第46話 ルマンダの姉弟



 バルキュりーの廃村は三年前のスルーズの記憶と殆ど相違なかった。

 直径三キロ程の円形の陥没の中にあった。

 手付かずのまま放置されているのだ。

(三ヶ月以上過ぎているんだ……今頃来たって……とっくに通り過ぎているよな)

 バルキュリーに向かいがてらも、それは分かっていた。

 それでも、何らかの消息があればと、葵は万が一の可能性に賭けていた。

(さて、これからどこに向かおうか)

 純粋に斥候なら、首都プロシアンにいるはずだ。

 それ以外の目的なら正直な所お手上げだ。

 バルキュリーが崩壊した後、スルーズが身を寄せる場所はなく、復讐のため二年ほどゲルマン王国内を点々とした後、ロマノフ帝国に身を置いたのだから。

 葵はバルキュリー村をもう一度見降ろした。

 スルーズが思いを寄せる場所は、ここ以外に見当もつかなかった。

(ロゼ、何処にいるんだよ。このままお別れなんて、ぼくはイヤだよ)

 日も暮れようとしていた。

 葵はバルキュリーを離れ、宿を取るため近くの町を探した。

 ゲルマン王国は国土全体が温帯に属する気候だ。

 そして今は、元居た世界で言う所の冬に当たる季節だ。

 当然の事ながら野宿は避けたかった。

 薄暗くなると心細くなってきた。

 だけど、見渡す限りの雑草と林の地平線に、人の営みを感じさせる物は何もなかった。 

(寒いな……)

 走竜は寒いくらいの方が調子いいのか、走り方がご機嫌だった。

 足元に目をやった。

 舗装されてはいないが、公道を走っているのは間違いなかった。

(バルキュリーから一番近い街は、地方都市ルマンダだ)

 気持ちを集中させるとスルーズの記憶が鮮明に浮かんでくる。

 スルーズが二人の姉と一緒に買い物に訪れていた通いなれた街だった。

 やがて目の前にある小高い山すそを、右側へ回り込むように進むと、街の明かりが見えた。

 ルマンダだ。

 ここは、首都プロシアンと国境の要塞都市とを結ぶ中継地点だった。

 行商人や旅人も多いが、最も出入りが多いのは軍属だろう。

 葵が今走って来た道は、バルキュリーを含む北の辺境の村に向かう支道なので、誰とも出会うことはなかった。

 だが、石畳が敷き詰められた本道に合流すると、その様相は一変した。

 アトライカ・ミラジオ方面から首都プロシアンに向かう者や、逆に首都から各地方都市を訪れる者が街道を往来していた。

 とは言え、夜のとばりが下りるこの時間帯だ。

 宿舎のあるルマンダを目指す者が圧倒的に多かった。

 葵もそんな彼らに混ざって走竜を

 やがて地方都市ルマンダが見えてきた。

 規模で言うとマイストールほどの大きさだろうか。

 城壁はマイストールよりもさらに低く、七メートル程だろう。敵に備える要塞都市とは比較にならないくらい防御に向かない城壁だ。

 ルマンダがこれまで戦禍を免れていた証だ。

 城門の通行はスムーズだった。

 門兵はいるもののこちらを見向きもしない。城門は解放されて、検問する様子もなかった。

 城内は、マイストールとは明らかに違う活気に満ちていた。


「お兄さん、変わった出で立ちだね。黒髪に黒い瞳なんて珍しいわね」

 と白い花を髪に差した若い娘が声を掛けてきたが、泳いでいる目線が気になった。

「旅の人なんでしょう? ねぇ、泊るところ決めたの? よかったら、わたしの宿に来ない?」

「そうだねぇ…」

 葵はさり気無く辺りを見回して、首を横に振った。

「知り合いの所に留めてもらうよ。それじゃね」

 若い女とのやり取りを、建物の影から覗き見ている男達に、葵は気付いたのだ。

 女をおとりにして、呼び込んだ男を囲んで、金品を奪う手口のようだ。

「そう、残念ね」

 女は何故かほっとした顔をした。

 葵は走竜を降りると、物陰からこちらを見る男たちの死角を突く形で、背中を向けようとした若い女の手の中に、金貨を一枚握らせた。

 振り返り何かを言おうとする若い女の唇に、人差指を当てると、葵は走竜を引いてその場を離れた。

 葵は人通りの多い繁華街から、少し寂れた裏通りを彷徨さまよっていた。

 繁華街の宿屋らしき所を当たってみたが、いずれも満室だった。

(どうしたものかな)

 気が付くと、薄暗い怪しげな裏路地に入りかけていた。


「そこは駄目よ」

 と先程の若い女が葵の手を取ると、その場から走り出した。

 繁華街ではないが、人通りの多い明るい場所で若い女は足を止めた。

「さっきはありがとう」

 と言っておいて少し顔をしかめた。

「でもね、ロマノフ金貨は駄目よ」

「ロマノフ金貨? ああ、そうか」

 葵はスルーズの記憶の中で見落としていた事を思い出した。

 金貨・銀貨・銅貨、それぞれの含有量はロマノフ・ゲルマン・アルビオンの三国に置いて、基準の統一がされていた。

 だから、国境に隣接する都市なら、交易の便宜上、他国の通貨も換金する事なく使用可能だった。

 だが、国境都市を出て内陸で使用する場合は、自国通貨のみ使用可能とされていた。

「もしかして、お兄さんの手持ちのお金は全てロマノフ通貨なの?」

「ああ、そういうことになるね。換金するのを忘れていたんだよ」

「お兄さん何処から来たの? ロマノフから来たとは思えないんだけど…」

 若い女は葵の黒髪と黒い瞳を覗き込んでそう言った。

「東の果てから来たんだよ」

「アルビオンから?」

「もっと向こうからだよ」

 と葵は適当な事を言っていた。

「そうなの…。ねえ、うちに泊まりにおいでよ」

「ああ……それは…」

 葵は建物の影に目をやった。

「あいつらはいないよ」

 葵の視線に、それを感じたようだ。

「確かにさっきは、お兄さんのこと騙すつもりで誘ったの。あいつらに弱みを握られていたから…」

 でも今は違う、と若い女は葵の目を見て言った。

「お兄さんがくれたのは、ロマノフの金貨だからすぐに使えないけど、少しボラれるけど、この街にも換金屋はあるんだよ。金貨一枚だと銀貨八枚に換えてくれるよ。だから今夜は人を騙さなくて済むわ。ありがとう」

「弱みを握られているって言ったよね」

「うん……病気の弟がいるの。薬や治癒魔法のお金がなくて、悪い奴らの言うこと聞いていたんだけど、薬を買うだけのお金を中々くれなくて」

「ぼくは医者なんだよ」

 すました顔で嘘を吐く。

「本当? ねぇ、お願いだから弟を診てよ。お礼だったら何でもするわ」

「屋根のある所に泊まれるんなら、それがお礼だよ」 

 葵は再び若い女に手を引かれて裏通りに入っていった。



 若い女の名前はエミールと言った。葵と同じ十九歳だ。

 四・五畳くらいの広さの部屋が二つ。その奥の部屋で十歳くらいの男の子がベッドに横たわっていた。

「ハルっていうの。元々咳ばかりしている体の弱い子なんだけど、四日ほど前に熱が出ると、それが下がらなくなったの」

 葵は体温計でハルの体温を計った。

 四十度の高熱だった。息が荒く、目が虚ろで意識が朦朧もうろうとしていた。

 葵はリュックから薬箱を出した。少し強めの抗生物質と解熱剤に胃薬を添えて飲ませた。


 二時間ほどでハルの熱は下がり、呼吸も整い軽い寝息を立てていた。

「ありがとうございます。なんてお礼を言っていいのか分からないわ」

「別に気にすることはないよ。それより少し横になりたいんだが…」

「いいわ。隣の部屋のベッドを使って」

「でも、あれはキミの部屋のベッドだろ?」

「わたしは弟の傍にいるわ。眠くなったら弟の隣りに眠るから、気にしなくていいわ」

「そう? 悪いな。ベッド借りるよ」

 葵はエミールの部屋に入ると、汚さないよう衣類を着替えてからベットに入った。

(さて、明日はどうしたものか……)

 スルーズが何処にいるか分からない以上、取り敢えず首都プロシアンに向かうしかないだろう。

 そんなことを考え巡らしていたら、部屋のドアが開いてエミールが入って来た。

 エミールは下着姿になっていた。

「エミール? どうしたんだ?」

 エミールはそれには答えないで葵の隣りに体を滑り込ませた。

「わたしはあなたに何にも返せないから、せめて伽の相手でもさせて欲しいわ」

「ちょっと待って」

 身を起こそうとする葵の胸にエミールは顔を埋めた。

 エミールの髪に差した白い花からいい匂いがした。

「わたしはもう、きれいな体じゃないのよ。これから先も色んな男がわたしの体を通ってゆくわ。あなたはその一人に過ぎないのよ。だから気にすることはないのよ」

「そんなのダメだよ」

「仕方のないことなの。貧乏に生まれた者の宿命なんだから。それよりもわたしはね、あなたのことが気に入っちゃったのよ。こんな気持ちで男に抱かれるなんてこと、この先きっとないと思うわ。だから、わたしのために抱いて欲しいの」

 葵だって男だ。

 こんな風に迫られては動揺しない筈もなかった。

 だけど……。

「ともに寝るだけにしよう」

「えっ?」

「ぼくには愛する人がいるんだ。その人を残して旅に出たから、裏切ることは出来ないんだよ」

 葵がそう言うと、最初唖然としていたエミールが、笑い出した。

「あなたって、思っていたよりいい人なんだ。あなたに愛されているその人って、幸せものね」

「そんなことないさ。傷つけて泣かせてしまったこともある……」

「わかったわ。わたし、弟の隣りで寝るわ」

「すまない」

「いいよ。ところであなた名前は?」

 孔明を名乗ろうと思ったが、その名前はゲルマン王国内にも知れているかもしれないと思った。

「アオイだよ」

 むしろ、人に知られてない本名の方が無難だと思った。

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