宅展示場に逃げ込んだ時か。


 吹石は、迷い無くS販売が手掛ける、『木の温もりが家族の団欒を包み込む』をコンセプトに手掛けた家の扉を開いた。中へ踏み込む吹石の一歩目と同時に中に居たS社の女性社員が言葉を吐いた。

「いらっしゃいませ」


 その言葉は吹石のスーツ姿を見ても勢いを失わなかった。ここへ来場するほぼ90%に近い客は普段着の筈である。そして、その多くは複数で訪れると予想される。この言葉を発する事に対して間違ってはいないが、吹石に取ってはありがたくはない。


 女性はいつもの様に案内を始めた。吹石が靴を脱ぎスリッパに履き終えると既に男性の営業マンが目の前に立っていた。平日のサービスは過剰になるのだろうか。吹石は営業マンが行動する前に言った。

「こちらに池田さんいらっしゃいますか?」

男は名刺を差し出す手を止めて反応した。

「私が池田ですが・・・」

男の手には池田と書かれた名刺を握っていたが、吹石には渡さなかった。男は小柄で痩せていた。池田はどちらかと言えば技術者向きの面影をしている。眼鏡を掛けており客に対して強く購買意識を掻き立てようと喋くるタイプではなさそうである。

「ちょっとお話をしたいのですが?」

池田は吹石が何者であるか不確かな察しをつけたようである。

「私は警察のものです」

吹石は、池田の名刺を受け取る前に身分を明かした。幸運にも来場者は居ないようである。


「どこかお話が出来る所はありますか?」

吹石は、玄関から中を覗き込んだが玄関からは中が全く見えない。池田は困った様な表情を見せつつも直ぐに吹石を中へ案内した。他の客が来場する前に吹石を玄関から移動させたいようだ。


 池田には全く身に覚えが無い。池田は玄関から伸びる廊下を右に折れ、暖炉付きのリビングにある階段を上った。リビングに2階へと続く階段を配備する設計は豪華さを演出する。


 吹石は、エアコン代を気にしながら階段を上った。2階には部屋が4つありその内のひとつの扉を開き4人掛けのテーブルに吹石を勧めた。この部屋は、自分の寝室より広いが、家の仕様からすると、子供部屋と言ったところか。池田は、吹石の前に腰を下ろした。

「それでご用件は?」

池田は冷静に答えた。ここで話をする相手は希望に満ちた人達で、その大部分の人がここと同じグレードの家を建てられたらと夢を見ている。池田は、ここまで来る間に先ほど手に持っていた名刺を仕舞ったようだ。

「お仕事中に申し訳ありません。直ぐに話は済みます。荒川選手の事で今日は来ました」

池田は、怪訝な表情を浮かべたが何も言わなかった。

「荒川選手はこちらで自宅を建てられましたよね?」吹石は率直に尋ねた。

「それがどうかされましたか?」池田は認めた。

「最近、と言っても数年前までさかのぼって、荒川選手が自宅の補修を依頼されましたよね?」

「荒川様は私共の大切な家族であります。何故、その様な事を聞きたいのか教えて頂けますか?」

池田は抵抗を試みた。

「それは言えません。池田さんが話したとしても荒川選手に迷惑は掛かりません。仮に助ける事はあっても」

「具体的には何を知りたいのですか?」

「全ての補修の内容とその日付です。プライバシーどうのこうのと言わないで下さいよ。お互いにそんなに暇ではないですから。それに、署までご足労頂くのも恐縮ですから」

池田には選択肢はないようである。

「今は、分かりません。社に戻れば記録があります。本当に荒川選手を助ける事になるのですよね?」

「私はその様に思っています。今は、覚えている範囲で構わないので教えてください。いつ頃から始まったのか、荒川選手からの依頼は?」

「今年に入ってからだと思いますよ」

池田は直ぐに答えた。

「それ以前には無かったのですか?」

「記憶にないですね」

「ところで今の家はいつ頃建てられたのですか?」

「そうですね。およそ10年になりますかね」

「その間一度も無かったのですか?」

「最初の担当は私ではありませんが、引き継いだ時にはその様な事は聞いていません。荒川選手のような方の引き継ぎはちゃんとしていますから。あっ、すいません。語弊がありますね。他のお客さんの情報も同じように管理しています」

「構いませんよ」


 吹石は、笑った。少し間を置いて、池田は、深い溜息をついて言った。

「でも、どうして荒川選手がこんな目に遭ったのですか。今年は特に調子が悪いわけでもないですよね?」

これは吹石にも分からない。池田としても直接荒川に聞くことは出来なかったようである。池田が続けた。

「これは荒川さんの八百長問題と関係しているのですか?」

吹石自身この件に関しては自信がない。

「どうしてその様に思われたのですか?」

「根拠なんてありませんよ。ただの営業ですから・・・でもね、荒川選手とは長い付き合いで。信じられないですよ。あの人が八百長をやるなんて。まあ、今回のご自宅の件も同じくらいに信じられませんが・・・」

「荒川選手は何かおっしゃっていましたか?」

「何も。有名になると困ったもんだよ。と言って笑っていました」

池田は神妙に答えた。


 吹石は、池田に修理記録について念を押してから住宅展示場を後にした。車に乗り込むとエンジンを掛ける前に携帯を取り出した。相手は、Yスポーツ社の長瀬紀之である。記者にはある程度のネットワークを持っていた吹石であったが、長瀬は吹石よりひと回り年上であり、付き合いは長い。長瀬は我利私欲を優先する記者達とは違いすぐにそろばんを弾く事はしない。長瀬は直ぐに電話に出た。


「徹ちゃん。どうしたん?」

吹石は、携帯を少し耳から遠のけた。長瀬の声は相変わらず大きい。長瀬は吹石の事を『明日のジョー』に出てくる吹石の名前で呼ぶようにしている。

「今話せますか?」

「おお、ええよ。何でも聞いてくれ」

「ちょっと聞きたい事があって?」

「植田さん事やったら、進展ないわ」

「いや。別件です」

「珍しいやん。一つの事件を追いかけている時は他に目もくれへんやん。徹ちゃんは」

「そうでしたかね・・・つかぬ事を訊きますが、今年の荒川選手の成績ってどうですかね。例年と比べて?」

「藪から棒に・・・いつから八百長問題に首を突っ込んでんの?」

「これは捜査じゃないです。ちょっと気になりまして」

「まあ、ええわ。そう言うことにしといたるわ。成績は抜群でっせ。まあ、今年に限ったわけではないけどな。そやな、特に今年は凄いわ。八百長に関しては色んな情報が飛んでるけど、俺は、怪しいと思うで」

長瀬は、八百長問題に関する持論を展開し始めた。これを聞いていた吹石は強制的に電話を切ろうとした。

「徹ちゃん、思い出したんやけど、荒川選手の事で何か知りたいなら浅岡新聞の宮野君が一番詳しいわ。荒川さんの事なら誰よりもな」

「もう一度お願いします。浅岡新聞のなんて言いました?」

「宮野記者ですわ」

「ちょっと待ってください!」

吹石は、携帯を肩で支え内ポケットを探り、1枚の名刺を取り出した。それは、吹石が佐百合から預かった名刺であった。それを見ると宮野浩二郎とあった。

「徹ちゃん。どないしたんや?」

「長瀬さん。もの凄く助かりました!」

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