第63話 重力魔法 再び





 旅立つに当たって幾つか片付けなければならない問題があった。

 ルマンダでのカフェの運営はバルキュリアの従者(サーバント)に任せ、グレイ・ファントラを統括責任者に据えた。

 彼らの生活の安定はこれで計れる。儲けは彼らで分配してもよいが、無料で開いている診療所の運営も彼らに委ねた。

 当初リンダに担当医となってもらう筈だったが、どうしても葵に同行すると言って聞かなかった所を、A級治癒魔法保持者である彼女の母・ベティが診療所を請け負う事になった。

 薬の知識をバルキュリアの従者たちに教える事で、魔法と服薬の両面から病気と怪我に対処出来るよう、ベティの負担軽減にも努めた。

 葵は時間の許す限りコピー魔法の使い手とシンクロして、かなりの量の薬を備蓄した。

 ゲルマン王国の出奔は急ぐ必要があった。

 スルーズが監視の対象となっているのだ。しかも亜麻色の髪の魔法無効化ツールまで相手の知る所となっている。

 最早、ゲルマン王国内にスルーズの安住の地は望めなかった。


「いいんだね、スルーズ」

 走竜にまたがった時、葵はもう一度確認を取った。

「ぼくはマリーを愛しているけど、キミのことも大切に考えたいんだ。ゲルマン王国に留まるのはもう叶わないけど、エルミタージュが嫌ならロマノフ帝国の他の都市でも構わないんだよ。それともアルビオンにでも行くかい?」

「大丈夫ですよ、葵様」

 スルーズは意外とすっきりした顔でそう言った。

「わたしはあなたのサーバントです。あなたのおもむく所なら何処へでもお供します」

「ありがとう、ロゼ。それじゃ、出発するよ」

 葵が号令を掛けると、リンダが前に出た。

 索敵能力ではスルーズを上回るリンダに先頭を任せた。

 その後ろに葵が付き、両翼にメリッサとポーラ。そして葵の背後をスルーズが守った。

 スルーズは言わずと知れた最強の戦士だし、二人の少女は並外れた戦闘能力を持つバルキュリアと、ゲルマン王国屈指の剣士リンダだ。

 狙われているのはスルーズだと言うのに葵を守護する隊列だった。

〈明らかにぼくはこの中で最弱だからね〉

《守って差し上げますわ。ウフフフ》

 振り返るとスルーズはアサシンスタイルで微笑んでいた。

 メリッサとローラにはルマンダで買ったフード付きの黒いローブを羽織らせていた。

 道中何が起こるか分からない状況で、スルーズ達の魔力が塞がれるのは好ましくなかったから、魔法封じの亜麻色の髪のカツラは葵が持っていた。

〈スルーズがマークされている以上、これで誤魔化せるとは思えないけどね〉

《たぶん何処かで仕掛けてくると思います。今の所その兆候はないけど》

〈何事もなければいいけど〉

《そう願いたいものですね》

 葵は手綱を握るその手を強く握った。


 

 リンダは自分を見捨てたゲルマン王国を見限り、メリッサとポーラはスルーズに従うとした結果、三人とも葵のロマノフ帝国帰還に伴う事になった。

 ここから国境都市ミラジオまでは走竜で走って二日掛かる。

 何か仕掛けてくるとしたらその間だ。

 短い草がまばらに生えている乾燥した大地を疾走していた。

「重力魔導使いの八割ほどが、スルーズが付けた魔法無効化ツールで魔法そのものか使えなくなっているんだよ」

 手綱を捌きながらリンダが喋った。

「つまり生活魔法にも事欠いているってことだね」

「ああ。もっとも王国は個人の不自由なんて知ったことじゃないけどな。彼らの力を取り戻して、ロマノフ帝国の頭上から爆弾を落としてやりたいだけなんだよ」

「爆弾を落とすか…。クックックッ……。リンダの表現はいつもユニークだね」

 葵が笑うとリンダも、

「そうかな。アハハハハ…」

 とつられて笑った。

「ところで、ロマノフにはつてでもあるのかい?」

 リンダには葵の事を殆ど話していなかった。

「ぼくはね、ロマノフ帝国では諸葛亮孔明と呼ばれているんだ」

「ショカツ……コウメイ……? あっ、聞いたことあるよ!」

 リンダは葵の顔に右の人差指を向けた。

「異世界から召喚されたアナスタシア皇太女の軍師……! それって あ、あんたなのかよ!」

「そうだよ」

「それじゃ、昨日話してくれた愛している身分の高い人って言うのは、アナスタシアのことなのか?」

「そうなるね」

「あんたはまったく……護衛もなしに敵国に乗り込んで来るとは……。まあ、一騎当千のスルーズがいるからいいんだろうけど…」

 リンダはあきれたような顔を見せた。

「まあ、わたしが驚くくらいだから、あんたの顔はまだ割れてないってことだよ」

「顔が割れるって……?」

 写真もないこの世界にどうやって顔を知る事が出来るんだろう。

「ああ、これだよ」

 とリンダが片手で自分のかばんをまさぐり、取り出した物を葵に見せた。

(こ、これは…)

 葵は愕然とした。

 それは間違いない。ミシェールが持っていた魔道具の手鏡だった。

「この手鏡に大鏡からの情報が送られてくるんだよ。反対にこちらの情報も相手に送ることが出来る……いや、勝手に持って行かれてると言った方が正確かな? 王都プロシアンの大鏡の情報の殆どは、各地にバラまいたこの手鏡から集められるんだ」

「それじゃ、今ここでこうしていることは、全て王国側に筒抜けに……」

「慌てんなって」

 とリンダは苦笑した。

「よく見ろよ」

 とリンダは手鏡の持ち手の部分を葵に見せた。

 亜麻色の髪が巻き付けられていた。

 葵の背後でスルーズの笑い声がした。

「こちらの情報を知られることもないが、あちらの情報を得ることも出来ないってわけだ」

(なるほどね)

 葵はふと、帝都に赴いた時に皇帝ニコラスが言った言葉を思い出していた。

『魔導元帥の持つ大鏡で見せてもらったよ』

 シュバルツ平原での戦いの事である。

 つまりアナスタシア軍の中にこの手鏡を持った者がいたという訳だ。 

(それじゃ、ミシェールのような使い方をリンダも出来るのだろうか?)

 疑問に思った葵は、ミシェールの手鏡の使い方を手短に説明し、リンダにも出来るのか聞いてみた。

「いや、無理無理。この手鏡は大鏡に対して主従関係にあるんだよ。それを単独で、あんたが言うような使い方をするには、それを行使するためのS級のマナを持ってないと、主従関係は断ち切れないんだよ」

「つまりS級のマナを持った者なら、大鏡に代わって手鏡と主従関係を結ぶ事が出来ると考えていいんだね」

「まあ、そう考えていいんじゃない」

「それじゃ、この手鏡の主を変えてしまえば、一方的に敵の情報だけ仕入れて、ウソの情報を大鏡に流すことも出来る」

 葵がほくそ笑むと、リンダはしばらく考え込んでから答えた。

「S級マナがあれば可能だと思うよ。でも確実とは言い切れない。可能性はあるってことだけだ」

「ありがとう。参考になったよ」

《何かお考えがあるようですね》

 リンダとのやり取りが終わるのを待ってスルーズが語り掛けた。

〈ぼくは魔法の知識はゼロだからね。持ち帰ってミシェールに相談してみようと思う〉

《よろしいと思いますよ。彼女のマナはその方面ではスペシャリストですから》

 ですが、とスルーズは付け加えた。

《国土が違えば魔法障壁を超えられませんよ。つまり、ロマノフ帝国内でゲルマン王国の大鏡と交信することは出来ません。その逆も然りです」

〈ああ、そうだったね。キミの記憶にあったね〉


「止まれ!」

 背中から夕焼けが差し始めた時、リンダが走竜の手綱を引いて走りを止めた。

 緩やかだが冷たい風が吹く、夕暮れ時だった。

 赤茶けた不毛の大地の先に小高い砂丘が見えた。

 白いロープを羽織った一団がこちらを見下ろしていた。

「やっぱり出やがったか」

 葵は改めて自分のいる場所を確かめてみた。

 三方を砂丘に囲まれたこの地形はまさに「死地」と呼べる場所だった。

 踏み込んではいけない領域に、葵達は入っていた。

「左右の砂丘からもマナを感じるよ。囲まれちまったようだな」

(油断していた)

 葵は兵法に置いておくれを取った事を自覚した。

 魔法ありきのこの世界で、正攻法の兵法を仕掛けて来るとは考えてもみなかったのだ。

 地理的にも不利だったし、加えてどんな魔法を駆使して攻めて来るのか分からなかった。

 とにかくここは情報収集だ。

「リンダ。相手の魔法マナの種類を教えてくれないか? そしてその中にシンクロ魔法使いはいるのか?」

「いるよ。目の前の砂丘の上だ。そして周囲にいるのは重力魔法使いが……二十人もいるよ………!!………!!」

 声に出でない悲鳴を上げて真上を見上げたリンダの視線の先に、黒く巨大な球体が浮かんでいた。

「葵様!」

「スルーズ様」

 葵の下に皆が集まった。

 もはや逃げられなかった。

 重力魔法がまさに今、頭上から落下しようとしていた。

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