第17話 出で立ち





 アナスタシア軍三千名の中に不穏分子がいない事は、スルーズの読心魔法で確認していた。

 マイストール側も一般の住民に至るまで、スルーズに探らせたが、内通している者はいなかった。


「ロゼ。大変だったね。ありがとう」

 軍師として信頼されている葵だが、スルーズの読心魔法というカラクリがあって成り立っている事は、自身がよく分かっていた。

 スルーズがいたから、三人の内通者を知る所となった。

 あの夜、それを知らずマイストール奪還に乗り込んでいたら、結果は今と逆になっていだろう。


「あの……」

 と珍しくスルーズが口ごもった。

 珍しいと言えばもう一つ。今日のスルーズはドレスだった。

「どうかしたのかい?」

「昨夜頂いた飲み物ですが、もうないのでしょうか?」

 シンクロ魔法を警戒して、スルーズは普段から葵の瞳を見る事はしなかったが、それでも瞳孔の外側に視線を向けて、会話をするようにはしているようだ。

 もっともサングラス越しなのでスルーズと瞳孔を合わせるには至らないのだが……。

 そのスルーズが、今ははにかんだ顔で、葵から目線を逸らしていた。

「ゴメン。昨日で最後だったんだ」

「そ、そうでしたか。失礼しました」

 すごく残念そうだった。

 葵は少し考えてから言った。

「作ってみようか?」

 スルーズの顔が咲いた。

「出来るんですか?!」

「中学の時に、課外授業で緑茶を作ったことがある。発酵させたものが紅茶だから、多分作れると思う。そのために少し協力して欲しいことがあるんだ」

「ええ。喜んで」

「確実とは言えないけど、ぼくの考えが正しければ、きっと紅茶は作れるよ」

「はい!!」

 いつも大人びた顔のスルーズが、年頃の女の子の顔になった。



 二日後、アナスタシアがルーシーを連れて葵の家を訪ねてきた。


「今日の日に間に合ったね」

 葵がスルーズに告げた。

「はい」

 スルーズが楽しそうに笑った。

「二人とも何だか楽しそうだな」

 アナスタシアが葵とスルーズを交互に見た。

「キミ達はいつも一緒だな。孔明とスルーズは…その…恋人なのか?」

「違いますよ。彼女はぼくのサーバントです」

 葵は笑顔で応えた。

「ところで、帝都からの返事はどうでしたか?」

 今朝、皇帝ニコラスの書状を持った早馬が到着したとの第一報があった。

 シャルルとの和睦の一件で、皇帝ニコラスがそれをどう受け止めるか、それが気がかりだったのだ。

「シャルル男爵が来てから開封しよう。わたしもまだ開いてないのだ」

 アナスタシアは皇帝印が押された書簡をテーブルの上に置いた。


 シャルルとミシェールがやってきた。

 本来なら、シャルルの屋敷か会議場に幹部を集めて、物々しく会談を行うのだが、書簡の内容によっては議場が混乱する場合もあり得た。

 その場合の備えて収拾策も念頭に置かないといけなかったので、事前協議の場として、葵の家に集まったのだ。


「それでは皇帝ニコラスの書状を読み上げる」

 全員がテーブルに着くのを見て、アナスタシアは印を切って開封した。

「辞令、即日を以てシャルル・ロイ・マイストールに男爵位の復権を認め、マイストールの統治を許可する。帝都に何の報告もなく行われた一連の騒動に置いて、懸念する声もあるが、貴公は五百年に渡りマイストールを統治してきたその直系であることが確認された。それ故の決議である」

 葵の隣りで深く息を吐き出すシャルルがいた。

 シャルルは葵の視線に気づいて、苦笑いを浮かべた。

「ただし、和睦した折に交わされたとする召喚軍師の帰順を遂行し、皇太女アナスタシアに伴い、帝都に帰還することで和解成立とする。以上だ」

 読み上げた後、アナスタシアは少し申し訳なさそうに皆を眺めた。

「キミ達の仲間を奪って行く身で心苦しいのだが、マイストールがわたしの同胞であることに変わりはない。このわたし、皇太女アナスタシアの身命を以てキミ達との友好関係に背信しないことを約束しよう」 

「ありがとうございます」

 と葵が言った。

 シャルルやミシェールにしてみれば葵を身代わりにした負い目も感じている筈だ。

 ここは、いつもの掴みどころのない笑みを浮かべて、葵が語らないといけないと思った。

「帝都には興味がありました。マイストールの安全が保障されるのであれば、ぼくは喜んで参ります」

「孔明、すまない」

「ロイ、気にすることはないよ。正直なところ元居た世界はとても息苦しかった。この世界に来て、ぼくは生きているって実感しているんだ。召喚してくれたキミたちに感謝しているよ」

「孔明……」

 シャルルが泣き出し、ミシェールも泣いた。

 ふと、アナスタシアが立ち上がった。

 そしておもろに頭を下げた。

「シャルル男爵! ミシェール! すまない」

「そ、そんな……!! 皇太女様、頭をお上げください!!」

「アナスタシア様、いけません」

 シャルルとミシェール、それにアナスタシアの隣りにいたルーシーも立ち上がって首を垂れるアナスタシアを制しようとした。

 だが、アナスタシアは聞かなかった。

「もう一度、約束する。マイストールと孔明の身の安全は、このアナスタシア・マリー・ロマノフが保証する。命に代えても」

 葵はアナスタシアシアの真っ直ぐ過ぎる性格に危うい物を感じた。

「兎に角、ぼくは喜んで帝都に向かいます。だからと言ってロイとの友情は今まで通りだ。マイストールの市政改革も道半ばだし、これからも協力して行くつもりだよ」

 シャルルにそう告げた後、葵はアナスタシアを見た。

「マイストールとシャルル男爵への協力はこれからも続けたいと思います。よろしいでしょうか?」

「もちろんだ。わたしはキミ達の仲まで割こうとは思わない。帝都に住むことにはなるが、今まで通り彼との交わりを絶たないで欲しい」

 目線を合わせたシャルルに葵は頷いて見せた。

 

 一段落ついたところで葵が立ち上がった。

「それじゃ、ロゼ。アノ準備をしようか」

「かしこまりました」

「何処に行くのだ?」

 アナスタシアが怪訝な顔をした。 

「お楽しみ、ということで」

 葵はそう言って立ち上がると、焼き物職人にオーダーメイドで作らせたティポットと店で売っているティカップをキッチンから運んで、テーブルに置いた。

「この香りは……もしや、ミルクティか!?」

「はい。自ら作ってみました。思いの外、簡単に作れました。後はお口に合うかどうかです」

 葵は人数分のティカップに紅茶を注ぎ込んた。

 お茶の木がこの世界に存在していたのは大きかった。

 そしてこの世界にもいたウシのミルクと、テンサイとよく似た植物から取れた砂糖を添えて、皆に提供した。


「こ、これはなんだ!? こんなおいしい飲み物初めてだ!」

「ええ!! 本当に美味しいわ!!」

 初めて飲むシャルルとミシェールは大きく目を見開いた。

 アナスタシアは瞳を閉じて、息を吸うように静かに飲んでいた。

 カップから唇を離したスルーズが、

「孔明様。これも美味しい…いえ、あの夜頂いたものよりこちらの方が、風味と言うか、味わいと言うか、全てで優っていますわ」

「分かるぞ、スルーズ」

 とアナスタシアが瞳を開いた。

「こちらの方が断然美味しい。孔明の手作りというわけだな」

「はい」

 と葵は茶葉を容器から摘まみ出して皿の上に乗せた。

「これが紅茶の葉です。乾燥させた緑茶を発酵させ、再び乾燥させたものです。疲弊したマイストールの立て直しに役立てたいと考えています。つまり、マイストールに専売特許を与え、マイストール直営店のみが、各都市で販売することをアナスタシア様には認めて欲しいのです。帝都エルミタージュではぼくが直営店を経営したいと思います」

「それでは、帝都でもこれが飲めるのだな」

「ええ。茶葉そのものを商売にするのではなく、店を構えて提供したいと思います。クッキーなどのお菓子も用意したいと考えています」

「食堂を経営すると言うのか?」

 とアナスタシアが尋ねた。

 異世界における『喫茶店』といった所だが、この世界にはデザートのための飲食業は存在していなかった。

 スルーズ以外に葵の目指す『喫茶店』というものを理解できる者はいないのだろう。

「社交の場とお考え下さい。二日前の夜を、思い返してもらえますか? アナスタシア様とルーシーとスルーズは、ミルクティとクッキーを挟んで楽しくお喋りをしていたはずです」

「確かにそうだった」

「つまり、お酒を飲まない方の『酒場』のようなものです。お茶を飲んでクッキーを食べて、仲間と語り合う、そんな場所を作りたいのです」

「いいかもしれないな。このミルクティという飲み物は心を豊かにしてくれるし、何よりもわたしが好きだ」

 アナスタシアは飲み干したカップをテーブルに置いた。

「お替りはいかがですか?」

「出来れば、お願いしたい」

「喜んで」

 アナスタシアのカップに紅茶を注ぐと、皆にも紅茶を注いだ。

 そして最後にシャルルにお替りを入れると、

「ロイ。ぼくがここで作った茶葉はレシピと一緒に全て置いておくから、マイストールのお店はキミに任せたよ。紅茶の葉を作るのは難しくはないが、短期間で作れる者はぼくしかいないと思うよ。だからぼくが帝都で作った茶葉を定期的にマイストールに送ることにするよ。足らなくなったら早めに言ってくれ」

「ありがとう、孔明。これはきっといい商売になる。それに付随して雇用も生まれると思う。本当に、キミには世話になりっぱなしだ」

「いつかきっとキミの助けが必要となる時が来る。その時はぼくを助けてくれないか」

「もちろんだ」

 葵はシャルルと軽く拳を合わせた。

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