第27話 亜麻色の髪の少女


 



 予定していた二十名より多い三十名がアナスタシアの住宅を訪れた。

 エルミタージュ宮殿や貴族街はそれぞれに城壁で仕切られ、入場のさい身分検閲を受けるのだが、貧困街と平民街には仕切りもなく行き来は自由だった。

 ただ、本人たちが身なりの悪さを気にして、平民街には余り足を踏み入れないのだが……。

 と、そこへアサシンの衣装に戻したスルーズが二階から降りてきて、彼らを見渡せる最後尾の席に着いた。


 その日彼らは平民街の人達と遜色ない衣装を身に纏っていた。彼らなりの正装と言ったところか。

 流浪の民といった意識は、今の彼らにはない。

 何故なら彼らの殆どは、アナスタシア同様流浪民るろうみん二世・三世、或いはそれ以上の世代になっていた。

 皇帝ニコラスの父・先帝ダレウス・カール・ロマノフの時に始められた流浪民擁護政策は、黒髪・黒瞳を持つアナスタシアの母・アマンダを見つけた事で、帝都入城をシャットアウトしたからだ。


 それでもロマノフ帝国における流浪民の流入は、他の都市へと分配する形で、今も継続されていた。

 帝国は慢性的な人材不足に悩んでいた。

 軍人も魔導士も、これから先帝国を支える上で、数が足りていなかったのだ。

 それに彼らは優秀だった。

 現に、アナスタシアを含めて、七名のS級シュバリエの内三名が流浪の民だったし、数少ない魔導師の二割強がそうだった。

 そして、アナスタシアがこれから成そうとしている事に、彼らの埋もれた力は、必要不可欠だった。




 皇女アナスタシアの姿を見ると一同は平伏しようとしたが、

「必要ない」

 と彼女がそれを制した。

 強制撤去や立ち退きを迫るのではなく、話し合いの中で、アナスタシアが何をどうしようとしているのかを説明し、居住者達に納得してもらう形で穏便に事を進めたかった。


(難航するかも知れない)

 と思って臨んだ最貧民街の代表者達との話し合いは、呆気ない程簡単に進んだ。

「わたしらに屋根のある家を提供してくれるんでしたら、何だってしますよ。雇用も生んでくださると言うんだから、願ったり叶ったりです」

 そうなのだ。

 彼らが望んで止まなかった職・住の二つが同時に手に入る話なのだ。

 考えれば断る理由などないのだ。

 葵は自分のいた世界の概念に縛られていた事を改めて思い知った。

 立ち退きの際、ごねて見せる事で、立ち退き料の上積みを要求する、葵の世界の駆け引きそのものが、この世界には存在しなかったようだ。


 帝国の役人が右を向けと言えば右を、左を向けと言えば左を向くのが当たり前の世界だった。

 現に流民たちの逗留地とされた今の彼らの居住区も、先々代の役人の一方的な指示に他ならなかった。

 このまま立ち退きを命ぜられても、仕方なくではあるが、彼らは従順に従ったのだろう。

 だけど、そう言った理不尽をしないのがアナスタシアだ。

 帝国に逆らえない彼らだからこそ、寄り添った話し合いを望んだのだ。

 アナスタシアはスルーズの描いた完成予想図を彼らに見せた。


「これが未来のキミ達の街となるのだ。何か意見はないか?」

「あ、あそこが、こんな街に生まれ変わるんですかい? 信じられませんぜ」

「分かるよ、キミ達の気持ちは。わたしだってまだ半信半疑だ。でも、この男・我が軍師孔明は不可能を可能にしてしまう男だ。信じてやってはくれないか」

「アナスタシアの仰ることなら間違いありません」

 代表格の男がそう言うと、一同は頷いて見せた。

「キミ達の力も借りねばならない」

「なんだってしますよ! 頭はないけど、労働力にならなりますよ!」

 手をげて扇動する男に、皆も握りこぶしをかざして見せた。

「そうですとも。おれたちの街を作ってくれるんですから、お金なんていりませんぜ。ただ、腹だけ満たして頂けたらなんも文句は言いませんわ」

 それには皆も笑った。


「分かった分かった。一日三度の食事を約束する。もちろん家族の分もだ」

 おおっ、と歓声が上がった。

「街が出来るまで、キミ達にはしばらく住み慣れた土地を離れてもらうことになるが、それも納得してもらいたいのだ」

「そんなことは分かっていますぜ。あの土地にテントを張ったままで新しい街を作れるわけはない。いくら頭の悪いおれたちでも、それくらいのことは分かりますよ」

 その男の言葉で、皆はまた笑った。


「皇女様はこれまでもおれたちのことを気にかけてくださいました。そのお優しいお心はよく分かっております。あなた様のすることに間違いはない。ここにいる皆は、あなた様を信じてついて行く覚悟を決めています。だから、おれたちに気兼ねなどせず、何なりとお申し付けください」

「そう言ってくれるとありがたい。皆の者、よろしく頼むぞ」

「こちらこそお頼み申しますよ。なんせわしらの街を作ってくださるんじゃよ。お願いするのはこっちの方です」

「アナスタシア様、バンザイ」

 一人が言うと皆が続いた。


「アナスタシア様」

「アナスタシア様」

「バンザイ。バンザイ」


 皆を見つめるアナスタシアの顔が紅色していた。

 アナスタシアの人望が偲ばれた。

 シュプレヒコールの鳴りやまらない中、葵は自身の心と手が震えている事に気付いた。

(この人は天然のカリスマだ)

 あの時、最貧民街で見せた、誰かのために胸を打つ熱い涙を流したアナスタシアに、葵の心は大きく震えた。

 今まで、誰の言葉も胸に響かなかった葵の心に、アナスタシアの言葉だけが届いたのだ。

(アナスタシア様は、本物だ)


 アナスタシアと向かい合う男たちの羨望と信頼の眼差しを見て、葵は改めてそう思った。

(この人のためなら、ぼくは尽力を惜しまない)

 シャルルの時のような成り行きではなく、心底そう思った。

(それにしても……ぼくはまだまだだ)

 スルーズとシンクロしてこの世界の事は学んだ葵だが、元居た世界の習わしを優先した思考になってしまうのは、やはりまだ、この世界に馴染んでいないからなんだろう。

 もっと多角的思考と観点を以て行動に移さないといけないと思った。

 ともあれ、彼らは労働力にもなると言ってくれた。

 資金が帝国ではなく、アナスタシアの私財だと言う事は、彼らも薄々気付いているようだ。

 だから彼らも無理は言わないし、アナスタシアに甘えるだけではいけないと思った筈だ。


 新築物件の居住権の確約と労働期間の食事の提供をアナスタシアは約束した。

 これは逗留者側から見れば破格の待遇だったようだ。

 会合の後の彼らの反応を見れば一目瞭然だった。

《葵様、問題ありません。彼らの中に不審な人物はいません》

 とスルーズの声が届いた。

〈ありがとう。もう、着替えてくれて構わないよ〉

《そうしたいのですが…ただ、家の外に女の子がいます》

〈それがなにか、問題でもあるのか?〉

《わたしのカツラの提供者です。今日の代表者の中に父親がいるのです》

〈ああ、それはまずいな〉

 亜麻色の髪はこの世界では珍しい物ではないが、髪の購入者である葵の傍に亜麻色のカツラを被ったスルーズを見られるのは、あまり好ましい状況とは言えなかった。

 何よりも、アナスタシアの前でそれを暴露される事は避けたかった。


 第一段階だが、話に区切りが付いた所で、葵はお得意のミルクティを出して、ブレイクタイムと称して時間を取った。

 それを口にした彼らの反応は言うまでもないだろう。


 葵はミルクティとクッキーを持ってスルーズを伴って表に出た。

(間違いない)

 セミロングの亜麻色の髪のその少女は、あの時髪を売ってくれた十歳くらい女の子だった。

 あの時のボロボロの汚れた衣装ではなく、平民層の町娘と変わらない華やかなワンピース姿だった。


「あっ。この前金貨三枚くれた人ですね。やっぱりあなたもこの会合の主催者の一人だったんですね」

「くれた、というのは間違いだよ。お互い正当な取引をしただけだよ」

「でも、わたしの方が随分得しましたよ。なんか申し訳なかったけど、初めて手にする金貨に目が眩んで多過ぎると言えなくて……。だけど、後になって、金貨三枚ももらったことがずっと気になっていて、今日の会合があると聞いた時、きっとあなたも来るだろうと思ったんです。一度ちゃんとお礼を言いたかったんです。あなたにもらったお金は、あの人達とわたしの衣装になりました」

 そう言ってその少女は、自分のスカートの裾を摘まんで広げ、貴族を真似たお辞儀をした。

「本当にありがとうございました」

「アハハハ。気にしなくていいよ。ただ、キミの髪の持ち主が、誰なのか気付いたとしても、決して口外しないで欲しいんだ。キミとぼくだけの秘密にしてくれないか?」

「あなたとわたしだけの秘密……。分かりました。約束いたします」

「取り敢えずキミもこれを飲んだらいい」

 ミルクティとクッキーの乗ったトレイを少女に手渡した。

 部屋に入るように促したが、少女はここでいいと玄関の階段に腰を下ろした。

「お、美味しい! 何ですの、これ!?」

 葵とスルーズは互いに顔を見合って笑った後、慌てて顔を背けた。

 スルーズがカツラを外している事を二人とも忘れたいのだ。もっとも、スルーズが読心魔法を発動しなければシンクロはしないのだが…。

「何なさっているんですか? お二人さん」

「いや、何でもない。とにかくカツラのことは…」

「分かっています。あなたとわたし…二人だけの秘密ですね」

 少女はそう言うと、ごちそうさまでした、と空になったトレイを葵に手渡して、

「また、お会いしましょう。アナスタシア様の軍師様」

 と手を振りながら走り去っていった。

「罪なお人ですね、葵様」

「えっ?」

 スルーズの言葉の意味が全く分からなかった。

「あの娘、葵様のこと大変気に入られたようですよ」

「まさかね。あの年から見ればぼくはオジサンだろ?」

 スルーズはクスクスっと笑った。

「本当、葵様はコチラことには疎いですね。あの女の子のこと、十歳くらいって仰っていましたよね」

「そうだと思ったんだけど、違うのかい?」

「栄養が不足しているんでしょうね、痩せていて、幼く見えますが、彼女、十四歳ですよ」

「え-! 本当かい?」


 人脈の少ない葵には、十四歳の少女と言えば、頭に浮かぶのは、家庭教師をしていた中学三年生の久遠寺玲奈くおんじれいなだった。

 スルーズ程ではないが、長身で体のメリハリもあり、十八歳くらいに見間違われると言っていた。

「久遠寺玲奈さんの事を思い出されていましたね」

「分かるかい? 同じ十四歳なのに、大人と子供だよ」

「葵様の十四歳の基準が玲奈さんだったら、確かにあの娘は十歳くらいに見えますよね」

「貧困層の栄養事情が見えた気がするよ。これはアナスタシア様の大きな懸念材料だからね」

 玄関のドアが開いて、ルーシーが顔を覗かせた。

「完成までの移転先と、工事の進め方についてのお話を進めたいと、アナスタシア様が申しております」

 ちなみにルーシーは葵と同い年だ。

 アナスタシアはスルーズと同じ十七歳だった。

「分かりました。今行きます」

 葵は入り口のドアを開けながら、その少女が去った方を振り返った。

 貧困は、その少女に限った事ではない。

 貧民地区の開発は、最優先事項だと葵は確信した。

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