第26話 最貧民地区の開発計画





「葵様。これどうかしら? 似合いますか?」

 亜麻色の髪と青色のカラーコンタクトレンズをしたスルーズが、葵の前で両手を広げてクルリと回って見せた。スルーズは珍しく町娘の格好をしていた。

 貴族街を歩くスルーズは、その美貌と長身のスタイルの良さもあって、男達の視線の的だった。


「街行く男達の視線を見れば分かるだろ? ロゼが魅力的だから、みんながこっちを見ているよ。ぼくが見られているわけじゃないのに、何だかこっちまで照れるな」

「他の男性はどうでもいいんです。葵様から見てわたしはどうですか?」

「とてもよく似合っているよ。桜色の髪と瞳のバルキュリアのロゼもキレイだけど、亜麻色の髪と青い瞳のロゼも可愛いいよ」

「ありがとうございます。葵様」

「何だか楽しそうだな」

「ええ、とてもいいことがあったんです」 

 そう言って葵の瞳を覗き込んだ。

 慌てて手で目を隠そうとする葵を、スルーズが可笑しそうに笑った。


「大丈夫ですよ、葵様。葵様がくれたこの髪、金貨三枚以上の値打ちものでしたよ」

「えっ? どういうことだい?」

「この髪は魔力無力化ツールなんです」

 スルーズは亜麻色の髪を人差指に絡めた。

「この髪の持ち主は、きっとそんなこと知らなかったと思いますよ。でもそのお陰でわたしは、こうして葵様と見つめ合うことが出来るようになりました」

「つまり、そのカツラを被ると、魔力が使えないと言うことなのか?」

「はい。でも、バルキュリアの力は封じられませんから、有事の際は問題ありませんわ。しかもこれは…」

 とスルーズは額を上げて髪の付け根を葵に見せた。

 なんと、亜麻色のそのカツラは、まるで本物の髪のように、スルーズの地肌にしっかり根付いていた。

「ロゼの髪になってしまったのか? それじゃ読心魔法はもう使えなくなったんだね」

「ご心配いりません。この髪はつけた者でないと外せないようなんです。つまり自らの手でこのカツラを被ったわたしだけが、取り外し自由というわけです。必要な時が来たら、カツラを外すつもりです。それまではアナスタシア様と同じように、葵様の目を、穴が開くくらい見つめてあげますわ。ウフフフフ…」

 こんなに明るく楽し気なスルーズを見るのは初めてだった。


「今日からわたしはアナスタシア様のサーバントですが、葵様はわたしのボーイフレンドですからね。もちろん、葵様のサーバントでもありますけどね」

 昨日、葵の前で初めて涙を見せた時から、スルーズは一皮剥けたような気がした。

 言葉遣いも、丁寧語混じりだが、友達みたいな砕けた話し方も含んでいた。

(肩の力が抜けたって感じだな。そんな自然なスルーズの方がいいよ)

 葵は心底そう思った。

 


「遅れて済まない」

 とルーシーを連れて姿を現わしたのは、男装の麗人アナスタシアだった。

 アナスタシアは葵に笑みを向けた後、亜麻色の髪のスルーズを見て目を丸くした。

「このキレイな女性は……えっ? もしかしてスルーズなのか?」

 それもその筈、いつも被っていたガーデニングキャップと黒いサングラスを外していたのだから、見違えるのは当然だろう。


「はい。スルーズにございます。アナスタシア様のサーバントとなった以上、今までのような無粋な格好は失礼かと思い、素顔で参上いたしました」

「すまない。わたしが昨日黒メガネと帽子を取って欲しいといったものだから気を遣わせたのだな」

「いえ、そんなことはありません。葵様も今のわたしを気に入って頂けたので、むしろこれで良かったと思っております」

 笑顔で応えるスルーズに、何かしら別の意図を感じたのは、葵の気のせいだろうか。

「ああ、それなら良かった。確かに、その方がキミは魅力的だ」

 そう言いながら、アナスタシアは自身が纏っている男装に目を落とし、次に葵を一瞥した。

(なんだろ? 今の目配せは?)

 葵は少し気になったが、分からない事は深く考えないようにしていた。



 この四人が集まって向かった先は、平民街にあるアナスタシアの別邸だった。

 この後、ここで貧民街の代表達と会する。

 それまでに指針を煮詰めて置きたかった。

「ぼくはこの世界のお金の流通については深く知りませんが、あの一帯を開発するにはかなりの資金が必要となります」

「だろうな」

 アナスタシアも分かっている。

「帝国の予算はそんなにない。わたしの私財しか当てにならないのだ」

 帝位継承者とはいえ、皇女一人分の財産だけで、八万人と言われる最貧民街の開発を行うには、徹底した資金の運営管理を行わないと、とても成せるものではない。 

 財形は葵の専門外だったが、全く知識がないわけではなかったが、それなりの知恵を働かしてここに臨んだのである。


 リビングは三十人ほどがゆったり寛げる広さがあった。

 アナスタシア達がソファーに腰を下ろしたのを見届けると、

「ロゼ。アレを見せてやってくれるかい?」

 スルーズに目配せした。

「かしこまりました」

 スルーズは持っていた巻物をその場で広げて見せた。

 それぞれ違う角度から描かれた三方向からの外観パースだった。

 意外にも絵が上手だったスルーズに、葵が監修して書いてもらった貧民街開発の完成予想図だった。


 葵の記憶を共有したスルーズなので説明はほぼ必要なく、ディテールにのみ少しアドバイスを加える程度で済んだから、作画の完成度は高かった。

 葵のいた世界で見た大型ショッピングモールとマンションを連立させた大都市ターミナル施設をベースにしたものだ。

 街の中央に細長い緑あふれる中央公園を基準に、商業スペースだけのビルが公園を取り囲むように隣接している。

 その外側には車道と歩道の区分のある道路を作り、道路に面した建物は、先日アナスタシアに話した一階が商業スペースで二階から五階までが居住区となった建物が、その外周を取り囲むように描かれてあった。


「この縦長の中央公園を中心にして、商業ビルと住宅の入った複合ビルを、人の集まる大型ターミナルビルとして、街の中心にしておいて、その外側には、放射状にいくつもの居住棟コロニーを建てるのです」

 貧民層の人達の家族の人数は平均八人から十人だった。

 一戸の住宅の広さはそれを考慮したと間取りとなっていた。


 八万人いるとされる流浪の民である最貧困層の居住と仕事は、大型ターミナルを拠点にして、机上論においてだが需要供給のバランスは取れていると葵は考えている。

(それでも、不可抗力は必ず発生するものだ)

 その予備として、中心である大型ターミナルから一番遠い外側の土地を更地のまま残し、不測の事態に活用できるスペースとした。

 葵の説明を聞きながら、アナスタシアとルーシーは、スルーズの書いた外観パースを交互に見比べ、何度も頷き合っていた。


 しばらくして、完成予想図から目を離したアナスタシアは、深く溜息を吐いた。

「相変わらずキミは、わたしの想像のその先を行くのだな。何から話していいのか分からなくなったぞ」

「この施設に対する感想の程はいかがでしょうか?」

 アナスタシアは苦笑した。

「人の手に渡すのが惜しくなった。わたしが所望したいくらいだ」

「それでは」

「ああ。言うことは何もない。これで行くぞ」

「分かりました」

 アナスタシアはソファーで大きく体を伸ばした。

「本当に、全く…わたしが数年間抱えていた悩みを、キミは数日で解決するのだな」

「アナスタシア様。まだ気が早いですよ。もうすぐ貧民街の代表達がやってきます。ここからが勝負ですよ」

「ああ。その通りだ。気を引き締めねばなるまい」

 そう口では言ったが、アナスタシアの表情はすでに安堵しきっていた。


「わたしはアサシンの衣装に着替えてきます」

 と突然スルーズがそう言った。

 衣装と言っても、カツラを外してサングラスとガーデニングキャップを被るだけの事なんだが。

「スルーズ? そのままでもいいぞ」

 とアナスタシアが訝しがった。

「ええ。でも、わたしには諜報活動もあるので、あまり姿を見せない方がいいと思います。いないとは思いますが、今日集まる人の中に、何処かの間者が紛れているかも知れませんから」

 そう言って葵にウインクした。

 アナスタシアもスルーズの説明に納得したようだ。

(成程ね)

 スルーズとの間に事前の打ち合わせはなかったが、彼女の意図する所はすぐに理解できた。

(読心魔法で会合に集まる人間の心を見るためだな)

 速い話、魔力封じのカツラを外したいだけなのだが、アナスタシア達の手前上「スパイなので顔を隠したい」という形を取っただけなのだ。

 今更だが、スルーズは機転の利く女だと思った。

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