王子様っ娘『百合ぽい』

赤木入伽

王子様っ娘

【第一話】


 朝。二人の少女が揃って登校中でした。


 ただ一方の少女――神谷光樹は少女というにはあまりに――


「今日の風は一段と爽やかな香りだね」


 少女というにはあまりにイケメンな顔立ちで、身長も並の男より高く、制服もスカートではなくスラックスであり、少女漫画の王子様のようなことを爽やかに言い放ちました。


 そして隣に歩く少女――青森英里奈はお姫様のように目を輝かせる――わけでもなく、


「都市部の風に香りがあるとしたら、きっとそれは排気ガスの匂いよ」


「ふふ。そう辛辣なことを言わないでおくれよ。ほら、怖い顔してると可愛い顔が台無しだよ」


「クソ地味女にお世辞はいらないわよ」


 英里奈は吐き捨てるように言いました。


 本来、光樹が何かを言えば、男だって女だってオケラだってアメンボだって心をときめかせるものですが、この英里奈には通用しませんでした。


 光樹が「本心なんだけどね」と付け加えても、英里奈は睨みで返答し、光樹も小さく嘆息します。


 他人から見れば仲が悪そうですが、これが、この幼馴染み二人の平穏な日常でもありました。


 その証拠に英里奈からも世間話を振ります。もっとも、


「匂いと言えば、あんたシャンプー変えた?」


「おや。分かるかい?」


「はあ? なによ、その言い方」


 どんな話題であっても英里奈はこのように反発するのですが。


 英里奈は険しい顔をして言葉を続けます。


「あんたの言い方っていちいち癇にさわるのよね。前のシャンプーは芳醇な果物の香りだったけど、今日のは妖精が好きそうなお花の香りでしょ? それぐらい分かるわよ。ま、あんたってショートカットだけど髪質は撫でたくなるくらい柔らかいから合っていると思うわ。まったく地味女には羨ましい限りよ。だいたいあんたって可愛い系のお嬢様なものも割と似合うのよね。しかもあんたがする表情の中で一番可愛いのは何かに恥ずかしがる顔だし。あぁ、前にあんたのファンって子が、あんたの決め顔が好きって言ってたけど、私に言わせりゃその子はニワカね。あんたの魅力ってのは――」


 英里奈の言葉にはあくまでも棘がありました。


 しかし光樹の顔は、英里奈いわく一番可愛い表情になっていました。






【第二話】


 ひと気のない放課後、夕日が差し込む教室でのことです。


 青森英里奈は、神谷光樹によって壁に追いやられていました。


 まるで英里奈をその場から逃さないかのように。


 英里奈は光樹によって、いわゆる壁ドンをされていたのです。


 傍から見れば、二人は静かに甘い熱を帯びているように見えました。


 ですが、


「これをやられて、あんたのファンは喜ぶわけ? バカみたい」


 英里奈が言うと、光樹は苦笑しながら壁ドンをやめてしまいました。


「でも、緊張感は出ないかい? それに私は君の可愛い顔をじっくり見るのが久しぶりで、ちょっと新鮮な気持ちになったよ」


「はんっ。私の顔なんてせいぜい新鮮止まりでしょ」


 英里奈はいつもどおり反発します。


 この状況はもともと英里奈が興味本位で「ちょっとやってみて」と言ったにも関わらずです。


 ただ英里奈は続けます。


「まぁ、あんたの顔は綺麗だから、多少の目の保養にはなるのかしらね」


「……そうかい?」


 相変わらず不意に現れる英里奈の褒め言葉に、光樹は少し照れた様子で顔を逸らしました。


 だけど、


「だけど詰めが甘い。あんたの壁ドンはただ壁に追いやっているだけ」


 英里奈はまたさらに続けます。


「手本見せてあげるから、ちょっと交代。あと膝立ちして。私の身長に合わせて」


 英里奈は強引に光樹の手を取ると、立ち位置と身長差を反転させます。


「まず、壁ドンをしたら空いてる手で顎クイしなさい。それで目線を強制的に合わせてから顔を近づけるの。そうすれば、あんたのモデル並み高身長で相手は圧迫感を受けるけど、それでより強いドキドキ感が生まれるわ。しかも、ここまでされれば相手はキスを期待するけど、身長差からして実際にキスをするのはあんたになるから、相手は主導権を奪われたまたドキドキするわ。で、改めてあんたの女神級の顔を見せてみなさいよ。そうすれば誰だって瞬殺よ」


 英里奈は言いながら、言ったことを光樹相手に実践していました。


 壁ドンして、顎クイして、目線を強制的に合わせて、キス寸前まで顔を近づけていたのです。


 しかもその英里奈の顔は、夕日の影になっていつつも、それが逆に色を持っているように見えて、


 とても新鮮で、






【第三話】


「そこの君! ハンカチを落としたよ!」


「――え? あ! ありがとうございます!」


 それは放課後の校門前での、何気ない日常の一コマでした。


 けれど周りの女生徒は一斉に黄色い歓声をあげました。


 それだけ神谷光樹という少女はファンの子に人気があるのです。


「どうぞ。もう落とさないようにね。可愛いお嬢さん」


 言って光樹がハンカチを手渡した相手は、首元のリボンの色からして先輩なのですが、光樹も周りも気にしません。


「あ、ありがとうございます! このハンカチは一生洗いません!」


 先輩は裏返った声でお礼を言いますが、光樹は「ちゃんと洗ったほうがいいよ」と微笑を浮かべて言います。


 それはあまりに当然の返答なのですが、言った途端、笑った途端にまた周りの女生徒は大きな黄色い歓声をあげました。


「羨ましい」とか、「かっこよすぎ」とか、「私もハンカチ落とそうかな」とか。


 みんな自分が口説かれたかのように、頬を染めて、うっとりとした表情をしていました。


 一人の少女を除いて。


 険しい顔をした青森英里奈です。


「光樹、電車、遅れるわ」


 英里奈は端的な言葉で二人の間に割り込みます。


「ああ、そうだね。それじゃ名残惜しいけど、さようなら」


 光樹は言って、手を振ります。


 するとまた黄色い歓声があがり、通行人のおばあちゃんがびっくりしていました。


 しかし英里奈とともに歩みだした光樹は、もう後ろを気にしませんでした。


「待たせてすまないね」


「まったく、あんたの人気は異常ね。あの子たち、謎の電波でも食らってるんじゃないの?」


「それだと君だけ無事ってのは不思議だけどね」


「私があんたにキャーキャー言うなら、きっとカナブンにもキャーキャー言うわね」


「それって、ただの虫嫌いじゃないかい?」


 光樹はくすりと笑いました。


 それは、ファンの子にはあまり見せない自然な笑顔でした。


 ただ英里奈はふんと鼻を鳴らし、そのまま黙って歩き続けました。


 まもなく二人は駅にたどり着き、タイミング良く到着した電車に乗り込みました。


「あそこ、席空いてるわ。座りなさいよ」


「君が座るといい」


「最近鍛えてるのよ」


「そうなのかい? 初耳だけど」


「うるさいわね。さ・い・き・ん――、鍛え始めたのよ」


「ふふ。それじゃ、ありがたく」


 そんなやり取りもしつつ、二人はいつもどおりの各駅停車に乗っていました。


 ただ、二人が降りる駅に近づいた頃、英里奈はなんとなく時計を気にしました。


 学校を出て、三十分ほどがたったころです。


 すでに太陽は低くなり、オレンジに染まりだしています。


 冬が近い証拠でした。


「どうかしたかい?」


 光樹が問いますが、英里奈は「別に」と言って、


「あんたってファンの子にストーカーされたりしてたっけ?」


 やぶから棒に言い、光樹もわずかに目を見開きました。


「物騒な話だね。幸いにして、私のファンはみんな一線を守ってくれているけど、それがどうかしたかい?」


「たいしたことじゃないけど」


 英里奈がそう言ったところで、電車は二人の降りる駅に到着しました。


 光樹も鞄を持って立ち上がろうとしますが、おもむろに英里奈がその鞄を奪い取ってしまいました。


「鍛えてるって言ったでしょ。ただ、こんな光景をあんたのファンに見られたら、明日からあんたの荷物運びが大量発生しちゃうでしょ?」


「なるほど。確かにね」


 光樹は苦笑しますが、続けて柔らかい笑みになり、言葉を続けます。


「ありがとう」


「なによ。私が鍛えてるだけって言ったでしょ。お礼なんてやめてよ」


 二人は電車からホームに降り立ちました。しかし、


「いや――。すまないが、ちょっと甘えていいかい?」


 言うや否や、光樹は膝から崩れ落ちました。


 気絶するかのように、虚脱したように、光樹は地面に向けて倒れ込みます。


 ですが、倒れきる前に英里奈が鞄を捨て、光樹の身体を受け止めました。


 光樹は英里奈よりはるかに高身長でしたが、英里奈はしっかりと光樹を抱きしめ、その背中にしっかりと手を回します。


 ただ、その背中、全身はまるでマラソンでもしたかのように熱を帯びていました。


「家に電話しましょうか?」


 英里奈が問います。


「……いや、大丈夫だ。……少し休んで、……水でも飲めば家には帰れるだろう」


 光樹は深い呼吸をしつつも、柔らかい笑みを維持していました。


 そんな光樹を見て英里奈は溜息をこぼしますが、光樹に肩を貸して近くのベンチにつれていきます。


「まったく……あんた、昼ごろから調子悪かったでしょ?」


「はは、お見通しか。あんまり格好悪いところ見せたくなかったからね」


「体調不良に格好いいも悪いもないでしょ。ファンの子を気にするのもいい加減にしなさいよ」


 英里奈は光樹をベンチに寝かせると、「ポカリ買ってくる」と言い、駆け足で自販機に向かいました。


 残された光樹は、英里奈を見送りながら「ファンの子のこともあるけど――」と小さく口を開きます。


「私が、私の格好いいところを一番に見せたかったのは――」


 そう光樹は呟きましたが、その先の思いは、静かに呑み込みました。

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王子様っ娘『百合ぽい』 赤木入伽 @akagi-iruka

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