第48話 バルキュリアの少女





 首都プロシアンに向かって、葵は走竜をジョキング程度のスピードで走らせていた。

 エミールを失ったハルの気持ちに配慮して、数日留まるつもりだったが、ハルと同じ結核にかかった者への治療に追われてしまった。

 近所の数人を治療して終わるつもりだったが、噂を聞いて駆けつけて来た人々を放置する事が出来ず、治療に当たった結果、一月ばかり滞在してしまったのだ。

 帰ると約束した刻限はとっくに過ぎていた。

(アナスタシア様、ごめんなさい)

 そう思いながらも、スルーズを見つけるまでは帰れなかった。


 葵の前にハルを抱えるようにして乗せていた。

 急ぐ旅ではないし、ハルが走竜に馴れるまではゆっくり走る事にした。

(このペースでは、プロシアンには三日はかかるな)

 ルマンダから首都プロシアンの道中にはいくつも集落はあるが、必需品を買い揃えられるような、店舗の充実した街はなかった。

 防御柵で囲まれた村が見えた。

「ほら、村が見えたよ。今日はここで宿を取るよ」

「ここは何処?」

「ヘイラ―村らしいよ。ぼくも初めて来たんだけどね」

 スルーズの記憶にはあるが、葵が来るのは初めてだった。

 ヘイラ―にはいくつかの宿と食堂が一つあった。

 近くにヘイラ―湖があり、そこから流れ落ちるヘイラー瀑布ばくふが観光名所になっていた。

 そう、村の名称は、観光名所であるヘイラ―瀑布と湖が由来となっている。

 滝のすぐ傍には、王族専用の王立保養所があったが、バルキュリーの襲撃によって先王・リーデルフ・ハイネンが殺害された後、放置された。

 リーデルフ・ハイネンの殺害は他ならぬスルーズの仕業だった。

 廃墟となった王立保養所はアウトローの住処になっているなどの噂もあって、観光客が激減し、村は以前の活気を失っていた。

 それでも首都プロシアンまでにある宿泊施設は、ヘイラ―村を含めて三つの集落しかなかった。

 ともあれ、日が明るい内にヘイラ―村に着いたのは良かった。

「乗り物酔いはしなかったかい?」

 ハルはな笑顔を向けた。

「大丈夫です。兄さん」

 と表現したのは、完全に虚弱体質を克服したわけではなかったからだ。

 それでも葵は、ハルが乗り物酔いをしないと分かって安堵した。

 宿を確保して散歩がてら外に出ようとした時、

「湖ってどんな所なの?」

 ハルが珍しく好奇心を覗かせた。

「行ってみるかい? この時間だと、湖面に映った夕日がとてもきれいだと思うよ」

「行ってみたい」

「わかった」

 葵も湖には興味はあった。

 開発地区の湖とその周辺の緑地は、それなりに満足出来るものだったが、それを凌ぐ自然の造形美を見つけたなら、それを参考に今からでも修正したい考えもあった。

 湖は村を出て走竜で走って十分くらいの所にあった。

 走竜を走らせたのは、本気の走竜の走りにハルを慣れさせる目的もあったし、日暮れまでには村に帰りたくもあった。


 ヘイラ―湖は葵が思っていた通り、夕日が水面を赤く染めていた。

 村には数人の旅人はいたが、湖まで来る者はいなかったようだ。

 湖の下にある滝の近くにはアウトローの住処と噂される、廃墟となった王立保養所があるからだろう。

 噂の域を出ない情報だし、ここはヘイラ―瀑布から少し離れている。

 葵は慎重に見えて、存外無防備な所もあった。

「お茶でも飲もうか」

 葵の提案にハルは頷いた。

 ハルは手際よくミルクティとコーヒーを入れた。

 コーヒーの作り方や入れ方はすでにレクチャーしていた。

「どうぞ、兄さん」

「ありがとう」

 ハルの入れるコーヒーやティーはすでに葵を超えていた。

「うまい」

「本当? 」

「ぼくよりも上手だよ」

「良かった。兄さんに褒めてもらえて嬉しいよ」

「自信を持ったらいいよ。キミはみもうぼくを超えているんだから」

「そんなことないよ」

 ハルは可愛くもはにかんで見せた。

(弟って、こんな感じなのかな?)

 兄弟のいなかった葵には新鮮な感覚があった。


   ガサッ ガサッ。


 とその時、葵の背後で枯れた草を踏む音がした。

「いい匂いね」

 そこに現れたのはピンクの髪とピンクの瞳を持った少女だった。

(バルキュリアなのか?)

 確か全滅していたとスルーズは認識していたが、生き残りがいても不思議ではないと、葵は思った。

 葵は目が合ったハルに首を振って見せた。

(無関心でいろ。バルキュリアと気付かない振りを知ろ)

 と伝えたかったのだが、頭の回転の速いハルは小さく頷いて見せた。

 おおよその意図は汲み取ったようだ。

「ぼくたちは旅の者だよ。湖の夕日がきれいと聞いて見に来たんだが、キミもかい?」

「あんた見慣れない人よね」

「旅人って言っただろ?」

「分かってる。それじゃなくてあんたの髪と目の色のことよ。真っ黒な人は初めて見たよ」

「そうなの? ぼくの国ではほとんどが黒髪・黒瞳だけどね」

「東の方から来たのね」

「ああ、そうだよ」

 飄々ひょうひょうと喋る葵に少女は舌打ちした。

「わたしが何者か知っているんでしょ?」

「ゲルマン人って答えたらいいのかな?」

「違うわよ。みて、この髪とこの瞳を色を」

「ああ、きれいなピンク色だね。そういえばゲルマン人って殆どがブロンドだったよね? じゃあキミはどこか遠くからの旅人なのかい?」

「あんた、本当に何にも知らないの? わたしはね、バルキャリアなのよ」

 少女は苛立ちを見せながらも勝ち誇ったように胸を張って見せた。

「バルキュリア……? 済まないねぇ。ぼくはあまり地理に詳しくないから、キミが何処から来たのか分からないんだよ」

「このぉ……」

 少女は葵を睨みつけた。

 だけど葵はそんなのいざ知らずの顔で、ミルクティの入ったティカップを差し出した。

「ここで出会ったのも何かの縁だ。温かい物でも飲んでいったら?」

「なに、それ?! さっきからいい匂いさせているヤツなの?」

「ミルクティだよ」

 とハルが初めて会話に加わった。

 そして勇気を振り絞るように、カップを持って少女の前で立ち止まり、彼女にミルクティを差し出した。

 少女はゆっくり口を付けた後、目を丸くして、すするように飲み干した。

「美味しい。これがミルクティなんだ。こんな飲み物なのね。お替りできる?」

「どうぞ。ハル、入れて上げて」

「はい」

 とハルがティポットを手にすると、

「ちょっと待って、あんたの飲んでいる物も気になるわ」

 少女は葵の方を指さした。

「分かりました」

 ハルは素早く応対した。

 コーヒーの入ったポットをカップに注ぐと、

「ああ、これよこれ」

 と少女は鼻をクンクンさせながら目をつむった。

「いい匂いだと感じたのはこっちの飲み物よ」

 そう言った後、少女は一口すすった。

「少し苦いわ。でも…これ、好きになりそう」

 見た目は子供だが、大人の味覚を持っているようだ。

 少女は最初チビチビと飲みながら、最後は一気に飲み干した。

「美味しかった。ご馳走になったわね。美味しかったから許してあげるわ」

 と少女は意味深な笑みを浮かべた。

「本当はね。あんたらを殺しに来たのよね、わたし」

「殺しに? 穏やかじゃないね」

「ゲルマン人はわたしらの敵だけど、あんたはゲルマン人じゃないでしょ? ゲルマン人にあんたのような黒髪の人はいないからね」

「キミは冗談がきついね」

 葵は笑って見せた。

「そんな細腕で、いくらなんでも人は殺せないよ」

 少女の顔色が変わった。

「今の言葉取り消して。ちゃんと謝ってくれたら、許してあげる。そうでないと、殺す」

「冗談は止めといた方がいいよ」

 葵はなおも煽った。

「大人をからかうのは止した方がいいよ。ぼくは温厚だからいいけど、大抵の大人は皆短気だからね」

 少女の目の色が変わった。そして剣を抜くと、

「わたしも短気なんだよ!」

 飛ぶ鳥の勢いで葵に突進してきた。

(早い!)

 葵の反射神経では到底間に合わない。

 少女の剣先が葵の眉間を貫こうとした瞬間、間を割って入った何者かが、少女の剣を弾き飛ばした。

 葵の前にガーデニングキャップを被る長身の女性が剣を握っていた。

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