第14話 和睦





 葵がアナスタシア軍本陣に到着すると、シャルル軍によって多くの帝国軍兵士が拘束されていた。

 負傷者は目につくが、戦死者は今のところ見当たらなかった。

 シャルルと共に本営に駆け込むと、スルーズと対峙するアナスタシアと三人の側近がいた。

 スルーズはともかく、OCガスを浴びたアナスタシアは疲労困憊ひろうこんぱいといった感じだが、気丈に立っていた。

 ルーシー以下三人の側近は剣を杖代わりに辛うじて立ってた。

 葵を見止めたアナスタシアの目が大きく見開かれた。


「キミが軍師・孔明か」

 気高く、それでいて直向ひたむきな眼差しで葵を見た。

「お初にお目にかかります。アナスタシア皇女殿下。諸葛亮孔明です」

 葵が名乗ると、一瞬だがアナスタシアはホッとしたような笑みを浮かべた。

「わたしの策は……キミによって…全て看破されていたのだな」

「恐れながら……」

 どう言葉を続けていいのか分からず、葵は口ごもった。

「見事だった。わたしと同じ……黒髪と黒瞳を持つ…軍師殿よ。ここまで完膚かんぷなきまで……叩き伏せられたら…却って清々しい」

 強がりでも、媚でもない、アナスタシアの本心だと分かった。

「わたしは敗軍の将だ……どのような処断も…厭わない。だが……部下たちには…温情を以て…当たってくれないか」

 アナスタシアは葵の隣りに立つシャルルに目をやった。

 シャルルはアナスタシアの前に膝を落とした。

 葵もそれに従った。

「皇太女アナスタシア殿下。お初にお目にかかり恐悦至極に存じます。シャルル・ロイ・マイストールにございます」

 シャルルは挨拶の後、眉をひそめた。

「わたしの本音を申しますと、アナスタシア皇女殿下とは争いたくはありませんでした。その気持ちは今も変わりません。ですから、アナスタシア皇女殿下以下帝国軍兵士は、このまま帝都・エルミタージュにご帰還願いたく存じ上げます」

「それでは…我が兵士の断罪は…ないと言うのだな」

「はい。わたしの願いは帝国に仇成すことではございません。マイストールの自治と男爵位の復権のみにございます」

「それがキミの……真実なのだな」

「はい。それ以上の望みはございません。ゴーランドの支配の中で民は重税と強制労働に苦しんでいました。わたしの望みはマイストールの民が幸せな暮らしを営むことにございます。わたしはそれを叶えるべく立ち上がっただけなのです。人々を解放し、かつてわが父が成していた、自由と平和と豊かな暮らしを、人々に取り戻したかったのです」

「そうか……」

 アナスタシアは穏やかな眼差しを以て、握っていた剣を捨てた。

「その思いは…わたしも同じだ」

 アナスタシアも膝を落とそうとした。

「いけません。皇女殿下」

 スルーズが素早くアナスタシアの腕を取り、倒れそうになる彼女を椅子に座らせた。

「あなた様が我々に膝を落としてはいけません。アナスタシア様は最後までわたし達の主でなければならないのです」

「スルーズ、ありがとう。キミは…わたしが見込んだ通り……立派なシュバリエだ。心技一体とは…キミのような…武人を言うのだろうな」


「アナスタシア様。ここは和睦してはいただけないでしょうか?」

 とシャルルが言った

「和睦? わたしは…破れたのだぞ」

「それは関係ないでしょう」

 と葵が言葉を挟んだ。

「先程ロイ…いえ、シャルルも言ったように、わたし達は皆が幸せに暮らせる貧困のない街作りをしたいだけなんですよ」

「貧困のない街作り……!」


「そうです」

 シャルルが言った。

「マイストールを奪還して二十日にも満たないが、孔明が街の住民の意識と組織の改革を行っていて、早くもいい方向に向かっているのです」

「どのような改革をしているのだ? よければ…わたしに…見せてもらえないだろうか」

 アナスタシアが興味津々に身を乗り出してきた。OCガスの影響が薄れてきたようだ。

「孔明は、どう考える?」

 シャルルが葵を窺い見た。

「よろしいと思いますよ」

 と葵は答えた。

「アナスタシア様にはぼくたちの成そうとしている物を、見て頂いた方がいいと思うよ」

「意見が一致したようだな。それでは、アナスタシア様のエスコートは孔明に任せていいかな?」

 いきなりシャルルにそう振られて、葵は少し戸惑った。表情は相変わらず涼し気な笑みを浮かべてはいたが。


「わたしもそれをお願いしたい」

 アナスタシアが目を輝かせて言った。

「軍師殿が迷惑でなければ…そうして頂きたい。色んな話も聞きたいし、教えて欲しいこともたくさんある。駄目だろうか?」

(ダメだなんて言えないよね……)

 表情こそ何食わぬ顔だが、どのような態度で皇女様の相手をしたらいいのか、葵には計り知れなかった。

 スルーズを見ると、いかにも笑いを堪えている風だった。

〈キミも人が悪いな。ぼくがこういうの苦手なの分かっているだろ? 助け船を出してもらいたいものだな〉

《ウフフフフ……失礼いたしました。お受けなられてはいかがですか? 後学のため、高貴なお方との社交辞令を覚えて頂いた方がよろしいと思いますよ》

〈ロゼ。何か楽しんでないか?〉

《そんなことありませんわ。とにかくお受けください。わたしがサポートいたしますから》

〈本当だね〉

《約束いたします》

 吹き出しそうな顔のスルーズから目を背けると、葵はアナスタシアを見上げた。

「ぼくでよければ、喜んで案内いたします」

 アナスタシアの顔が華やいだ。分かりやすい性格のようだ。

「ありがとう、軍師殿」

「軍師殿はお止めください。孔明とお呼びください」

「分かった。孔明、よろしく頼む」

 と言ってアナスタシアは孔明に右手を差し出した。

 ついさっきまで戦っていた者同士が、今このように手を結ぼうとしている。

 不思議な感覚だった。

 もう一つ不思議に思う事があった。

 アナスタシアの人柄はスルーズの読心魔法で知ってはいたが、それとは別の所で、葵は彼女との繋がりのようなものを感じているのだ。

(どこかで会ったことがあるのだろうか……)

 或いは日本人のような黒髪・黒瞳の彼女に懐かしさを感じて、そう思っただけなんだろうか。

 涼しい顔で戸惑っている葵の手をアナスタシアが握ってきた。

 そして、アナスタシアは握った手を引っ張り上げて、膝を落としていた葵を起立させ、同時に自らも椅子から立ち上がった。

「キミのことをもっと知りたい」

 好奇心溢れるアナスタシアの黒い瞳に、葵は吸い込まれそうな錯覚を覚えた。



 日が暮れようとしていた。

 アナスタシアが号令を掛けると、シャルル軍とアナスタシア軍は一同に会した。

 皆が集まる前で、膝を落として拝謁するシャルルにアナスタシアが手を差し伸べた事で、和睦を以て終戦宣言をした形となった。

 犠牲者は殆どいなかった。

 アナスタシア軍も殺傷を極力控えていた事が分かった。

 だが、これは戦争だ。

 僅かとはいえ、シャルル軍に九人。アナスタシア軍に十五人の死者が出ていた。

 半日ほど過ぎていたが、今だアナスタシア軍にはOCガスの影響を受けた者が半数を超えていた。

 近くにあるシュバルツの森のシャルル達の隠れ家で、休息を取ってもらう事にした。

 とは言え、全員の収容は出来なかったので、症状が軽度の者はログハウスの外の木陰で体を休めていた。



「和睦について補足したいことがあるのだ」

 アナスタシアが切り出した。

 鎧は脱いでいたが、女性らしいドレスではなく、男性の普段着のような格好だった。

 ここは葵に与えられていた、森の中のログハウスだ。

 六畳ほどの狭い部屋なので、両軍の参謀三名ずつ、計六名が集った。

 アナスタシア側は、彼女とルーシー。そして参謀長のパウエル・ラルク・ジルベル公爵だった。

 シャルル側は彼と葵と兵長のゴメスだった。スルーズはその会議から外されていた。

「今日の戦いは本来わたしの負けだが、和睦という形を取ったのはいい判断だったと思う。なぜなら帝国は対面を重んじるから、わたしが敗退したとあれば、更なる大軍を以て、帝国軍が勝利するまで繰り返される泥沼の戦いになったであろう。それを考えれば、和睦は最良の判断だったと思う。だが、一つだけ難があるのだ」

「と言いますと?」

 少し眉を顰めるアナスタシアに葵が続きを促した。

「マイストールの自治とシャルル・ロイ・マイストールの男爵位の復権は、皇太女としてのわたしの権限の及ぶ範囲だが、和睦については少々問題があるのだ。要するに、和睦と言っても、帝国に利する物がないと、陛下とその側近を納得させることが難しいのだ」

「つまり、戦利品とか和解金が必要という事なのでしょうか?」

 シャルルが心配そうに尋ねた。

 今のマイストールはゴーランドの悪政で疲弊している。帝国に差し出すお金はどこにもないのだ。

「いや、金品の要求ではない。マイスールの市民を苦しめるような要求はわたしもしたくはない」

 アナスタシアの言葉に一旦シャルルはホッとした様子だった。

「では、何を要求されますか?」

 尋ねる葵に、アナスタシアは少し躊躇ためらいがちに目を向けた。

「キミが所望なのだ」

 シャルルとゴメスが驚いた様子でアナスタシアと葵を交互に見た。

「孔明。キミに、わたしの幕閣に加わってもらいたいのだ」

 アナスタシアの言葉にゴメスが目を見開いた。

「お待ちくだされ! 軍師殿はわれわれの頭脳です。その方を持っていかれたら……!! もしや、狙いはそれですか!!」

 ゴメスが顔色を変えると、アナスタシアの両脇にいる側近が剣に手を掛けようとした。

「皆の者、早まるな!!」

 アナスタシアがよく通る澄んだ声で一喝した。

「この戦いにおいて使用された自動で動く木細工や、体を麻痺させる煙など、今までの戦闘記録にはない戦術だった。あれは孔明がいた世界の戦い方なのだろう?」

「まあ、そうですね」

「孔明を軍師に迎えることで、その未知の戦術を以て隣国の侵略に備えることが出来ると、陛下にアピールしようと思うのだ。キミ達から軍師殿を奪っておいて騙し討ちなど、絶対にしないし、させない。マイストールの自治とシャルルの復権は保証する。だから考えてはくれないか?」

 シャルルとゴメスは渋い顔を見せながらも、頷き合った。

「しばらく時間をくれますか?」

 と言ったのは葵だった。

「もちろんだ。じっくり考えて欲しい。正直な所、今のロマノフ帝国がどこに向かおうとしているのか、わたしには…おそらく帝国を動かしている者達も、見えなくなっていると思う。わたしはこの国を愛し、この国に住む全ての者が幸せであるよう願っている。なのに、わたしはその策を知らない。だからわたしは孔明に力になってもらいたいのだ」

「ぼくにそんな大それた力はありませんよ」

「これは強制ではない。お願いだ」

 アナスタシアが身を乗り出した。

「キミが必要なのだ。いや、キミでなくては駄目なのだ」

 葵を見つめるアナスタシアの瞳から熱いものを感じた。

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