第66話 帝都への帰還





 ゲルマン王国からの出国とロマノフ帝国の入国は簡単だった。

 ゲルマン王国を出る時は、人数分の金貨を城門の管理官に支払えば入出国検査なしで通してくれるし、ロマノフ帝国入国時にはアナスタシアを知る管理官がルクルト―ルにいるから顔パスだった。

 それでも従者達はフードを外して顔を見せなければならなかった。

 ハルにはバルキュリア対策として亜麻色の髪のカツラとブルーコンタクトレンズを複製してもらっていたから、それも問題とはならなかった。

 だが、一つだけ気になる事がハルにはあったようだ。

「カツラのコピーは出来ました。でも、アンチ魔法を付加することは叶いませんでした」

 つまり亜麻色の髪に付加されている魔法無効化まではエンチャント出来なかったのだ。

「ですからこれは単なる亜麻色のカツラでしかありません」

 それはそれで別に問題ではなかったが、ハルが問題とする所は、魔法を無効化するアンチ魔法の存在だった。

「帝都で過ごしたいる時ぼくはアナスタシア様の口利きで魔導書庫でずっと魔法の書物を読んでいましたが、魔法無効化ツールに関しては積極的な記述は見つからなかったのです」

 ハルは知識という物に飢えている様子だった。

 物欲しそうな目で葵を見上げるハルだったが、葵にとって魔法は、この世界に来て初めて知った非科学的作用だ。

 スルーズの記憶を覗いても、彼女も魔法に詳しいわけではなかった。

 詰まるところ葵がハルに教授してやれる知識は、欠片かけらも持ち合わせていなかった。

「そうだ。この髪を提供してくれた女の子に会ってみるかい? マリータウンに暮らしているよ。その子に会えば何か掴める物があるかもしれないよ」

「はい。会ってみたいです」

 ハルは目をキラキラさせた。


 

「アナスタシア様は素晴らしいお方だな」

 ルクルト―ルを発って間もなく、走竜の手綱を握りながらリンダが言った。

「あんたが惚れるのも無理ないよ。あのお方は偉ぶらずわたしら家臣を友として接してくれている。あの方のためなら身命を賭しても構わないと思うよ」

「それはアナスタシア様の前で言ってはいけないよ。怒るから」

「そうだろうな。あの方なら」

「あの方は自分のために犠牲になったたくさんの命を背負い、涙しながらも、今を生きている人々を守るために行動しているんだ。だからキミも、これ以上あの方に背負わせてはいけないよ。この意味分かるね」

「ああ。分かるよ。母親以外に生きてくれと言われたのは初めてだよ」

 リンダは感情が表に出やすいタイプの人間だった。目を潤ませて葵を見た。

「ありがとう、軍師殿。わたしに生きて行く指針を教えてくれて」

(いい仲間が出来た)

 葵は清々しい気持ちで隊列を眺めた。

 先頭を走るのはハモンドだ。その次をスルーズとルーシーに守られた男装のアナスタシアがいて、すぐ後ろに葵とリンダが続き、最後尾はメリッサとポーラだ。

 二人の幼いバルキュリアには、アナスタシアに対する忠誠心は感じられなかったが、バルキュリアは交わした約束には忠実だ。

 アナスタシアとの主従関係もバルキュリアクィーンのスルーズと共にいる事で絶対のものとなっていた。

 それでも問題がないわけではなかった。ポーラである。

 自分を負かせたハモンドに情を抱いているのだ。

 何かと理由を付けてハモンドに寄り添うものだからルーシーの機嫌が悪かった。


「あら、かわいらしい彼女が出来て良かったじゃないの。この、ロリコン」

「誰がロリコンだ! おれは子供になんか興味ないよ」

「フン。どうだか」

 取り付く島もない。


 そしてルーシーもリンダに別の意味で興味を抱かれていた。

「ルーシー。あんたはアナスタシア様のサーバントと聞くがわたしと手合わせしてくれないか?」

 そう言ってすり寄っては、木剣で模擬もぎ戦を挑んで来るのだ。

 帰還するまでの五日で、数回に及ぶ試合は、互いに青アザを作っただけで、決着しないまま帝都エルミタージュの門を潜った。


「マジかよ!」

 華やかな平民街を歩いていると、リンダがいきなり頓狂とんきょうな声を上げた。

 ルーシーがロマノフ帝国にシュバリエと言うランキング制度を説明した後、ルーシーがA級シュバリエと聞いてリンダは驚いたのだ。

 更に、スルーズとは戦った事があるから理解していたが、アナスタシアがS級シュバリエと聞いて再び驚いていた。

「皇女殿下って、そんなに強いのかい?!

「アナスタシア様は本物だよ」

「あの方はわたし達よりも強いのよ」

 ルーシーに代わって実際に剣を交えたバルキュリアの少女達が言った。

「マジかよ……」

 リンダは前を歩くアナスタシアを見た後、再びルーシーに目を向けた。

「ルーシーはかなり強いのに、あれだけの腕があっても、ロマノフ帝国のS級シュバリエにも入っていないのかよ。わたしはこれでも、一応ゲルマン王国の武闘大会の勝者なんだよ。ロマノフ帝国の大会はなんて言ったっけ……マーシャルアーツだっけ? わたしの実力では本選出場がやっとなんだろうな。こんなんじゃ、ゲルマン王国が喧嘩吹っ掛けても、ロマノフ帝国に勝てるわけないよ。なあ、軍師殿」

 とリンダの目が葵に向けられた。

「そうだね。だから、ゲルマン王国はアルビオン王国と手を取りたがっているんだろうね。共同戦線でもしないと勝ち目がないからね」

 葵の言葉にスルーズが反応した。

《そのために、国境線にあたるレブリトール領ソドニアを落として、アルビオン王国との共同戦線を企てているんでしょうね》

〈そこで重要となって来るのが、シンクロ魔導師と重力魔導師の複合魔法だ。ゲルマン王国は攻撃のポイントをそこに置いている筈だ。それ以外に国境を突破するすべはないのだから〉

《心して掛からないといけませんわね》

〈そのためにもあのシンクロ魔導師をどうにかしないといけないね。それと空間転移魔法の使い手も曲者だ〉


 エルミタージュ宮殿の城門に到着した所で、

「わたし達の護衛はここまでです」

 とハモンドは上流貴族と特別な者でないと、この先にはいけない事を、初顔の三人に説明した。

 葵とアナスタシアはスルーズ達とは分かれて、皇帝ニコラスに視察報告する事になっている。

 一応ここで解散とした。

 リンダと二人のバルキュリアはスルーズに伴った。

 別れ際、葵はハルの頭を撫ぜた。

「ロゼ、ハルをエリーゼに会わせてやってくれないかい?」

 亜麻色の髪を提供してくれた少女の事である。 

「かしこまりました」

「後程カフェ・ド・マイストールで落ち合おう」

 そう言って葵はアナスタシアとエルミタージュ宮殿の正城門を潜った。

 真っ直ぐに伸びるエントランス通路は魔法石の輝きで、明るく照らし出されている。

 この世界の神々たちのブロンズ像が両側に立ち並ぶ、赤いカーペットを葵とアナスタシアは皇帝執務室に向かって歩いていた。

 通路には誰もいなかった。

 突然アナスタシアが葵の腕を取って、ブロンズ像の後ろに誘った。

「マリ―?」

 ブロンズ像の影に隠れると、アナスタシアは激しく葵に唇を重ねて来た。

 伝わるアナスタシアの情熱に圧倒されながらも、葵もアナスタシアの唇に答えた。

「お帰りなさい、葵」

 少女の目を向けるそんなアナスタシアは大好きだった。

「たたいま、マリー」

 葵はいい香りのするアナスタシアを優しく抱きしめた。

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