第32話 マイストールからの来客





 葵は多忙な日々が続いた。

 メテオラ岩盤の採掘現場と開発地区を行き来していた。

 科学的根拠はないが、メテオラを身に着けていればルシファーを発症しないと、現場実証されたと考えている。

 だから今まで、最貧困層でルシファーが蔓延していても、メテオラ岩盤に乗っかった地区では感染流行を回避していたのだ。

 最貧困地区の中にも部分的にメテオラ岩盤が確認されていた。

 感染しない者の行動パターンを追跡すると、彼らは日々その上を通っていた事が判明した。

 濃厚接触のある家族に感染者が出てもメテオラ岩盤を通る事で、ルシファーキャリアーであっても、殺菌・浄化され、感染に至らなかったと葵は推測していた。

 まだ四日目だが、メテオラ採掘場の住民からは一人の感染者も出ていなかったし、地盤の整地と洗浄のため開発地区に残った作業者の中からも、一人も出ていなかった。

 もっとも、開発地区作業員には首飾り・腕輪・指輪にはめ込んだメテオラを、それぞれの好みで身に着けさせていたのだ。


 ルシファーにまつわる最重要課題は感染者の集まる隔離施設だった。

 アナスタシアのように、発症した者にメテオラの殺菌・浄化作用は通用しない。

 アナスタシアにビブラマイシンが適合したのは幸いだった。

 だが、葵の持つビブラマイシンはそんなにない。アナスタシアに使った後の残りは、一人分にも満たないだろう。

(隔離施設の人達は、見殺しにするしかないのだろうか)

 アナスタシアはずっとこの思いと闘って来たのだと、関わってみて初めて思い知らされた。



「葵様、お薬の時間が迫っています」

 開発地区でメテオラバラスの敷き詰め作業の陣頭指揮をしていた葵の下にスルーズがやってきた。

「ああ、ありがとう」

「後はお任せください」

「頼むよ、ロゼ」

 スルーズなら何も言わなくても任せられた。

 葵は指揮をスルーズに委ねると、体の汚れを落とすため、貧民街の簡易シャワー施設に銅貨十枚持って入った。

 銅貨一枚を葵の居た世界に換算すると約二十円だから、シャワー一回が二百円だ。

(この服もかなりやぱいなぁ)

 服を脱ぐ時、葵は着たきりになっている、自分の着衣に目を向けた。

 この世界の洗濯は魔法で直ぐ出来る。

 衣類を入れた籠に銀貨一枚を添えて、小窓から隣の部屋に押し込めば、数分後には洗濯されて小窓から戻ってくるシステムだ。

 自動ではない。隣りの部屋に洗濯屋を生業とする者が控えているのだ。

 エルミタージュでは食・住の保証とは別に、破格の給金をもらっている葵である。

 せめて貧民層の糧になればと言う思いもあって貧困層のこの施設を利用していた。

 それともう一つ。魔法が使えない葵は、隣の部屋に控えている洗濯屋にシャワーの湯を出してもらっていた。そのお礼に銀貨をもう一枚出している。

「ありがとうございました」

 シャワー施設を出ると、葵はアナスタシアの待つ病棟へ向かった。


 城壁で仕切られた貴族街も、エルミタージュ宮殿も全て顔パスで城門を通してくれる。 

 病室に入るとアナスタシアはベッドの上で座って、ルーシーと楽し気に話し込んでいた。

 アナスタシアの容態は回復へと向かっていた。

「孔明、来てくれたか。すまない」

「体の調子はどうですか?」

「うん。少しフラフラする感じはあるが、熱はもうない。明日にでも現場復帰したいくらいだ」

「無理は禁物ですよ。ぼくがいいと言うまでベッドから出てはいけませんからね。これだけは譲れませんよ」

 服薬から三日過ぎて、すっかり顔色もよくなったアナスタシアだった。

 初日の一回きり、ビブラマイシン百ミリグラムを二錠服用したが、二日目以降は一日一錠でよくなっている。

 何も葵がいないと服用出来ない訳ではないが、アナスタシアがそれを望んだ。

「わたしは少し用事がありますので」

 ルーシーは葵に目配せして病室を出た。

 葵は水を用意してリュックから薬を取り出しながら、今日の作業の報告をした。

「ようやく、メテオラバラスの敷き詰め作業が、開発地区の半分を超えましたよ。彼らはみんなよく頑張っていますよ」

 エルミタージュの地下にあるメテオラ岩盤の効力はすでにアナスタシアにも伝えていた。

「そうか。すまないな、キミにばかり背負わせてしまったな」

「それは、言いっこなしですよ」

 アナスタシアは葵の方に体の向きを変え、長い髪を指でき、耳に引っ掛けた。

 葵もアナスタシアの斜め前に立ち、水の入ったコップを、形のいいその唇に重ねた。

 アナスタシアはいつものように少し水を含むと、葵もいつものようにビブラマイシン錠を唇に押し込んだ。

 アナスタシアの濡れた唇が、葵の指を軽く舐めた。

 葵は何事もなかったように、もう一度アナスタシアの唇にコップを当てて水を流し込んだ。

「ありがとう、孔明」

「どういたしまして」

 葵は再びリュックの中をまさぐった。

 そしてメテオラの岩盤の欠片で細工さいくした髪飾りをアナスタシアの前に差し出した。

「これは?」

 葵ははにかんだ。

「ぼくがメテオラで作った髪飾りです。町中を探したのですが、アナスタシア様に似合うものが見つからなくて、ぼくが作ってみました」

「キミが、わたしのために?」

「メテオラ細工なので、デザインが気に入らなくても、殺菌・浄化作用に問題はありませんよ。人目に触れない所で身に着けてくれたらありがたいです」

 アナスタシアはニコリとしながら、首を軽く横に振った後、その黒髪にメテオラ細工を差し込んだ。

「忙しい中、わたしのために時間を割いてくれたのだな。ありがとう、孔明。大切にするよ」

 漆黒の髪飾りは、アナスタシアの黒髪に溶け込んであまり目立たなかった。

 それでも髪留めの白い金属部分が、唯一ゆいいつ髪飾りの存在をアピールしていた。

 会話が途切れてしまった。

 こんな風に夕一回の服薬の時間が来ると、葵はアナスタシアに会いに来ていたが、あの時の気まずい別れについて、どちらも触れようとはしなかった。

 今日も、その辺りを曖昧にしたまま締めくくるつもりでいたのだが、アナスタシアの方から口を開いた。

「わたしは、卑怯な女だ」

 悲し気な笑みを見せた。自嘲と言った方がいいだろう。

「キミの言うとおり、わたしは大勢の仲間の犠牲の上に成り立っている。自分が汚れることを嫌って、その汚れを誰かに肩代わりさせて置いて、わたしは気づいてない振りをしていただけなのかもしれない」

「アナスタシア様」

「それなのに、わたしはキミを責めてしまった。わたしがしなければならないことをキミに押し付けて置いて、キミを黒いと言ってしまった。どうしようもなく黒いのは、本当はわたしの方だった」

 アナスタシアは小さく息を吸い込み、そして吐いた。

「孔明。ごめんなさい」

 アナスタシアが深々と頭を下げた。

「アナスタシア様、お止めください」

「お願いだ。わたしを見捨てないで欲しい。これからもわたしの支えになって欲しい。ずっと、わたしの傍にいてくれないか」

「見捨てるなんて…そんなことある訳ないでしょ? ぼくは和睦のために仕方なくアナスタシア様に仕えたん訳じゃないです。アナスタシア様の人柄に惹かれたから、この人に仕えて行こうと自らの意志で決めたんですよ」

「孔明…」

 アナスタシアは項垂れていた顔を上げた。

「だから、これからも一杯言い争いましょう。口論もしないでお互いを分かり合うなんて有り得ないですよ。肝心なのは、喧嘩した後もこうして話し合えることです。違いますか?」

「ああ……そうだな。キミの言う通りだ。これからも忌憚なく述べてくれ。感情的にはならない……とは保証できないが、翌日まで引きずらないことを約束しよう」

「なら大丈夫です。ぼくたちはずっと上手くやっていけます」

「うん。よかった…」

 アナスタシアは肩の力が抜けたようにとても穏やかな顔になった。



 病棟を出た後、葵はアナスタシアを笑顔に出来るかもしれない、もう一つの試みを秘めていた。

 今日はマイストールからシャルルとミシェールが、エルミタージュにやってくる日だ。昨日、早馬で聞いていた。

 貴族街のビジターセンターを尋ねてみると、シャルル達がすでに来ていた。

 シャルルが来たのは単なる葵との面会ではない。

 マイストール周辺で採れる、乾燥させたお茶の葉を運んで来たのだ。

 この後発酵させてさらに乾燥させるのだが、それは葵がいないと時間がかかる上に、クオリティにも問題があった。

 だから発酵と乾燥は葵が行う事にしていた。

 葵がマイストールに向かう手もあったのだが、今しばらくこちらの仕事に穴を開ける訳にはいかなかったので、今回はシャルルの方からエルミタージュに来てもらったのだ。

 ミシェールにゴメスやランド達の懐かしい顔もあった。

 マイストールを離れてまだ一月しか経っていないが、ずいぶん昔のような気がした。


 シャルルと再会の抱擁をした後、

「実はミシェールにようがあるんだ」 

 と葵が言うと、シャルルが拗ねた顔をした。

「何だよ。わたしのフィアンセに横恋慕か?」

 と笑って見せた。

「ああ、それはいいかもね」

「おいおい、本気になるなよな」

「冗談だよ」

 談笑の後、葵はシェールに尋ねた。

「実はこの錠剤なんだけど…」

 とリュックの薬箱の中から取り出したビブラマイシン錠をミシェールに見せた。

「これはぼくの世界の薬なんだけど、ぼくにはこれが作れないんだ。これと同じ成分と品質の物を、魔法で作り出すことは出来ないものかな」

 ミシェールはビブラマイシンを手に取りじっくり見た。

 そして何度も頷いた。

「コピー魔法が使える人なら出来ると思います。これは魔導師レベルのマナがないと使えない魔法ですが、たとえ能力が低くても、葵様のシンクロ魔法を複合させればきっと大丈夫です。あと、懸念されるのがこの薬に含まれている成分が、クロノスの自然界にあるものでなければなりません。それさえクリアできていれば、同じ物をコピーすることは出来ます」

「それで、そのコピー魔法の使い手はいるのかい?」

 葵が聞くと、ミシェールがクスクスっと笑った。

「孔明様の目の前にいますわ」

「えっ? キミなのかい?」

「はい。わたしはこれでも大魔導師ロベスの娘で、C級ながら魔導師なんですよ。いくつか使える魔法のうちの一つとして、コピー魔法があります」

「すごいじゃないか」

「ああ、でも、わたしのコピー魔法は大したものではないんですよ。そのお薬の形状の単純さと、孔明様のシンクロ魔法を当てにして、多分大丈夫と判断したんです」

「一度試してみますか?」

「お願いできるかい?」

「はい」

 

 ミシェールがビブラマイシンに手をかざすと、彼女の指にはめている沢山の指輪のうち、紫色の指輪が光り始めた。

「孔明様わたしの手に触れてください」

 葵も何度か経験を積んだ勝手知ったるシンクロである。

 ミシェールの手の甲を包むように葵の手が重なった。

 すると、見る見るうちにテーブル一杯にビブラマイシンが溢れた。

 山積みとなったビブラマイシンの一つを取って、オリジナルと見比べたが、色・形・匂い、それに刻まれてある文字まで全く同じものだった。

「ありがとう、ミシェール。この薬の中身が本物と同じかまだ分からないが、これで多くの人の命が救えるよ」

 葵がミシェールの手を取って喜びを露にすると、ミシェールは驚いた顔をした。

「どうかしたのかい?」

「い、いいえ……孔明様、何だ変わられましたね」

「えっ?」

「マイストールにいる頃の孔明様は、何ていうのかな、笑っているのに笑っていない…そんな感じでしたから。孔明様の笑顔を初めて見た気がします。きっとここは、孔明様にとっていい所だったんたですね」

 そう言って笑みを見せるミシェールに、今度は葵の方が驚いていた。

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