第12話 帝都 エルミタージュ
「孔明。キミは最初からこれを狙っていたのか?」
ギルド総会に出席した若いギルド長の面々を見渡した後、シャルルが
孔明は涼し気な笑みを浮かべただけで言葉では答えなかった。
正直なところ計算外ではあったが、結果オーライとも言えた。
私利私欲にまみれたギルドのトップに恭順と自粛してもらうのが本来の狙いだったが、シャルルの電光石火のマイストール奪還計画は、葵が考えていた以上に彼らにとっては衝撃だったに違いない。
加えて、前マイストール男爵の殺害の主犯はゴーランドだが、ギルド長を含む町の有力者は、何らかの関与があったと見ていいだろう。
仮に関与がなかった所で、見て見ぬふりしていた連中は、弁明も許されない復讐を恐れたに違いない。
後ろめたい者達は一晩のうちにマイストールを後にした。
「シャルル、ここを去った彼らの行先は分かるかい?」
「ああ。たぶん、帝都エルミタージュだ」
「つまり、彼らの到着と同時にぼくたちの
「孔明は、帝都の派兵があると思うか?」
「そうだね……ロマノフ帝国は威信を重んじる国かい?」
「当然だ。威信無くして国は成り立たないと思っている」
「なら、間違いなく攻めてくるだろうね」
「それだったら、悠長に構えてはいられないぞ」
シャルルは緊張感を漂わせた。
葵は笑って見せた。
「状況が分からないと作戦の立てようがない」
「それでは密偵を…!」
と慌てるシャルルを葵は制した。
「気付かないかい?」
「えっ? 何がだ?」
「ぼくのサーバントがいないだろ?」
シャルルは辺りを見渡した。
「それじゃ、彼女を密偵に向かわせたのか?」
「昨夜のうちに出発したよ。元ギルド長達より先に帝都に到着している筈だ。それと、キミに一つ聞きたいのだが、キミは帝国に恭順を示すのかい? それとも徹底抗戦をするのかい? それによって戦略が違ってくる。一応どちらにも対応出来るよう準備はしているけどね」
「相手の出方次第だ」
「つまり、マイストールの自治権とキミの爵位の復権認めてくれたら、恭順出来ると考えていいんだね」
「その通りだ」
「分かった。その路線で何通りかの戦略を立ててみるよ」
それに、と葵はニヤリと笑った。
「面白い物を職人たちに作らせている。戦闘には間に合うと思うよ」
「それは何だ?」
「出来てからのお楽しみです」
葵の言葉に、シャルルは肩すかしを食らったような顔をした。
スルーズが
走竜はクロノス特有種で、サラブレットよりも早くそれでいて何倍ものスタミナのある、飛べない竜だ。
(そろそろ着いている頃だろうか)
スルーズには一応嘆願書なる書簡を持たせてあるが、真の狙いは敵情視察であった。
人間離れした身体能力を持つスルーズは、帝都エルミタージュの五十メートルの城壁ですら乗り越えられと言い放っていた。
帝都で影響力を持つ者の中で、話の出来る相手は皇太女のアナスタシア皇女だけだとも、スルーズは言っていた。
(うまく接触できたのだろうか…)
葵はマイストールに与えられた自宅に戻ると、引き出しにしまっていた黄色の魔石を取り出した。
この魔石はサダムの部屋にあったものだ。
使い方はスルーズに教えてもらった。
もう一つある同じ魔石はスルーズが持っている。
通信魔法の魔石だ。
非常に希少な魔石で、中流の貴族邸に値する価値があるのだ。
誰にでも使えるものではないが、スルーズの魔力マナとの相性が良かったようだ。
受け手となる葵のシンクロ魔法は、相手の魔力の相性を共有するものなので、使い方を考慮すれぱ万能魔力となりうる可能性を秘めていた。
葵は魔石を軽く握った。
〈ロゼ、聞こえるか?〉
しばらく間があった。
《ええ、聞こえます》
〈どのような状況だ?〉
《はい。結論から申し上げますと、決裂いたしました》
〈聞いてはもらえなかったんだね〉
《アナスタシア様に仲介して頂きましたが、皇帝陛下は初めから聞く気はなかったように見受けられます》
〈と言うと?〉
《マイストールは簡単に落とせると考えているようです。この度はアナスタシアに箔をつけるための
〈なるほど…実績のないお姫様に武功を上げさせて、次期皇帝の威信を高めようということだね〉
《その通りです》
〈アナスタシア姫という人はどういった人柄なんだい?〉
《そうですね。届くかどうか分かりませんが、わたしのマナを送ります。感じる事が出来なかったら
葵はスルーズの指示に従った。
間もなく何処かの宮廷の内部のような風景が、魔石を通して、葵の頭の中に流れ込んできた。
ここは宮殿内のアナスタシアの部屋だと分かった。
それはスルーズの一日前の記憶だった。
「誰だ!」
黒髪と黒瞳の若い女性が剣の鞘に手を掛けて振り返った。
「マイストールの使者にございます」
「マイストール? ああ、地方都市のか? それでわたしに何用だ」
アナスタシアの肩にはS級シュバリエの紋章があった。
スルーズに殺気がないことくらいは察知したようだ。
そして大切な使命を帯びている気配を感じたのか、皇室侵入の不敬を咎める様子もなく、アナスタシアは葵が
スルーズと記憶をシンクロさせた事で、葵はこの世界の読み書きも出来るようになっていた。
「マイストールをシャルル様が奪還いたしました。そのことをご報告いたしたいのと、シャルル・ロイ・マイストールの男爵位の復権をお願いに上がった次第です」
「マイストールの奪還だと?」
「はい」
「わたしには詳細が分からない。詳しく話してくれないか」
「分かりました」
スルーズはシャルルやミシェールから見た記憶をアナスタシアに告げた。
話の内容には葵の知らない事も多々あった。
スルーズがすべて話し終えると、アナスタシアは脱力したようにイスに座り込んだ。
「ご使者よ、名を何という」
「スルーズと申します」
「ありがとう、スルーズ。キミ達は大変な思いをしていたのだな。陛下にはわたしから申し上げておく。ただ……」
アナスタシアは暗い顔をした。
「パンゲア大陸最大の領土を持つこのロマノフ帝国は、西にアルビオン王国・東にゲルマン王国の脅威に備えねばならない。それだけに、巣を食う虫にはとても過敏になっているのだ。マイストールの動乱が本当に復権だけなのか、或いは敵国に内通してのことなのか、キミの話だけでは判断がつかないのだ」
「いえ、それはごもっともな話にございます。
「とにかく、陛下にはわたしから話しておく。だけど……キミは優秀な間者のようだが、部屋に忍び込むのは、あまり褒められたものではないぞ」
そう言ってアナスタシアは苦笑した後、何かを書いた紙と鍵をスルーズ渡した。
「わたしは平民層にも家を持っているから、しばらくはそこに滞在して欲しい。住所はその紙に記してある。食料は昨日備蓄したところだから大丈夫だ。好きに食べてくれたらいい。陛下との交渉の結果はわたしの方から伝えよう」
「わたしを信用していただけるのですか?」
「帽子で顔を覆い、暗い眼鏡で目を隠していても、キミが一廉の武人であることは分かるよ。背後から切りかかるような
アナスタシアの人を見る目と
顔立ちは西洋人ハーフといったところか。
だけど、その黒髪と黒瞳は日本人のようだった。
《葵様。葵様》
〈ああ、すまない〉
《今、
珍しくスルーズが尖った物言いをした。
〈すまない。アナスタシアは、髪の色や瞳の色がぼくの居た世界の女性のものとよく似ていたんだよ〉
《それは知っていますけど、本当にそれだけでしょうか?》
〈どういう意味だい?〉
《さあ、どうでしょう? 葵様、続きがあります。それではマナを送ります》
スルーズの態度が気になったが、葵はスルーズから送られてくるマナに集中した。
翌日の…つまり今日のスルーズの記憶だった。
夕刻になってアナスタシアが単身で訪ねてきた。
「スルーズ。皇帝陛下にキミから預かった嘆願書を手渡したが、
「交渉決裂というわけですね」
「そう言うことになる。シャルル・ロイ・マイストールと主だった者の身柄の引き渡しを以て決着とする、と言うのが陛下のお言葉だ」
「……承知いたしました」
スルーズは背中を向けようとした。
「スルーズ。力になれなくて済まない。キミの主の
スルーズは去りかけた歩みを止めて
「シャルル様はわたしの主ではありません。わたしは孔明様のサーバントでございます」
「孔明?」
「わたしと共に異世界より召喚された、シャルル様の軍師にございます」
「キミは異世界人なのか?」
バルキュリアの素性を隠すために、そういう事になっている。
「はい」
「召喚された軍師と言うのだから、孔明という者は、知略に
「シャルル様が三年かけて出来なかったマイストール奪還を、一晩でやってのけた方です」
「軍師殿はどのようなお方だ」
「外見を申せば、アナスタシア様と同じ、黒髪と黒瞳の持ち主です」
「………! それは、本当か?」
「はい」
スルーズが短く答えると、アナスタシアはしばらく考え込んでからこう告げた。
「住民に被害の及ぶ攻城戦は好まない。これより十日後、マイストール領・シュバルツ平原にて
「承知いたしました」
スルーズは再び踵を返した。
そこでマナが途切れた。
《申し訳ありませんでした。わたしの力及ばす、こういう結果になってしまいました》
〈キミのせいじゃないよ。予想範囲の結果だ。気にすることはない〉
《ありがとうございます》
〈ロゼ、気をつけて帰ってくるんだよ。戦いが避けられない以上、キミはマイストール軍最大の戦力なんだから〉
《承知いたしました》
定時報告はそれで終了したが、スルーズからいつ緊急の連絡が入るかもしれない。
葵は首ひもの付いた魔石を、引き出しに戻さないで首に掛ける事にした。
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