第52話 愛しき人





 ハルの手を引く葵は、アナスタシアとスルーズのほぼ中間で立ち止まっていた。

「どういうことだ……? スルーズ! …孔明…!」

 込み上げて来る怒りを、全霊を込めて抑え込んだようなアナスタシアの声だった。

「わたしはバルキュリアの生き残りです」

「ロゼ……」

〈それを…言ってはいけない〉

《もう、隠しようがありません》

「葵……孔明様。騙してごめんなさい。わたしはバルキュリアなんです。素性を隠してお優しいあなたに近づいたことを許してください」

「ロゼ…なにを言ってる…?」

《口裏を合わせてください。あなたが何も知らなかったことで、丸く収まります》

「待ってくれ」

《言葉にしてはいけません。わたしの心に返してください》

「ダメだ出来ない。キミはぼくのサーバントだ」

 葵は、祈るような眼差しのアナスタシアを離れてスルーズの前に立った。

「スルーズに聞きたい……」

 アナスタシアは出来るだけ理性的でいようとしていた。

「わたしの兄さまを殺したのは……キミなのか?」

 スルーズは首を横に振った。

「そうか……信じよう…」

 アナスタシアはホッとした顔になった。

「ですが、トーマス様を討ったのは、わたしの姉です」

〈どうしてそれを言うんだ?!〉

 葵は心の中で怒鳴った。

 アナスタシアは咄嗟に右手を剣に掛け、左手でその右手を押さえ込んだ。

「でも…それは…キミではない…そうだろう?」

 スルーズは頷いた。

「分かった……。もっと、よく話し合おう。キミと孔明のこれまでの功績を思えば、こんな所でたもとを分かちたくない」

「アナスタシア様」

 と葵が言った。

「ぼくも嘘を吐いていた部分があります。今ここでこれまでの経緯を、スルーズに代わって話したいと思います。聞いていただけますか? ハモンドも、ルーシーも。そしてロイも」

 と葵がシャルルに目を向けた時、彼は剣を抜いた。

「スルーズ!! おまえなのか! 兄上を殺したのはおまえなのか!!」

 突然シャルルが大声を上げた。

「兄上が殺された時わたしは、走り去るピンク色の髪を見たんだ!!」

 スルーズは視線を落とした。

「あれは…あの後姿はキミだったのか!? 答えろ!! スルーズ!!」

 一瞬の沈黙の後、スルーズは頷いて見せた。

「やはりそうだったのか!」

「ロイ、聞いてくれ。あの時スルーズはサダムに契約の腕輪をはめられていて、自分の意志で行動出来なかったんだよ」

「キミもそれは知っていたのか? だったら何故わたしに話してくれなかった? そもそもスルーズはキミと一緒にこの世界に召喚されたサーバントではなかったのか?」

「ロイ、すまない。スルーズはこの世界の人間だ。キミとミシェールがシュバルツの森のログハウスで初めてスルーズを見た時、あれがぼくとスルーズの出会いでもあったんだ。あの時スルーズはサダムの契約に従ってぼくを殺そうと忍び込んで来たんだが、契約の腕輪をぼくが外してやったことで、スルーズはぼくのサーバントになったんだ」

「それでは、スルーズも異世界人だといつわっていたんだな」

 葵も言い訳出来なかった。

「二人してわたしをたばかっていたのか?」

 シャルルは剣を構えて一歩進み出た。

「待て、シャルル」

 アナスタシアが間に割って入った。

「スルーズの契約の腕輪の一件のように何か事情があるのだろう。話をしっかりと聞こうじゃないか」

「そうですよ、シャルル様」

 ミシェールがシャルルの腕を取った。

「孔明様もスルーズ様も、わたし達のために随分尽力してくれたじゃないですか」

「ミシェール、キミはロベスを殺した犯人がスルーズじゃないからそんなこと言えるんだ……。わたしだってスルーズを敵だと思いたくはない。でもな……心が許さないんだよ。いくらサダムに操られていたとしても、わたしの兄を殺したのは、スルーズなんだ!」

 シャルルは零れ落ちる涙を拭おうともしないで、剣を構えた。

 と、その時だった。

「スルーズ様!! 助けに来たよ!」

 五・六人の少女達が疾風の如く駆けてきた。いずれもピンク色の髪と瞳を持っていた。バルキュリアだ。

「待て! 攻撃してはダメ!!」

 スルーズは止めようとしたが、少女達はスルーズの近くにいた葵とシャルルに刃を向けて突進した。

「お願い! 止めて!」

 スルーズはそのうちの三人の剣を受け止めたが、後の三人の少女はそれぞれシャルルとルーシー、そして葵に切りかかった。

「孔明!!」

 アナスタシアが飛び出し葵を庇った。

「わたし達に攻撃の意志はない。剣を収めよ!」

 アナスタシアはバルキュリアの打ってくる剣を受け流しながら防いだ。

 ハモンドもアナスタシアの意図を察して、シャルルを背後に庇いながら防戦に徹していた。

 アナスタシアもハモンドもS級シュバリエだ。

 S級シュバリエは、元々バルキュリアとの戦闘に特化した人材育成に置いで生まれた階級である。バルキュリアと互角に渡り合える戦闘力を身に着けた者の証なのだ。

 つまりA級シュバリエとの実力差は明白だったし、B級シュバリエのシャルルでは相手にもならなかった。

 そんな、懸念していた悲劇は間もなく起こった。


「あああぁ!」

 数十合剣を交えたルーシーが、バルキュリアの少女に腹部を刺されてうずくまった。

「ルーシー!!」

 守りに徹していたアナスタシアが、打ち込んで来るバルキュリアの少女の胸を貫いた。

「ぎゃぁぁぁ!」

 悲鳴を上げて倒れる少女に、アナスタシアは顔面を蒼白にしながらも、ルーシーに止めを刺そうとするバルキュリアに下に飛び込んだ。

「おのれ!!」

 電光石火のアナスタシアはその少女と数合打ち合った挙句、その胸に剣を差し込んだ。

「きゃー!!」


「ルーシー殿の仇!」

 ハモンドも、アナスタシアに呼応するよう防戦から攻撃に転じて、バルキュリアの胸を剣でえぐった。

 優れた治癒能力を持つバルキュリアと言えども、心臓を突かれては一溜りもなかった。三人とも即死だった。 

 


「よくも、やったね」

 飛び込んで来たメリッサはアナスタシアと十数合にわたって剣を交えた。


「マインとミリアとアリサがやられた! 敵討ちよ!」

 と叫びながらハモンドに向かった二人の少女は、五・六合剣を交えた後、一人は肩を斬られ、もう一人は胸を貫かれ絶命した。


「よくも! よくも! ルーシーを!!」

 アナスタシアは鬼神の如くメリッサを責めた。

 押されていたメリッサは距離を取ろうとしたが、アナスタシアは間合いを詰めてくる。

「こ、こいつ強いよ……キャア…!」

 メリッサはアナスタシアに剣を弾き飛ばされた。

「おのれ!!」

 理性を失ったアナスタシアはメリッサに刃を当てようとした。


「やめて!!」

 飛び込んで来たのはスルーズだった。

 そして剣ではなく、その肉体でアナスタシアの刃を受け止めた。

「ぐあっ…」

 痛みを堪えるように短い声を上げたスルーズの胸元に、アナスタシアの剣が刺さっていた。

「スルーズ様……!!」

「ロゼ!!」

 葵とメリッサが倒れようとするスルーズを抱きとめた。

「お願い……みんな…もう止めて……」

 スルーズは喀血しながらもそう言った。

「スルーズ……」

 アナスタシアは力なく剣を足元に落とした。

「メリッサ」

 と葵が少女を呼んだ。

「ぼくはロゼを連れて行く。キミはもう一人の少女を連れて行くんだ」

「分かった……」

 不利な状況は理解しているようだ。ここは退却しかなかった。

 メリッサは素直に葵に従った。

「ハル。必ず迎えに行くから、今はルーシーの治癒をしてあげてくれ。アナスタシア様はキミを粗末にはしないから」

「分かりました。兄さん」

 葵はリュックをハルに預けた。

 この中には治癒魔法では治せない薬などが入っていた。

「薬がなくて、スルーズは……大丈夫なのか?」

 震えるアナスタシアが聞いた。

「心臓さえやられてなければ、回復します。だって…」

 バルキュリアだから、と言いかけて止めた。

 パワースーツは重量を軽減するアシストスーツだから、スルーズを背負う事にあまり負荷は感じなかった。

 痛みがあったのだろう、スルーズは小さく呻き声を上げた。

「痛かったかい? ゴメンね、ロゼ」

「……大丈夫ですよ。ありがとう…ございます」

 スルーズは葵の背中に体を預けてくれた。

「重く…ないですか?」

「ぼくは平気だから、気にしないで」

「はい…」

 アナスタシアは傍で倒れているルーシーを膝の上に乗せた。

 息はあった。ハルはすでに治癒魔法を始めていた。

「行くのか…?」

 アナスタシアは、座ったままの姿勢で葵の腕を掴もうと手を伸ばしたが、躊躇ためらった挙句、虚空を握りしめた。

「やはり、わたしの傍に来てはくれないのか?」

 葵は唇を噛んだ。

「スルーズの居場所は、もう、ありませんから…」

「そ…そうか……」

 アナスタシアは何か言葉にしようと口を開いたが、思いを塞ぐように何も言わずに口を閉じた。

 仲間を殺されたスルーズと、瀕死の重傷を負わされたルーシー及び、兄を殺されたシャルルの思いを、この場で解決するのは不可能だと、アナスタシアも悟ったに違いなかった。

 葵はスルーズを背負ったまま、同じく仲間を背負うメリッサと共にアナスタシアに背中を向けて歩き出した。

 そして森の中に入った時、葵は一度足を止め、アナスタシアを振り返った。

「アナスタシア様……不遜ながら、ぼくはあなたを一人の女性として愛しています。どうか、くれぐれもお元気で…」

 再び歩き出す葵の心は、背負うスルーズよりも、遥かに重いと感じた。

(さよなら、愛しき人)

 能面のような無表情の葵だが、その心は慟哭していた。

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