第60話 重力魔法
夕闇が二人のいる部屋に
意識は失わなかった。だが、半年前にシンクロして以来のスルーズの記憶が葵の心の中に深く突き刺さっていた。
全てを上書きしたのではなく、欠けていた記憶だけを補ったようだ。
記憶の共有部分が短かった分、脳に与える負担も少なく済んだのだろう。軽いめまいはあったが意識を失う程ではなかった。
それはスルーズも同じだったようだ。少し頭を押さえてはいたが、葵と目が合うと力なく笑みを浮かべた。
だが、直ぐに視線を逸らした。
スルーズのその仕草の意味は、葵にも理解出来た。
スルーズが募らせる想いの多くは、葵に対する物だった。それは激しく切なく苦しい恋慕の想いだった。
(ぼくはこんなにスルーズを苦しめていたのか)
想像を超えるスルーズの想いの強さに葵は愕然とした。
そしてスルーズも葵が抱くアナスタシアへの想いの全てを、心に焼き付けたに違いなかった。
葵とスルーズはキングサイズのベッドの両端に腰を下ろし、 互いに背中を向け合っていた。
〈スルーズ、聞こえるかい? 〉
《ええ、聞こえています》
三メートル程離れていた。
〈この距離なら届くみたいだね〉
《はい。たぶん能力は回復したと思います》
〈それにもう、普通に目を合わせてもぼく達は大丈夫だと思うよ〉
《ええ、わたしもそう思います。と言うか、むしろ常日頃から短いスパンでシンクロした方が、脳への負担は限りなく少なく済むと思います》
それはそれで、ある意味問題がないわけではなかった。
常に自分の想いが相手に知られているなど、時としてそれは耐え難き事でもあった。
「アナスタシア様とは、恋仲になられたのですね」
スルーズが言葉で話しかけてきた。
「ああ」
葵は囁くような声で頷いた。
「ロゼ、ぼくはこの気持ちを抑えることは出来ないんだ。それでもキミのことも大切だ。その思いはマリーと変わらないよ。違いがあるのはただ一つだけ…」
「分かっています」
皆まで聞きたくないと言わんばかりに、スルーズが言葉を挟んだ。
その気持ちは今の葵なら十分に理解できた。それでもスルーズには嘘は吐きたくなかったのだ。
「葵様の気持ちは、悲しくなるくらい理解しています。それでも…」
とスルーズは不意に葵の背中から抱き着いてきた。
「あなたを愛しているから、あなたに愛されたいと強く願ってしまうの」
スルーズは誰よりも美人だと思う。全ての男性を魅了すそのスタイルもアナスタシアさえ凌ぐものかもしれない。
だけどスルーズは個別の意識を持つ葵自身でもあった。
「分かってるわ、葵様。自我を取り戻したあなたは、ようやく自分の大切さに気付きました。それに呼応してわたしを
葵はスルーズに掛ける言葉を知らなかった。
「そんな顔なさらないで……わたしはあなたを苦しめたいわけじゃないんです」
葵は小さく頷き、無理に微笑んで見せた。
「あなたがアナスタシア様を愛するのは仕方ないことです。だからと言って、葵様を愛するわたしの気持ちも尊重して欲しいのです。わたしの想いを捨て去れとは
「言わないよ、そんなこと。言う訳ないじゃないか」
〈ロゼに愛されるなんて、ぼくにはとても光栄なことだから〉
《そのお言葉を聞ければ十分です。アナスタシア様に対する背信行為は、わたしも決していたしませんから》
「でも、これだけは許して下さい」
スルーズは葵の背中を抱いていた手を離す間際に、頬にキスした。
「一つだけでいいの。わたしだけの場所をが欲しいのです」
《いつまでも葵様を困らせていては、それこそ本当に嫌われてしまいますわね。わたしはもう逃げません。いつまでも葵様のサーバントであり続けることを誓います》
〈キミがいると心強いよ。ありがとう、ロゼ〉
この先にどんな展開が待っているかは分からない。
スルーズだって新たな出会いがあるかもしれないのだ。
「ぼくはこの世界に来て初めて人生を楽しんでいるよ。あちらの世界では得られなかった喜びがここにはある。ぼく達はともに何かを探してこれからも歩んでいきたいと思うんだ。だからロゼ、キミの力が必要なんだ」
スルーズは苦笑を浮かべた。
「本当に葵様はズルイ人ね。そんな風に言われたら断れないじゃないですか」
葵は小さく笑った。
とその時、スルーズは急にシリアスな顔になり辺りの様子を窺った。
「葵様、外の様子が変です。敵意を持った者の気配を感じます」
索敵もまたバルキュリアの能力の一つだ。その力も回復したようだ。
耳を澄ますと、少し離れた奥の部屋で金属音がした。剣を交える音だ。
部屋を飛び出し走り出したスルーズの後を葵も追った。
《わたしの傍を離れないでください》
〈分かった〉
この場に一人残った方が危険なのだ。
「スルーズ様! 敵襲です」
ポーラが廊下に飛び出して来た。
三人の黒尽くめの人間がポーラのいた部屋から飛び出てきた。
「こいつら強いよ!」
別の部屋から飛び出したメリッサの後を四人の黒尽くめが追っかけて来た。
その中の一人を凝視するスルーズの目が一瞬黄色く光った。
読心魔法を使っているようだ。
〈奴らの正体が分かったのか?〉
《はい。この者達はゲルマン王国におけるS級シュバリエのようなものです》
〈つまり、対バルキュリアの訓練を受けた連中と言うんだね〉
《バルキラーと自称しています》
〈何人いる?〉
《十人です。でも問題ありません》
そう言うとスルーズは、メリッサと刀を交えている四人の黒尽くめの者に切り込んでいった。
流石にそれなりの訓練は受けて来ただけあって一撃で仕留める事は出来なかったが、それでもスルーズの敵ではなかった。十数合の間に四人とも葬っていた。
「こいつがボスのようだ! 気を付けろ! かなりの手練れだ! 全員で一人を狙え」
ポーラと剣を交えながら指示を出したの者がいた。女の声だった。
ポーラと闘っていた三人の背後から新たに三人の黒尽くめの者が現れた。
(これで十人か)
奥の部屋でも激しい物音がしていた。
《どうやら、グレイ達の方でも戦闘が始まったようです。この感じだと百人規模のゲルマン王国正規軍が乱入したみたいです》
バルキラーの六人はスルーズを囲んだ。
〈殺すな〉
《無理です。取り逃がせばバルキュリア以外の人間に被害が及びます》
奥の部屋でも戦いが始まっているのだ。ここを早く片付けて助けに向かいたいのだ。
〈致し方ないな〉
葵が黙認するとスルーズは蝶のように舞いながら、六人の黒尽くめ達をなぎ倒していった。
最後に残った隊長らしき女の両足に怪我を負わせた後、羽交い絞めにして床に抑え付けた。
「ポーラ、メリッサ。みんなを助けに行って」
「分かりました」
スルーズの指示を受けると二人は飛ぶようにその場を駆けだした。
捕らえた女が被っていた黒頭巾をスルーズが剥がした。二十歳くらいの金髪の女性だった。
「殺せ。わたしは何も喋らないぞ」
何も知らず、スルーズの瞳に鋭い眼光を向ける女だった。
黄色く光っていたスルーズの瞳がピンク色に戻った。
「もういいわ」
スルーズはナイフを手にすると女の喉元に押し当てようとした。
「ロゼ、もういいだろ? 戦えないんだよ、その
「葵様。そんなことでは何時かお命を落としますよ」
「待て…」
と女が喋った。
「そこの黒髪の男……アオイと言うのか? もしかしてルマンダで貧しい人たちを、お金も取らないで治しているあのアオイと言う医者なのか?」
「ぼくを知っているのか?」
「ああ…わたしの母がおまえに、いや、あんたに命を救われたと聞いた。そうだったのか……」
「抵抗は止めてくれないか? ぼくは争いたくないんだ。人が傷つけ合うのはもうたくさんだよ」
「優しいんだな…。でもな、その優しさが、この女が言ったように命取りになるんだよ」
と女の顔色が変わった。
「ヤバいことになっているよ、これは。アオイ、早く逃げるんだ! 重力魔法が…この建物の真上に作られているんだ!」
「何だって!」
葵とスルーズは同時に叫んだ。
「メリッサ達を呼びに…」
「そんな暇はない! 早く逃げろ!」
その女の必死な形相とスルーズの読心魔法が真実の一致見たようだ。
「逃げましょう!」
葵は女を抱えるとスルーズと共に建物から飛び出した。
日は暮れていた。
大勢の魔導師たちがいるはずだが、瀑布の轟音で、人の気配はかき消されていたし、ともかく今はそんな事に構ってはいられなかった。
葵は走りながら頭上より降りて来る真っ黒な球体を見上げた。
「早くしてください」
スルーズが急かした。
球体には触れていないのに、物凄い重圧を感じた。パワースーツを着ていなければ、間違いなく動けなかっだろう。
(重い……!)
気力を振り絞って圏外から脱出した。
間一髪だった。
球体が落ち、轟音が鳴り響くと、王立保養所は跡形もなく地面にのめり込んでいた。
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