第13話 布陣と策略





 シュバルツ平原はシュバルツの森の外れに広がる、ロマノフ帝国最大の草原地帯だ。

 雲一つない快晴だが、少しばかり肌寒い風が、やや強く吹いていた。

 葵達シャルル軍七百人は、風上に立つ形でアナスタシア軍三千人と対峙していた。

「いい風だ。これじゃ敵は弓を使えないな。使えたとしても、近距離まで引きつけないと矢は当たらない」

「そうだね」

 少し伸びた黒髪をなびかせながら葵は頷いた。

 アナスタシア軍は小高い場所に陣を張っていた。

 水源を背後に囲い、側面からの不意打ちにも対応できる、二段構えの柵を設けていた。

(兵法に異世界間の隔たりはないようだな)

 戦局を見極められる高台を選ぶことや、水源の確保、奇襲への備えは、まさに兵法書の見本ともいえる布陣だった。

(教科書通りだな)

 考えてみれば軍師を気取っていても、本当の意味でこれは葵の初陣でもあった。 

(想像していたより、緊張しないものだな)

 独り言のつもりだったが、すぐ後ろにいるスルーズが語り掛けてきた。

《それは、葵様に生きることに対する執着がないからです》

 咎めるような物言いだった。

 毎度の事ながらシンクロ魔法とは厄介なものだと思った。

 スルーズが読心魔法を使えば、それに呼応する形で気付かないうちにシンクロ魔法が発動し、葵の心の声を聴かれてしまうのだ。 



《葵様には生に対する執着が感じられないのです。いつ死んでも構わないとお思いじゃないですか》

〈何だいロゼ。えらく断言口調だな〉

《わたしの人となりは全て葵様に知られていますし、その逆も然り。わたしも葵様の全てを理解しています》

〈そうだったね……〉

 葵は三歩ほど前に進んで、スルーズのマナの射程を離れた。

 葵が振り返った時、スルーズは言いようのない寂しい顔をした。

「ゴメン、ロゼ。心を見られたくないときもあるから」

「いいえ。わたしがいけないんです。踏み込み過ぎました。以後気を付けます」

「ああ」

 葵は出来るだけ笑顔を作って見せたが、きっと上手な笑顔ではなかっただろう。



 そうなのだ。

 全てにおいて、葵には臨場感がないのだ。

 両親が殺されたあの日から、自分の事でありながら、全てが他人事のように感じてしまう。

 この地に召喚され、軍師となったのも、単に成り行きでしかなかった。

 シャルルのように民を思う熱い思いがあるわけでない。

 軍師としてシャルルを助けたいという使命感もない。

 それはまるで、マイストールという舞台の上に立つ、筋書きのないドラマを演ずる俳優のようだった。

 だから、命を落とす事があっても、それは葵という物語の幕引きでしかなかった。


 こんな、自分の命ですら軽く見ている葵だ。

 人の命の重さという物をどのように感じ取ればいいのか、葵には分からなかった。

(きっと、ぼくには心がないんだろうな)

 それらは全てスルーズの知るところだ。

 彼女の前ではどんな仮面を被ろうとも無駄だった。

 スルーズとの以心伝心はいい事尽くしとは言えなかった。


「葵様。今あなた様は、七百の軍勢を率いる軍師なんですから、余計な物に心を囚われてはいけません」

 読心魔法の射程外にいるスルーズが葵に苦言を呈した。

「そうだね。ぼくはともかく、七百人の命が掛かっているからね」

「またそのような言い方をするのですね。ご自分の命も大切に考えてください」

「……分かったよ」



「孔明様」

 そこへミシェールがやってきた。

かねてから指示通り、帝国軍が陣取る高台は、わたしの掌握するところです。相変わらずの孔明様の達眼には敬服いたしました。それにしても、広大なシュバルツ平原の中で、どうしてこの地を選ぶと分かったのですか?」

「それは軍略の妙味とだけ言っておくよ」

 スルーズの読心魔法で、アナスタシアが軍略をたしなむ者と分かっていた。

 たからこそ葵がこの小高い場所を陣地とする事も分かっていた。

 ミシェールにはアナスタシア軍が到着するまで、シュバルツ平原を隈なく走竜で走らせ、彼女の持つ魔道具の手鏡に風景を記憶させていた。

 

 ミシェールの手鏡に葵も手を添えた。

 本来ミシェルの手鏡の有用範囲は五百メートル程だが、葵とシンクロすると数十キロまで射程範囲が伸びる。

 だから数キロ先に布陣するアナスタシアの陣地は、全て葵とミシェールの掌握するところだった。


 高台の前方にアナスタシアの本陣が見えた。

 男たちと同じ黒い鎧を身につけた、黒髪・黒瞳のアナスタシアが幹部たちに何やら指示を出していた。

 姿は見えるが、話している内容は分からなかった。

 背後にいたスルーズが、葵のシンクロ魔法の間合いに入って来たのが分かった。

《葵様。アナスタシア皇女の会話をお聞きになりますか?》

〈ああ、頼むよ〉

《承知いたしました》

 スルーズが魔石を握って頷いたので、葵も首に掛けてあった魔石を握った。

 ここからはミシェールの手鏡だけではなく、スルーズの読心魔法との複合魔法である。もちろん葵のシンクロ魔法があってそれが成り立っているのだが。



「アナスタシア様、シャルル軍の両側面に向かわせたそれぞれ百名の奇襲部隊が所定の位置に着いた模様です」

 侍女長のルーシー・エルモンドは戦時においては幕僚でもあったようだ。

「分かった。五百の弓隊を砦の前に出せ。敵が攻めてきたら、前衛は退却と見せかけ、本隊は一斉に弓を放て」

「承知しました」

「機を見て半鐘を鳴らす。五度目の音を以て、奇襲部隊は敵の側面を突くのだ。それでは皆の者、配置に就け」

「了解!」

 ルーシーたち三人の幕僚はアナスタシアに背中を向けて退出した。 



 間もなく走竜に乗ったアナスタシア軍が、布陣する高台からシャルル軍の正面目がけて駆け下りてきた。その数三百程。


 葵はミシェールの持つ手鏡から目を逸らした。

「こちらも作戦実行だ」

 葵は兵長のゴメス・ザーランドに言った。

「分かりました。全軍!! 作戦A実行!!」

 拡声器のいらないゴメスの大声が響き渡った。


 ゴメス率いる四百の先鋒が迎撃に出て、アナスタシア軍の先鋒と激突した。

 だが、敵本陣から半鐘の音が聞こえると、数分矛を交えただけでアナスタシア軍は撤退し始めた。

「追撃せよ」

 兼ねてからの葵の指示通り、ゴメスが檄を飛ばし先頭切って追撃に出た。

 そして四度目の半鐘が鳴った時、葵が宙に向けて、ピストルを二回撃った。撤退の合図だ。

「止まれ!! 急ぎ退却!!」

 ゴメスの部隊は追撃を止めて走竜を反転させた。


 シャルル軍本陣にいる葵がフラグを振ると、前衛のシャルルが大きく手を挙げて了解した。

 そして孔明が考案した百体の木牛流馬ぼくぎゅうりゅうばを放った。

 木牛流馬とは、魏・呉・蜀の三国が鼎立する三国志の中に出て来る、諸葛亮孔明が考案した自動の食料運搬車両の事だ。

 元居た世界で葵は、それがどういった物だったのか、自身の推論の中で、幾つかの試作機をこしらえていた。

 それをようやく形にする事が出来たのだ。

 撤退するゴメス隊と入れ違いになる形で、木牛流馬が敵本陣を目指した。

 離れた場所からでは作り物とは分からないが、スピードは走竜の半分程だ。

 しかし、スピードは問題ではなかった。

 むしろスピードを押さえて敵の矢の標的になる事に重きを置いていた。

 木牛流馬の上には人に見立てた等身大の藁人形を据え付けてあった。


 五度目の半鐘が鳴った。

 同時に敵の砦から無数の矢が放たれた。

 当然だが、敵の矢は人に見立てた藁人形に集中した。

 雨あられと矢を被った藁人形は、まるでヤマアラシのようだった。

 それでも前進を止めない。

 そのまま丘を目指して駆け上り始めた。


 一方敵の奇襲部隊は、五度目の音が鳴り響くと同時に、シャルル軍本隊の両側面から鬨の声が上げた。

 無防備な側面を突かれるかに思われた。

 だが、地響きが起きた後、鬨の声は悲鳴に変わった。


 葵はミシェールの手鏡で両翼の状況を覗き見た。

 どちらの敵小隊も、狙い通り数ヵ所掘った落とし穴にはまっていた。

 更に、この世界にあったバルサム唐辛子の代わりになる植物を原料にして開発したOCガス、つまり催涙ガスを、この戦いで葵は使用していた。

 従来の物と比べたら、催涙成分は少し弱いが、その分嗅覚や喉への刺激が強く、一時的ではあるが呼吸困難や神経障害に陥らせる成分があった。

 落とし穴に落ちると同時にOCガスが拡散するように仕掛けていたのだ。

 総体的に見てその威力は葵の世界のものより数倍強力だった。

 必勝を掛けて両脇を狙ったはずの敵軍は、逆に、落とし穴の中をのた打ち回る結果となった。 

 

 葵はミシェールに、手鏡の意識を最前線の木牛流馬に向けてもらった。


 木牛流馬の先頭は丘を登りきり、防御柵の前で止まっていた。

 敵の槍兵が慌てて飛び出してきた。

 木牛流馬には、丘を登り切った所で、OCガスが自動発動するように仕掛けてあった。  

「うわぁぁぁ!! 目が!!」

「ぐぁぁぁぁ! 鼻が痛い!!」

「体がしびれて動けない!!」

 丘に到達した木牛流馬が発生させたOCガスは風下になるアナスタシア軍全体を直撃した。

 丘を登る木牛流馬は、次々に柵の前でOCガスを散布した。

 しばらくの間、丘の上は催涙ガスが充満していた。

 異変に気付いて逃げようとした兵士もいた。

 しかし二重に設けられた強固な防御策は、皮肉にも、アナスタシア軍の逃げ場を塞いでしまった。



 ミシェールの手鏡がアナスタシアの居る本陣を映した。 


 立っている者は誰もいなかった。

「な、何なんだ…これは……」

 地面にうつぶせに倒れるアナスタシアの姿があった。

「息が苦しい……」

「アナスタシア……様……ご無事…ですか…」

 ルーシーは倒れ込みながらも、アナスタシアの身を案じていたが、帝国軍に居立つ者の姿は見当たらなかった。

 ガスが抜けた後、シャルル軍が一斉に突入した。

 気丈に向かってくる者も若干いたが、無傷なシャルル軍の前では、抵抗と呼ぶには程遠いものだった。

 その中にあって気力を見せたのがアナスタシアだった。

 臭気が消えて、好機とばかりなだれ込んだシャルル軍の兵士数人に、ふらつきながらも怪我を負わせる抵抗を見せた。


「彼女は死なせたくないし、こちらも死人を出したくない」

 葵がそう告げるとすべてを察したスルーズが、走竜にまたがって走り去った。

 スルーズが去った事で音声は途絶えた。

 

 間もなく現れたスルーズの素早い攻撃に、万全の体調でないアナスタシアは凌ぐだけで精一杯だった。

 それでもアナスタシアのS級シュバリエの称号は伊達ではなかった。

 スルーズにしても、攻撃を加えながらも彼女への気遣いを忘れていなかった。

 決して肉体への攻撃はせず、剣の捌き合いに徹していた。


〈ロゼ、アナスタシアは捕らえてはいけない〉

《分かっています。彼女の自尊心を傷つけず、自らの意志で投降させるべきです》

〈理解してくれて助かるよ、ロゼ。そのまま誰にも手出しさせないでくれ〉

 葵の記憶とシンクロしたスルーズとは以心伝心と言ったところだ。

 葵の意図する所をすべて酌んでいた。


「シャルル軍よ、聞け」

 とスルーズがアナスタシアを取り囲もうとするシャルル兵に告げた。

 通信魔石を持っている者同士、スルーズの声は葵の耳にだけ届いた。

「孔明様のお達しがあります。この場は孔明のサーバント・スルーズに任せて、全軍は当初の指示通り、帝国軍兵士を殺傷せず捕縛に当たれとのこと。速やかに行動に移れ」

 スルーズが機転を以てその場を仕切った。

〈それでいい。よくやったよ、ロゼ〉

《お褒めに与りありがとうございます》

〈今からぼくも駆けつけるよ〉

《お待ちしております》


「ぼくも敵本陣に赴く」

 とミシェールに告げた。

「お気をつけて。孔明様」


 猶予はない。

 グズグズしていたら誇り高きアナスタシアは自刃するかもしれない。

 シャルルに手短く状況説明をして、彼がまたがる走竜の後ろに乗り、葵はアナスタシアの居る本陣を目指した。

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