第40話 舞踏会のアナスタシア






 ゲルマン王国との停戦交渉は優位に運んだ。

 何よりも葵の作った未知の武器と、三キロ先から放ったハモンドの常識外れの射程に、相手方は度肝を抜かれたようだった。

 会談では一見冷静な対応を示したゲルマン軍交渉団だったが、アサシンスタイルのスルーズは、その心中しんちゅうを見落とさなかった。

 温情派のアナスタシアが敵の話術にはまりそうになると、スルーズがかさずホローに回り、逆に相手方交渉団のふところえぐった。

 中途半端な情報は、何も知らないより不安を抱くものだ。

 こちら側の情報は一部だけさらしておいて、食らいついた所で煙に巻くネゴシエーターのテクニックだ。

 ゲルマン帝国側は、見た目の君子然の態度とは反して、顔色は蒼ざめていた。

 スルーズは立ち上がり凛とした表情でゲルマン軍を眺めた。

「あなた方がお望みであれば、我々の精鋭部隊が先日のような兵器を以て、各城塞都市からの一斉攻撃が可能なことを認識してもらいたい。後はこの戦後処理をあなた方がどのような誠意の下で解決なされるのか、わたし達はただ、それを示して頂きたいだけなのです。おこなったことの責任を取れないのであれば、ソドニアにはすでに配備済みですし、ミロール・バリオス・レビリアは言わずと知れたこと……。争いを嫌うわたし達の意を酌み平和的解決されるか、破滅の道を歩むかはあなた方次第です。さいを握っているのがあなた方だと言うことを、くれぐれもお忘れなく」

 参謀長のパウエル公爵は一言も口を出さず、スルーズの横顔を頼もし気に眺めてニヤリとしていた。

 会議場の様子を、黄色の魔石を通じてみていた葵は、スルーズの一挙手いっきょしゅ一投足いっとうそくを見事だとほくそ笑んだ。

「どうかいたしましたか?」

 ハモンドが小首をかしげた。

「いえ、思い出し笑いだよ」

 と言ってまた笑った葵だった。




 アナスタシア軍は一月振りにエルミタージュに帰還した。

 バリオス地方防衛戦の第一功はアナスタシアとハモンドと事前通達されていた。

「孔明あっての勝利なのに。それにスルーズの交渉術も見事だったのに」

 とアナスタシアは不承不承だったが、催される祝賀会に水を差す事になるし、葵のその力は秘匿したい考えもあって黙って受け入れた。

 ハモンドもあの時の風魔法がアナスタシアだけの力でないのは薄々感づいていたようだが、敢えて触れて来なかった。

「大丈夫か? 孔明」

 エルミタージュ宮殿の皇室迎賓館に向かう通路で、アナスタシアが心配そうに葵の顔を覗き込んだ。

 矢傷の事ではない。完治とまではいかないが、生活に支障が出ないところまで回復していた。

 相変わらずの馬車酔いだ。

 酔い止めを飲んでいたとは言え四日間走り通しなのだ。

 それでもレブリトールに向かった時に比べたら、症状は軽かった。

「大丈夫ですよ」

 葵は力なく笑った。

「具合が悪いのにすまないな、孔明。到着早々の祝賀会とは迷惑千万だ」

 アナスタシアはすこぶる機嫌が悪い。

 後ろにいたハモンドが葵の肩を軽く突いた。

「アナスタシア様が、皇帝陛下にあのような口を利くのを初めてみましたよ。ご自分のことならどんなに疲れていても笑顔で陛下の好意を受けていたのに、孔明様が絡むと、あのような反応を示されるのですね」

 ハモンドは葵の耳元で囁いて、意味有り気に笑った。

「何か言ったか、ハモンド」

 アナスタシアが睨みを利かすと、ハモンドはお道化たように両手で頭を抱えた。

 ハモンドは張り詰めた空気を浄化させる空気清浄器のような男だ。

 葵は少し笑ってしまった。

 そんな葵を見て、アナスタシアは穏やかな顔になった。

「こうしてみんなが元気で会することが出来るのです。有難いことではないですか。胸を張って参加いたしましょう、アナスタシア様」


 会場の前に来るとスルーズとルーシーがドレスを着て待っていた。

「アナスタシア様、そのような格好でいらしたんですか?」

 アナスタシアの軍服正装をみて咎めるようにルーシーが言った。

「いや、祝賀会と聞いていたが? 違うのか?」

「確かに祝賀会ですが、同時に舞踏会が催されるのですよ。ご存じなかったのですか?」

「そうだったのか」

 アナスタシアは初耳だと言わんばかりの顔をした。

「葵様、どうでしようか?」

 スルーズがドレスの裾を摘まんで葵にお辞儀をした。

「似合っているよ、ロゼ。とてもきれいだよ」

 心よりそう思った。

 ロングのドレスは、細身で長身のスルーズにはこの上なく似合っていた。

「それではエスコートして頂けますか?」

 スルーズが差し出す右手に、葵もそれらしく左手を下から差し出した。

「ぼくはこんなの初めてだからね。こんな感じでいいのかな?」

「殿方の作法にお任せしますわ」

 

 アナスタシアを先頭に、葵がスルーズの手を、ハモンドがルーシーの手を引いて、祝賀会場となった皇室迎賓館に入場した。

 舞踏会が始まっていた。

 紳士淑女たちが煌びやかな衣装を身に纏い、特に女性は沢山の宝石を散りばめたドレスで蝶のように優美に舞っていた。

 そこへ姿を見せたアナスタシアに、拍手喝采となった。

 中でもスルーズの美しく可憐で優雅な姿に、男たちがどよめき、目が釘付けになっていた。

「みんながキミを見ているよ」

「葵様、気になりますか?」

「もちろん、気になるさ」

「葵様…」

 微笑んだスルーズは葵との距離を縮めた。

 貴族達の話し声がする。

「隣の男性が孔明だとすれば、あれが噂のサーバントのスルーズなのか」

「あんな美しく可憐な女性が、この前のマーシャルアーツで優勝したんだって」

「才色兼備ってことか」

「それを言うなら、武色兼備だろ」

「いやいや、才色兼備も間違ってないようだよ。彼女は博識らしいよ」

 などと話題はスルーズに集中していた。

 今まで意識してはいなかったが、この会場に数多あまたいる貴族の年頃の娘達の誰よりも、スルーズは美しかった。

 ドレスに宝石は一つも付けていないが、スルーズが着るドレスは、どの娘たちが着ているドレスよりも輝いていた。

「踊って頂けますか?」

 スルーズが貴族を真似たお辞儀をした。

「ああ…ぼくは踊ったことがないんだけど…」

「大丈夫です」

 スルーズはそう言うと葵の手を取りステップを踏み出した。

「わたしに付いて来てください。右足…左…また左…そして右…」

 言われるままステップを踏んでいるつもりだったが、自然と体が反応していた。

「キミの記憶…だね」

「お気づきになりましたね」

 そう、スルーズは踊りの名手でもあった。

 つまりスルーズとシンクロした葵は、そのままスルーズのテクニックを会得したと言うわけだ。

「乗ってきましたね」

 微笑むスルーズに葵もニコリと頷いた。

 舞うように踊り、踊るように舞う。

 息ピッタリのスルーズとの舞踏に、会場の皆は踊るのを止め、眩い太陽でも眺めるようだった。

(楽しい!)

 珍しく葵の心が弾んだ。

 同じ記憶を共有する二人だけに、次に相手がどう動くのかは分かっている。

 初めて聞くこの世界の生演奏も、スルーズの記憶では馴染みの音楽だった。

 そして、生演奏のエンディングに合わせて、葵とスルーズは、阿吽あうんの呼吸でフィニッシュを決めた。

 一斉に拍手が鳴り響いた。

「孔明様がこんなに踊れる方だなんて知りませんでしたわ」

 ルーシーが興奮して近づいて来た。

「スルーズ殿も軍師殿もすごいじゃないですか! 見惚れてしまいましたよ」

 根明のハモンドも傍に寄った。

 皆の喝采の中、葵は輪の中心にいる自分に気が付いた。

 今まで輪の外にいた葵には、場違いな感はあったが、悪い気はしなかった。

 鳴り止まぬ拍手だったが、いきなりと言う形でそれは途切れ、皆の視線が別の所へと変わっていた。

 会場がざわつき始め、どよめきが沸き起こり、そして最後にそれは歓声へと変わった。

 視線の中心に葵やスルーズはいなかった。

 会場入り口に佇む、ドレス姿のアナスタシアに注目が集まっていた。

 恐らく殆どの者が初めて見るアナスタシアのドレス姿だったであろう。

 アナスタシアの淡い水色の単色のドレスは、皇女が着るには地味な衣装だったが、却ってそれが清楚なアナスタシアの美を導き出していた。

 よほど急いでいたのか、アナスタシアには珍しく、少しだが肩で息を切っていた。

 アナスタシアは周囲の視線に戸惑いながらも、真っ直ぐに葵の下に歩み寄った。

「孔明、わたしと踊ってくれないか…」

 と手を差し出した。

「クックッ……」

 葵は思わず噴き出した。

「な、な、何を笑うのだ……?!」

 アナスタシアは顔を真っ赤にした。そんな彼女のことを葵は止めどなく可愛いと思った。

「失礼いたしました。だって、それって、男性から女性を誘う時の…」

「恥をかかさないの!」

 アナスタシアは強引に葵の手を取ると、自らステップを踏んだ。

 葵もアナスタシアに合わせて踊りを始めた。

 最初こそアナスタシアには緊張も見られたが、踊るにつれ、息が合い、彼女の表情も柔らかくなっていった。

 アナスタシアの踊りはスルーズとは違う、基本に忠実で舞踏と言うよりは武闘を思わせる激しさが感じられた。

 一言で言えば情熱的な舞踏だった。

 心にある何らかの感情を前面に出しきる、アナスタシアのそんな踊りを、彼女らしいと葵は思った。

 そして何よりもアナスタシアは美しかった。

 衣装や飾りに一切の煌びやかさを求めない、アナスタシア自身の輝きがそこにあった。

(これが本当の美しさ何だろうな)

 アナスタシアとの会話は一切なかった。

 しかし、言葉以上に訴えるものがアナスタシアにはあった。

 アナスタシアの足の運び、腰の使い方、肩の動き、そして大きく見開いた黒い瞳……。

 全身全霊で訴えてくるアナスタシアの情熱の中に葵は包まれていた。 

 アナスタシアのすべてが美しかった。

 そして何よりもアナスタシアの事を、いとおしいと思った。

(でも彼女は……)

 皇太女アナスタシアなのだ。

 次期皇帝である彼女に、いだいてはならない、その思いだった。

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