第44話 スルーズの帰郷
スルーズは今、大きく陥没したバルキュリー村を見下ろせる所にいた。
ここは高台ではない。陥没から免れたバルキュリー村の外れだ。
亜麻色のスルーズの髪がそよ風に揺れた。
エルミタージュを離れてから十日になるが、あの日以来、スルーズは亜麻色の髪を外さなかった。
葵自身気付いてないかもしれないが、彼のシンクロ魔法は更なる進歩を遂げていた。
スルーズがマナを発動しなければ、葵はシンクロ出来なかったのだ。
だが今では、スルーズが開路しなくても葵の心の声が、勝手に頭に飛び込んで来るようになっていた。
つい最近では、スルーズの心まで読み取られる気配を感じ、驚愕としてしまった。
スルーズは少し伸びた亜麻色の髪を右手に触れた。
(この髪がなかったら、あの時きっと、わたしの悲鳴を葵様にも聞かれていた……)
あの舞踏会の夜、アナスタシアと葵がキスする場面を、胸が張り裂ける思いで、スルーズは覗き見ていた。
葵の気持ちは知っていた。
だが、辛い気持ちを抑える事は出来なかった。
溢れる涙を止められず、誰にも悟られないよう会場を飛び出してしまった。
それでも、翌日は何事もなかったかのように、葵の前でもどうにか平静を装った。
(わたしはサーバント。お二人が結ばれてもなお、葵様にはお仕えします)
そう心に誓った。
その筈だった。
だが、その翌日アナスタシアと葵が並んで歩く後姿を見ている時、
〈アナスタシア様が好きだ……大好きだ〉
突然、葵の心の声がスルーズの頭に響いた。亜麻色の髪を付けているのにだ。
(やめて!!)
スルーズは頭を抱え込んだ。
(聞きたくない! そんな言葉なんか!)
魔法封じの亜麻色の髪さえ通じない、葵の底知れぬ能力の向上に、スルーズは恐怖とも恥辱とも付かない感情に襲われた。
(わたしのこの感情……葵様には知られたくない!)
だけど、葵の能力の著しい成長を思えば、近いうちにスルーズの心の隅々まで覗かれてしまうのは間違いなかった。
(そんなの凌辱じゃないの……)
今の葵の成長段階では、距離を取れば葵の心の声を聞かなくて済むし、スルーズの胸の内を抉り取られる事もない。
だけどそれも、時間の問題だ。
(葵様の心内を聞くのは辛くても我慢して見せるわ。でも、わたしの胸の中をすべて覗かれるのはイヤ! そんなの我慢できない)
見た目は成熟した大人のようだが、その心はまだ十七歳の多感な女の子だ。
(葵様に会いたい)
アナスタシアに恋する葵の姿を見るのが嫌で逃げて来たと言うのに、離れて尚、想いは深まるばかりだった。
ふと、人の気配を感じた。
「誰だ!」
スルーズの声に草むらから若い男女が姿を現した。敵意はなさそうだ。
姿を現した二人のうち若い女……少女と言った方がいいだろう、頭に巻いていたバンダナを外した。
「お、おまえは……!」
スルーズの目の前にピンクの髪とピンクの瞳を持った少女が立っていた。
「バルキュリアなの? ……キミも…」
「キミも……? やはりそうでしたか」
スルーズよりも五つくらい年下と思われるその少女はニコリとした。
「あなたもバルキュリアなんですね」
「ええ」
スルーズも亜麻色の髪とブルーコンタクトレンズを外して見せた。
少女は驚きと興奮を露わにしてスルーズに寄り添った。
「あなたは、もしかして…スルーズ・ロゼ・ランブルフ様ですか?」
「わたしを知っているのですか?」
「はい。スルーズ様はわたし達に代わって
「英雄とは大袈裟よ。復讐のため国王リーデルフ・ハイネンを討ったのは確かにわたしだけど…」
「とにかくスルーズ様、生き残ったバルキュリアの隠れ家に来てくれませんか?」
「生き残り? あの攻撃から生還した者が他にもいるの?」
「はい」
少女の話では三年前のあの攻撃の時、村を離れていた数人の子供たちがいたようだ。
彼女もその時のメンバーで、他にも五人の子供たちがいると話した。
「気にはなっていたんだけど、わたしのように従軍していた事で、災厄から逃れていた者もいたんじゃないの? そんな人は知らない?」
バルキューリーが襲われた後、スルーズは復讐に燃えて関係者達を暗殺していったが、もう一つの目的は生存する同族を探すためでもあった。
「生き残ったのは、多分スルーズ様だけだと思います」
と少女は申し訳なさそうに言った。
「ゲルマン王国からすれば、バルキュリアを殲滅させる千載一遇のタイミングだった筈です」
ケルマン王国にとって、一騎当千と呼ばれるバルキュリアの存在は、最前線に置いてこれ以上心強い味方はいないが、同時に埋伏の毒と成りかねない脅威でもあった。
いつかは排除するべき存在だったのだ。
「あの時、有力な
そう言えばスルーズの二人の姉も懐妊して里帰りしていた。
「そのタイミングを狙われたと言う事なのね?」
「正確には、ゲルマン王国にそう
少女の隣りでずっと黙っていた少年が口を開いた。
少年と言ったが、スルーズと同じくらいの年齢だろう。
「
「媚薬です」
「媚薬?」
噂には聞いたことあるが、性欲を催させるたり、相手に恋情を起こさせる伝説の薬である。
「媚薬の出所ははっきりしませんが、従軍していたバルキュリアの食事の中に混ぜていたらしいのです」
つまりその薬のせいで二人の姉は発情してしまったと言うのか。
だが、スルーズにはその兆候はなかった。
スルーズがその事を話すと、少年は笑って答えた。
「きっとその時、スルーズ様には意中の人がいなかったんじゃないですか? 飽くまで媚薬は恋心や性欲を高めますが、確実ではありません。やはり心に留めている相手がいないと、発情しないと聞き及んでいます」
上の姉バーバラ・ルミは、その相手が好きだったのかどうかは分からないが、下の姉エリーナ・ゼルは、自分を傷つけたヒルーデ・アイ・レーニエ男爵に執心だったのは知っていた。
「ところで」
とスルーズは二人に目をやった。
「キミ達の名前をまだ聞いてないんだけど」
スルーズの言葉に二人は驚いた顔で見合った後、同時に頭を下げた。
「すいません。ぼくはグレイ……グレイ・ファントラです」
「わたしはメリッサ・スウ・ローデンです」
読心魔法はこんな時便利だ。
二人に嘘はなかった。
「ところで、そっちの彼…グレイは何者なの」
「ぼくですか? ぼくは…と言うよりぼくの家系は、古代バルキュリー王国の重臣だったんです。だから今までも影となりバルキュリー王家の末裔であるあなた方を見守って来たのです。ぼくの父やお爺さん、お爺さんのお爺さん…そのまた先のご先祖様方が、ずっとずっとあなた方を見守って来たのです」
「古代バルキュリー王国?……なによ、それ」
スルーズには初めて耳にする言葉だった。
「スルーズ様は、何も聞かされてないようですね。と、言うよりも、王家の血を引く方々は、いつの時代からかは知りませんが、その伝承を次の世代に伝えなくなっていたのです」
「それは何故?」
「争いをしないためです」
「争い? どう言う……」
と言いかけてスルーズなりに察する物が浮かんだ。
要するに自分たちがこの国を治めていた王家の血統を自覚する事で、王権復興を旗印に立ち上がる者が出てくるからだろう。
「つまり、キミ達はわたし達を監視してきたという訳なのね」
「…はい。遠からず当たっています。ぼく達も今や、ゲルマン王国国民ですからね。バルキュリー王国の伝承を引き継ぐ者として、あなた方への敬愛とは別に、今の王国の安寧を思う気持ちもありましたから…」
でも今は、とグレイは怒気を浮かべた。
「こんな酷いことをしたゲルマン王国を……捨て置くことは出来ません」
グレイは陥没したバルキュリーを見下ろした。
「スルーズ様」
メリッサがスルーズの手を取った。
「わたし達の仲間に会って頂けませんか? そこでこれからのことをお話ししませんか?」
「そうね…」
(葵様がどんどん遠くなってしまう……)
「いいわ」
スルーズは葵への思いを断ち切るように頷いた。
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