第62話 ゲルマン王国の黄昏





 バルキュリアに仕える従者(サーバント)で生存者していたのは十九人だった。

 ゲルマン王国軍人は一人も見つからなかった。

 崩壊した王立保養所跡地に彼らの居場所は、最早なかった。

 近くのヘイラ―村に身を置く案もあったが、村人を巻き込む事を恐れた葵は、一度ルマンダに戻ることにした。

(監視の目は何処にでもあるはずだ)

 地方都市とは言え五万人が暮らす街中では、流石にゲルマン王国軍も戦闘行為に及ぶ事はないだろうと踏んだのだ。

 ルマンダに戻ると街人まちびとが葵を出迎えた。

「アオイ様、よくお戻りで」

「うちの子供が病気になってね。どうしたものか悩んでいたんだよ」

「薬が切れちまって困っていたよ」

「怪我が治らないんだよ。頼むよ、アオイ様」

 と葵を取り囲んで口々に診療再開の声を上げた。

 葵は街の人達に押されながら、まずはメリッサとポーラの事を考えた。

 スルーズは亜麻色の髪を被り、二人の少女達にも髪の一部を付けているので見た目に問題はなさそうだが、ブルーコンタクトレンズはスルーズのみだった。

「スルーズはメリッサとポーラを連れて、とにかくハルの家で待っていてくれ。それからリンダは診察を手伝ってくれるかい?」

「えっ? わたしかい?」

「ぼくがマナを持ってないことは知っているだろ?」

 病気なら葵の薬で何とかなるが、怪我の回復には微力でも治癒魔法のマナの保有者が必要だった。

 それにシンクロを繰り返すごとに魔法マナは成長を遂げるから、そのうちリンダは治癒魔法師としてある程度の能力者になる事だろう。

(後はバルキュリアのサーバント達だな)

 リンダには診察助手以外に魔法マナの属性を見て欲しかったのだ。

 十九人のバルキュリアの従者達が使える魔法を検証した結果、彼らの能力を少し高めれば、紅茶と薬の製造(コピー)が可能になると分かった、

 それに加えて紅茶の作り方や薬の用途なども説明した。

 この街で暮らして行ける術を、彼らに身に着けてやりたかったのだ。



「ゲルマン王国は何故ロマノフ帝国に戦争を仕掛けるのかな?」

 昼休みに葵はリンダに聞いた。

 スルーズの読心魔法では三日前の記憶が限界だったからだ。

「貧しいからだよ。ロマノフと国境を接しているミラジオやアトライカ、それにここルマンダを除けば首都プロシアンくらいなのものさ。仕事してりゃ何とか食べて行ける豊かな街は」

 ルマンダが豊かな街と聞いて葵は言葉が出なかった。ゴーランドの支配から解放された直後のマイストールの方が、人々の暮らしはここよりもずっとましだったからだ。

 裏を返せば、ゲルマン王国がかなり貧窮していると言う事だ。

「わたしは子供の頃から運動神経が優れていてね、十五の時に軍にスカウトされたんだよ。ロマノフを制圧すればゲルマンに富がもたらされる。そしたらすべてのゲルマン人が豊かな暮らしが出来ると、入隊したてのわたしらに上官はそう話していたよ」

 リンダは手際よく後片付けをしながら話した。

「けどそれってさ、ロマノフからしてみればかなり理不尽な話だよな。富を持って行かれたら、今度はロマノフの民が貧乏になるってことだろ?」

「そうだね」

「世の中って両極端なんだよ。富める者と貧しい者が折り合い付ければいいのに、全部取ろうとするから戦争が起こるんだよ」

「全てがそうとは限らないよ」

「どういうことだい?」

「ぼくがよく知る身分の高い人は、自分の私財を投げうって貧困層の救済に当たったんだよ」

「それで」

「都市の片隅で暮らしていた貧困層の人達は、今では平民と同じ暮らしをしているよ」

「ほお」

 とリンダは嘲るような笑いを浮かべた。

「で、その身分の高いお方は、どれだけ儲けたんだよ」

「いいや、一切儲けは得ていない。そればかりか元本すら取り戻していないよ」

「じゃあ、何のために金を使ったんだよ」

「そうだな」

 葵は少し考えて、

「笑顔のためかな?」

「エガオ…? ハァ?! 笑顔ってもしかして……この笑顔のことかよ!」

 とリンダは笑い顔を作って見せた。

 葵はクスクスと笑った。

「そんなの聖人様じゃねぇかよ」

「その通りだね。あのひとは間違いなく聖女様だ」

 葵は窓越しにエルミタージュのある方角に目を向けた。

「女の人なのかい、その人は?」

「ああ」

「あんた、惚れているんだね」

「ああ。愛している」

「そうかい。あんたはすごくいいやつだよ。そのあんたが聖女様と言うくらいだから、大した御方なんだろうな、その人は」

「ぼくなんか彼女の足元にも及ばないよ。いい人過ぎて心配なんだよ。自分を犠牲にしてでも誰かを助けようとするからさ。見ていて危なっかしくて、放っておけないんだよ」

 リンダはクックックッと押し殺すように笑った。

「何惚気のろけてんだよ。アハハハ…」

 が、すぐにリンダは真面目な顔をした。

「あんたが夢中になるその人ってやつに会ってみたいもんだな」 

 リンダはまだ葵の素性を知ってはいなかった。ロマノフ帝国に諸葛亮孔明と言う軍師がいるのはリンダも知っていたが、それが葵だとは気付いていないようだ。

 昨夜の襲撃の対象に葵は含まれていなかった。ターゲットをスルーズとその一味であるバルキュリアに絞った上で動いていたらしい。

 先の国境での戦で、スルーズはアトライカで目立ちすぎたようだ。

 リンダの話ではスルーズは亜麻色のカツラを外して戦っていたらしい。

 そして兵士と闘いながら、戦闘に加わっていない魔導師達の髪にちぎった髪の毛を張り付けていた所を、目撃されていた言う。

 つまりバルキュリアであるピンク色の髪を露わにしていたのだ。

「最初はスルーズの行動の意味が分からなかったんだがね。ある時、髪の色が亜麻色に変わった魔導師が、ゲルマン王国上層部に訴えたんだよ。『魔法が使えなくなった』と」

 ゲルマン王国諜報局が調査に乗り出した事で、あの戦いで頭に髪の毛を付けられた魔導師だけが、それ以降魔法が使えなくなったと分かったようだ。

「調べた結果、それが魔法無効化ツールだと分かり、それを解くには張り付けた本人の手で外すか、あるいはその者が死亡でもしないと取れないと分かったんだよ」

「成程ね。ところで、どれくらい前からあそこにバルキュリアが住んでいる事を把握していたんだ?」

「詳しい話は知らないんだけど、王都の魔導師長が大鏡でスルーズを追跡していたらしいよ。その過程で王立保養所跡に住み着いたバルキュリアの存在に気付いたと聞いたよ」

「それでバルキュリア殲滅作戦にキミ達が呼ばれたってわけだね」

「だけど、桁違いの強さだね、スルーズは」

 リンダは呆れたように言った。

「メリッサとローラなら三人で囲めば倒せただろうけど、スルーズはきっとわたしら十人がかりでもダメだっただろうな」

「キミは仲間を殺したスルーズをやはり許せないか?」

「別に、そんな感情はないよ」

 リンダは相変わらずあっさりしていた。

「あの連中はわたしも含めて、ゲルマン王国の武術大会で最後まで残った十人だよ。何の繋がりもないままバルキラーと名付けられて、空中殺法を得意とするバルキュリアに対抗するための訓練を共に受けていただけだよ。名前だけは教えてもらったが、素性は全く知らなかったよ。お互いに」

「友情とかはなかったと言うことかい?」

「あるわけないだろ!」

 リンダは急に声を荒げた。

「人の持ち物は勝手に盗むわ。後で食べようと残していた食料はいつの間にか無くなっていたんだよ。油断も隙もありゃしない」

「どうりで連携が出来てなかったわけだ」

「もっとも、連携出来ていても、スルーズには勝てなかったけどな」

 待合室の方が少し賑やかになっていた。

「そろそろ診察を始めていいかな?」

 葵が言うとリンダは椅子の上で伸びをした後、ニコリとした。

「なんだかさ、その聖女様の気持ちってのが分かる気がしたよ。人助けって言うのも悪くないよな」

 言いながらリンダが診察室の扉を開けた時、再診の女の人が喜色を漲らせて入って来た。

「リンダ! やっぱりあんただったのね」

「お母ちゃん!」

 細目のリンダが大目を開けて声を上げた。

 リンダの母親のようだ。

 抱き合う二人を目にして、親子水入らずとばかり、葵は二人を隣りの部屋に招き入れ、次の患者を呼んだ。

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