第59話 アナスタシアとビデオカメラ
アナスタシアは帝都エルミタージュに到着すると皇帝ニコラスに視察報告と現状説明をした後、真っ先に向かったのはマリータウンだった。
ゲルマン王国から旅を共にした一行に解散命令を出したにも関わらず、彼らもアナスタシアに同行した。
森と美しい水を湛える湖の
作られた自然ではあるが、アナスタシアが大切にしたいお気に入りの場所だった。
「さすがは孔明の経営するカフェだ。マイストール店とは客入りが違う」
カフェ・ド・マイストール・エルミタージュ店の店舗の大きさにも、シャルルは驚かされたようだ。
「仕方のないことですわ、シャルル様。マイストールと帝都では人口が違いますわ」
ミシェールの言葉にシャルルも頷いた。
「贅沢を言ってはいけないよな。孔明のお陰でマイストールの貧困はほぼ解消していて、都市運営も初めての黒字だ。慎まねばならない」
「シャルルの言うとおりだ」
とアナスタシアがシャルルの言葉に便乗した。
「マリータウンに多くの店舗が出来たことで雇用を創出し、エルミタージュの貧困層も今は平民層と変わらない暮らし振りだ。後は貧困層の老朽化した建物や住宅の再開発を残すのみとなった」
アナスタシアは美しい街となったマリータウンの晴天の青空を見上げた。
「シャルル、出会いとは不思議なものだと思わないか?」
アナスタシアはシャルルに語り掛けた。
「キミとの出会いも、最初は戦場だった」
「そうですね」
「和睦を経て孔明とスルーズと出会ったことで、長年の懸念だった貧困層の救済を、ようやく成さんとする所まで来ている。マイストールもそうではないのか?」
「ええ。彼らがいなかったら今のぼく達はなかったと思います」
「スルーズは、やはり許せないか?」
「分かりません。今は少し落ち着いていますが、今度会った時、どんな顔をして接したらいいのか分からないのです」
「要するに、振り上げた拳をどう収めていいのか分からないと言った所だな」
「かもしれませんが…」
シャルルは深く溜息を吐いた。
「憎しみとかそんなんじゃないんです。どう言ったらいいのか……自分でも分からないのです」
「分かるよ。人の感情という物は、言葉では表現できない部分が多々あるからな」
アナスタシアの言葉にシャルルは頷くだけだった。
華やぐ湖畔の中で、アナスタシアのテーブルだけが音を失っていた。
「ところでハルのことですが」
と重くなった気分を払拭するようミシェールが口を開いた。
「わたしの見た所、ハルはすでにS級魔導師の資格を得るに相応しい七つ以上のS級魔法が使えています。一度エルミタージュの魔導師長様に見てもらってはいかがでしょうか?」
「そのことなのだが、わたしはハルをそっとして置きたいと思うのだ」
「どういうことでしょうか?」
飲みかけたカフェオレをテーブルに置いたルーシーが訪ねた。
「ハルのような
「そうかもしれませんね」
とハモンドが言った。
「わたしのような武人は、シュバリエとしての兵役を課せられても、それ以外の所では比較的自由です。でも、数少ない魔導師は…特に帝都で仕える魔力の強いS級A級の魔導師は、任務がない限りエルミタージュ城を出るのも許されませんからね」
「だからハルには魔導師登録をさせたくないのだ」
「アナスタシア様」
とルーシーが言った。
「ミシェールの父君のロベス様は、帝国屈指のS級魔導師でしたが、あの方は帝都を離れてマイストールに移られたと聞いておりますが」
「ええ。父は若い頃は帝都に身を置いていたようです」
ミシェールは口に運んでいた新作のフローラルティをテーブルに置いた。
「S級魔導師になったばかりの父は、宮廷に出入りしていた下町の娘と恋に落ちて、魔導師長に破門されたのです」
「下町の娘と言うのは、キミの母君のグロリアさんのことだよな」
「そうですわ。公的には破門になっていますが、本当は父と母の恋を成就させるための、魔導師長の計らいだったと父は言っていました」
「ともかく、それは例外だ」
アナスタシアは言った。
「魔導師長の計らいがあったからこそ、宮殿の外に出られたのだろう。通常そのような展開は有り得ない。ハルには自由であって欲しいから魔導師の道は選ばせたくないのだ。孔明だってきっとそう考えている筈だ」
もしハルが魔導師としてのレベルが凡庸であれば、
尋常でないハルの能力を知られてしまっては、帝国上層部が手放す筈もなかった。
「ハルはどうしたいの?」
ミシェールが優しく語りかけた。
ハルはアナスタシアを見た。
「ぼくは兄さんやアナスタシア様、それに皆さん達と行動を共にしたいのです。確かに魔法はもっと学びたいですが、魔導師とかの肩書きはいりません。ぼくは魔法で皆さんの力になれるのならそれで充分です」
「それでは、魔導師として宮廷に入る気はないと解釈してもよいのだな」
「はい」
しっかりと頷くハルに、アナスタシアの顔は
魔導師にもランクがあった。
ミシェールのように手鏡と言う魔道具を使ったS級魔力が一つある者はC級魔導師だ。S級魔力が三つある者はB級魔導師。五つある者はA級魔導師だ。
そして七つ以上ある者をS級魔導師と呼ぶが、ミシェールの見立てではハルはすでにその域に達しているようだ。
「皆の者、これはここだけの秘密にしてくれないか。ハルには自由な人生を歩んでもらいたい、わたしからのお願いだ」
シャルル達は同時に頷いて見せた。
シャルルとミシェールは昼過ぎにエルミタージュを後にした。
「アナスタシア様の警護に残ります」
そう言うハモンドとルーシーには強引に休暇を与えた。
「アナスタシア様は貧民街をどのような街にしたいのですか?」
二人になった時ハルが尋ねてきた。
その質問にアナスタシアは困った。自分にはその手のアイデアがなかった。と言うか、全て孔明任せだった事を改めて痛感した。
「実はこういった物を兄さんから預かっていたのです。貧困地区の開発に役立てるようにと言われました」
ハルは手のひらサイズの長方形の物体をアナスタシアの前に差し出した。
「これは?」
「ビデオカメラというものです」
ハルはそう言いながら果物の皮を剥ぐようにビデオカメラの側面を開いた。
唖然と見ているアナスタシアの前で、ハルは指先で何やら操作すると側面の小さなパネルに、突如と言った形で孔明の顔が映った。
「これは、通信魔道具か?」
時々こちらを見ているようだが、顔の表情がアナスタシアの知る孔明とは違っていた。
「葵、どうかしたのか? 何かあったのか?」
アナスタシアは画面に向かって声を掛けたが、横顔を向けたままだった。
「アナスタシア様、これは兄さんが元居た世界での映像ですよ」
「どういうことだ?」
アナスタシアには全く意味が分からなかった。
「う~ん」
と考えあぐねた様子のハルは、ビデオカメラを握ると、
「ビデオカメラの先にある少し丸みを帯びたガラスの板をレンズと言います。これからこの瞬間のアナスタシア様を録画したいと思います」
「録画?」
さっぱり分からない。取り敢えずハルの指示に従ってみようと思った。
「アナスタシア様レンズを見てくださいね。笑顔でも、怒った顔でも構いません。何かアクションしてください。あの、別にアクションがなくても問題はありませんが」
何かはよく分からないまでも、どうせなら笑顔に越したことはないと、アナスタシアは満面の笑みを浮かべた。
「葵、元気なのか?」
と言葉を添えた。
「はい。結構です」
ハルはそう言うとビデオカメラを、今度は開いたパネル側をアナスタシアに向けた。
画面を覗くとそこに満面の笑みを浮かべたアナスタシアの顔が映っていた。
『葵、元気なのか?』
とアナスタシアがついさっき喋った言葉が、ビデオカメラから漏れ出た。
「これは何の魔道具なのだ?」
「兄さんは科学と呼んでいました」
「科学?」
「ぼくらの世界に魔法があるように、兄さんのいた世界は科学と言うものが世界に大きく干渉しているそうなんです」
「つまり、最初に見せた葵の姿は、元居た世界でのことなのか?」
「はい」
とハルはもう一度最初の映像を見せた。
「兄さんが参考にしろと言ったのは、兄さんの姿ではなく、その後ろにある建物のことなんです」
「つまり、葵の世界に実際に立っている建造物を参考にしろと言うことなんだな」
「はい。ぼくは何度も見ましたからイメージは掴めています。アナスタシア様もこれを参考にして色々とアイデアを練って頂けませんか? 独りよがりにならずいろんな人の考えを下に開発を進めるようにと、兄さんから苦言を差されていますから」
「これを借りていいのだな」
「ええ。使い方は今から教えます。兄さんは、これをアナスタシア様に預かっていて欲しいと言っていましたから」
(葵がわたしに……)
他愛のない事だった。
しかし、どんな小さなことでもいい、孔明から何かを託されたと言う事がアナスタシアは嬉しかった。
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