第53話 アナスタシアの願い
アナスタシア達は取り敢えずルマンダに戻った。
心は深く沈んでいた。
(どうして、こんなことになったのだ……)
アナスタシアは孔明がくれたメテオラ鉱石の髪飾りに指を掛けた。
(あの時、どうすればよかったのだろう…)
キーポイントはルーシーが斬られたあの瞬間だ。
孔明を守りながらルーシーを助けるには、敵に致命傷を負わせる以外の手立ては思い付かなかった。
(それだけじゃない)
ルーシーがやられた事でアナスタシアは逆上していた。怒りに任せて、バルキュリアとは言え、ほんの少女に殺意を以て斬り込んでしまった。
(他に方法はなかったのだろうか?)
あれこれ最善の方法を思いあぐねた所で、最早後の祭りだった。
『ぼくはあなたを一人の女性として愛しています』
孔明の残した言葉が今も心に響いてくる。
彼らが去った後、アナスタシア達は物言わぬ四人のバルキュリアの少女達を一か所に集め、野に咲く花をその胸に手向けた。
ハモンドが埋葬を勧めたが、アナスタシアは首を横に振った。
いずれこの少女達を迎えに戻って来るだろうと思ったからだ。
埋めてしまっては却って困るだろう。
それに……。
(きっと孔明も来るはずだ)
待ち構えていれば逢える筈だ。
だけどアナスタシアはそれをしなかった。
してはいけないとも思った。
孔明と
まだ孔明とは繋がっている。信じ合えている筈だ。
だからこそ、今は「離」を選択したのだ。
(或いは…)
あの時、アナスタシアが自分の心を素直に打ち明けていたら違う展開があっただろうか。
(いや、その時ではなかった…)
スルーズを傷つけた直後なのだ。
告白など、あまりにも無神経な行為だ。
だから何も出来なかったのだ。
その場に座り込んだアナスタシアは、孔明の背中を見送る事しか出来なかった。
「アナスタシア様」
身を起こせるようになったルーシーが、ベッドの上で心配そうにアナスタシアを見つめた。
ルーシーの
「不甲斐ないわたしのせいで……申し訳ありませんでした」
「何度も同じことを言うな。キミが無事で何よりだ。それから、ハル。ルーシーを治してくれてありがとう」
アナスタシアはハルの頭を撫ぜた。
「いえ、ぼくは兄さんに頼まれたことをしているだけですから」
そう言ってハルは笑顔を見せた。
あの日から三日が経っていた。
ハルは孔明を「兄さん」と呼ぶ
当然ハルの姉・エミールが孔明に好意を寄せていた事も含まれている。
「アナスタシア様だったんですね」
とハルが眩しそうにアナスタシアを見上げた。
「何のことだ?」
「兄さんの愛する女の人って」
「よ、よさないか、子供のくせに」
アナスタシアは顔を背けた。
「彼はスルーズを選んだのだ」
「それは違います」
「違う?」
「スルーズ様は仲のいい兄妹のようだといっていましたから。アナスタシア様だって、それは分かっていらっしゃるでしょ?」
「そ、そんなこと言ってる暇はないだろ? ハル、そろそろ行く時間じゃないのか?」
アナスタシアが慌てたようにそう言うとハルはクスクスと笑った。
「行ってきます」
と部屋を出て行った。
二階の窓から外を見下ろすと、ハルは待っていたシャルルとミシェールと一緒に、向かいの建物に設けた臨時の診療所に向かった。
孔明の代わりにハルが診察代理を務めていた。
「この子は将来きっと、わたしの父を凌ぐ大魔導師になりますよ」
まだ十一歳と言うのに、ハルはミシェールも舌を巻くほどの多彩な魔力マナを持った少年だった。
「孔明様もそのことにお気づきになられたのでしょうね」
孔明に買ってもらったと言う、二十種類以上の魔石が組み込まれたハルの腕輪を見て、ミシェールはそう言った。
魔力だけではない。頭の回転も早かった。
孔明とは三十日以上一緒に暮らしていたようだ。
その
薬のコピーもその一環だった。
コピーに時間は掛かるが、喉の通りの悪い老人のために、水溶液に変化させた同一成分の薬を、ハルは
孔明にはなかった発想だ。もっとも孔明の場合、数万人の患者を一度に診ていたのでそこまでの余裕はなかったのだが…。
紅茶づくりでもハルのアイデアは発揮された。
孔明が今まで行っていた、乾燥~発酵~乾燥の作業工程を、多彩な魔力マナを利用して、
そしてハルは、孔明から聞いたスルーズとの繋がりを教えてくれた。
悪意を持った者によって、契約の腕輪を付けられたスルーズは、契約者から異世界召喚者殺害の依頼を受けたらしい。
異世界召喚者とは言わずと知れた孔明だ。
暗殺目的で部屋に忍び込んだスルーズだったが、孔明が契約の腕輪から彼女を解放した事で、二人の主従関係が生まれたと話した。
「兄さんはもちろんですが、アナスタシア様も、スルーズ様も、みんないい人達なのに、そんな人達が争うなんて…なんか悲しい」
ハルはそう言って視線を落とした。
「そうだな…悲しいな」
窓越しに流れゆく雲に目をやりながら、アナスタシアは小さく溜息を吐いた。
アナスタシアはルマンダの流行り病に一定の区切りをつけるまで、この地の滞在を決めていた。
(それに……)
預かっているハルを、孔明に返さなくてはいけないのだ。
(孔明にハルを返すまでは帰れない……ただそれだけだ……。他意は、ないのだ……)
自分でも分かっている言い訳だった。
「アナスタシア様、ただいま戻りました」
そう言って部屋に飛び込んできたのはハモンドだった。
息を切らしたハモンドが真っ先に目線を送ったのはルーシーだった。
起き上がってベッドに座るルーシーを見てホッとしたようだ。
「ハモンド、ご苦労だった。で、首尾はどうだ?」
ルクルト―ルに早馬としてハモンドを送った。
黙ったまま放っておいては、アナスタシアは消息不明扱いになってしまう。
「はい。いい保養地があったのでしばらくそこで骨休みをしたいと、皇女殿下の
「領主殿は、さぞ怒っていただろうな」
「そりゃ、もう……。城の外まで歯ぎしりが聞こえていたそうですよ」
「もう。止めてよ、ハモンド殿」
ルーシーが腹を押さえて笑った。
「わたしはまだ完治してないのよ…。笑わせないでくれます?」
「いやぁ、申し訳ない。ルーシー殿」
「相変わらずだな、キミは」
アナスタシアも少し笑えた。ハモンドがいると救いになると思った。
ハモンドはアナスタシアに向き返った。
「エルミタージュへの伝言は、ルクルト―ルの早馬に託しました」
「刻限は
「一月です。それが限界だったでしょうね。最初
クックックッとルーシーが腹を押さえて顔を歪めた。
「だから止めてって言ってるでしょ? ……本当に…お腹が痛いのよ…もお」
「ルーシー殿、申し訳ない。悪気はなかったんですよ」
「分かってますわ。あなたの一言一言がいつも面白いのよ。元気な時はいいけど、怪我している今は拷問よ」
「拷問ですか? なんか癖になりそうですね」
「それ、笑えないですよ」
プイっとルーシーは顔を背けた。
ルーシーには受け入れられなかったようだ。
だけど、ルーシーが拗ねたような仕草を見せるのは珍しかった。
(成程……そう言うことか)
顔を背けるルーシーの機嫌を窺うハモンドは、困った顔を見せながらも何処か楽しそうだった。
ルーシーも満更ではなさそうだ。
アナスタシアは笑顔の後、小さく吐息を漏らした。
(頼む。キミ達は間違わないでくれ)
拗ねたルーシーと困り顔のハモンドを眺めながら、アナスタシアは強くそれを願った。
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