第7話 スルーズの記憶

 




 スルーズ・ロゼ・ランブルフの初仕事は九歳の時だった。

 ゲルマン大王国領のバルキュリーに生まれ、クロノスではその名を恐れられる女戦闘集団・バルキュリアの末裔だ。

 一騎当千と言われるバルキュリアの身体能力は、どの戦闘集団をも圧倒していた。

 戦う相手はゲルマン王国の宿敵ロマノフ帝国だ。

 スルーズは初陣で一個中隊(約二百人程)を一人で撃破した。

 三人姉妹の末っ子だったスルーズの初陣ですらそうだ。

 それぞれ三つずつ年配の二人の姉の武功は当然スルーズを凌いだ。

 一個大隊(約九百人程)を姉たちはたった二人で壊滅させていた。

 二人とはいえまさに一騎当千だ。

 特に一個師団を失ったロマノフ帝国側からすれば、バルキュリアは恐怖と憎しみの称号となった。

 遠征軍を率いてゲルマン王国に進行していたロマノフ帝国軍は、この戦いで皇太子のトーマス・ミラー・ロマノフが戦死した。



 

 十二歳になった頃、性の知識を得たスルーズは上の姉・バーバラ・ルミ・ランブルフにずっと疑問に思っていた事を尋ねた。

「ルミ姉さん、わたし達バルキュリアはどうして女の子しか産まないの?」

「産まないの、じゃなくて産まれないのよ」

「じゃあ、どうして産まれないの?」

 バーバラは首を横に振った。

「それは姉さんにも分からない。お母さんも……おばあちゃんも……その先のご先祖様も、みんな女の子しか産んで来なかったから」

「わたし達がお父さんの顔を知らない理由もそこにあるの?」

「さあね。でも……」

 とバーバラは苦笑した。

「わたし達は強いから、男なんて必要ないでしょ? バルキュリアが傭兵を生業なりわいとする理由は二つあるわ。分かる?」

「ううん。分からない」

 スルーズの答えにバーバラは笑みを見せた。

「一つはお金のため。もう一つは戦場の中で強い男を見つけて、子種をもらうためよ。この意味分かるでしょ? ロゼはもうなんだから」

 スルーズは少し頬を赤らめて小さく頷いた。

「もっともバルキュリアに勝てる男なんていないけどね。三合も合わせられたら合格にしてあげないと、交わる男がいなくなるわ」

 それを聞いていた下の姉・エリーナ・ゼル・ランブルフが可笑しそうに笑った。

「だから姉さんは十八歳になってもバージンなのよね」

「な、なによそれ」

「だって、姉さん相手に三合も合わせられる男なんているわけないじゃないの。姉さんはバルキュリー最強のバルキュリアクィーンなのよ」

「まあ、そうだけど……でもね……」

 とバーバラはスルーズを見て頭を撫ぜた。

「ロゼはもっと強くなるわ。わたしより、ずっとね」

「ルミ姉さん…」

 ずっと背中を追いかけていた姉からそんな言葉を掛けられて、スルーズは恥ずかしくもあり嬉しくもあった。



 スルーズ達の故郷であるバルキュリーに男は住んでいなかった。

 スルーズやその姉妹たちは自分の父親の顔を知らないのだ。

 バルキュリアは遠征の間に見つけたお気に入りの男と契りを交わすのだが、懐妊とともに故郷・バルキュリーに戻って子供を産む。

 バルキュリアから生まれた子供(女の子)は父親が誰であろうと、バルキュリアの血統と能力を引き継いだままこの世に生を受ける。

 とは言え、父親の遺伝子による能力の優劣は否定できなかった。

 だからこそ、彼女達バルキュリアは、より強い男を巡って、剣を交えながら従軍を繰り返すのだ。


 ランブルフ三姉妹の父親は全部違う。

 スルーズの父親はロマノフ帝国の騎士という事らしいが、二人の姉の父親は身元不明だった。


 契約が終わると、戦利品と報酬を持って故郷に凱旋するも、休む間もなく契約が更新され、ランブルフ三姉妹は幾つもの戦場を駆け巡った。

 スルーズが十四歳になった頃、バーバラとエリーナが懐妊して、故郷・バルキュリーに長期帰郷した。

 その代わりにやってきたのが、十二歳のエルとエムの双子の姉妹だった。

 バルキュリアだけあって二人とも戦闘力に申し分はなかった。

 だが素行に問題があった。

 バルキュリアは契約書を交わさない。口約束でも一度交わしたものは絶対だ。

 雇い主に忠実で、信義に厚く礼節を重んじるバルキュリアだからこそ、並外れた戦闘能力を畏怖されながらも、厚い信頼を受けていた。

 そういったバルキュリアの信念が、エル・エム姉妹には欠けていた。

 手癖が悪く倉庫から勝手に貴重品を盗むし、欲しいものは敵味方関係なくその場で殺戮さつりくしてでも奪い取る。

 降伏している敵兵をも殲滅せんめつした。

 二人の素行の悪さはそのままバルキュリアの批判となる。

 信用を失えばバルキュリーの人たちは傭兵としての職を失う事にもなるのだ。

 スルーズも何度か忠告したが全く受け入れられなかった。


「ゼロ。あの二人の解雇を命ずる」

 目に余った師団長がスルーズにそう告げた。 

 ゼロとはスルーズが彼らに教えた名前だ。バルキュリアは基本的に本名を教えないのだ。

 スルーズの言葉に耳を貸さなかった二人を、庇う余地などなかった。

 スルーズは首を縦に振るしかなかった。

 だが……


「いやよ。誰が故郷に帰るものか」

「そうよ。バルキュリーではわたし達が勝てる人なんていなかったけど、こっちではわたし達に勝てる人なんかいないわ。やりたい放題出来るのよ」

「あんた達は、バルキュリーの信念を捨てるというの?」

「わたし達に信念なんてないわよ。わたしは自由に暴れたいの。誰にも止められないわ。もっとめちゃくちゃにしてやるわ」

 二人は部屋を飛び出した。

 それだけでは収まらなかった。

 逆上した二人は解雇したゲルマン王国軍に牙を剝いたのだ。

 倉庫の中の物資を略奪し、それを止める守衛を殺害した。 

 こうなったら止める方法は、二人を倒すしかなかった。


 バルキュリアは怪我をしてもすぐに回復する。

 その回復力は並の人間の数十倍だ。

(重傷を負わせても無駄だ。殺さないといけない)

 バルキュリア同士の戦いは、一個師団同士の砲撃戦のような戦痕を辺り一面に残す、凄惨せいさん極まりない戦闘となる。

 これ以上雇い主であるゲルマン軍に被害を与えるわけにはいかなかった。


(暗殺しかない)

 スルーズは苦渋の決断で暗殺を実行し、エムの殺害には成功したが、エルには逃げられてしまった。

 エルは腹いせとばかりゲルマン王国の軍営を襲い、追いかけてきたスルーズとその場で戦闘となった。

 スルーズとの実力差はエルも知っていたから、彼女はスルーズとの戦闘をかわしながら、攻撃はもっぱらゲルマン軍人に向けられていた。

 そんなに長い時間は掛からなかった。

 間もなくスルーズの刃がエルの心臓を貫いた。

 だが……。

 ゲルマン軍の兵卒に、多くの死傷者が出ていた。

 大隊一つが壊滅するほどの被害にゲルマン軍も黙ってはいられなかった。

 スルーズにも師団長から解任の命令が出された。

 普通の者なら即処刑される大罪だ。

 だが、スルーズの強さを知る彼らは、表立ったバルキュリアとの敵対は避けたかったのだろう。

 報酬と呼ぶには程遠い、僅かな金品を手渡されスルーズは放逐された。



 行き場を失ったスルーズは帰省する事にしたが、その途中には暗殺の魔の手が伸びていた。

 直接手を出してくるわけではない。

 バルキュリアに真っ向勝負して勝てないのは分かっているからだ。

 宿の食べ物に毒を盛ったり、火薬を仕掛けられて建物ごと吹き飛ばされたりもしたが、すべては事前予知出来ていた。

 スルーズは常に読心魔法によって、自分に接する人間の本音を知っていたのだ。



(胸騒ぎがする……)

 スルーズは帰省する足取りを速めた。

 だが、バルキュリーに戻ってみると村が消失していた。

 緑に囲まれたバルキュリーの村のあった場所が、まるで隕石跡のような大きな円形の穴と化していた。

 スルーズが見下ろす眼下には、押しつぶされたような死体が転がっていた。

「な、なんだこれは……。ルミ姉さん…ゼル姉さん…」


(誰だ……!)

 背後に誰かの気配を感じた。

 ゲルマン軍の兵士だった。

 兵士は慌てふためき、腰を抜かして座り込んだ。

「うわあああ……バ、バルキュリアだ!」

 這うようにして逃げる兵士をスルーズは捕まえて、瞳孔を覗き込んだ。

 スルーズ得意の読心魔法だ。


 兵士の記憶がスルーズに流れ込んできた。

 

 小さな盆地の中にあるバルキュリーの村の周囲には、ゲルマン王国中の魔導師と十万の軍隊が取り囲んでいた。

 まず魔導師が演唱を行い黒い魔法石を握った両手をバルキュリーの村にかざした。

 重力操作魔法のようだ。

 その魔法を使える者はそんなに多くない。

 だが、そんな固有能力がなくても、魔導師である以上魔法エネルギーであるマナは、かなりの量を保有しているのだ。

 彼らのマナを借りれば、重力操作できる魔導師の数が少なくても、その数だけマナを使用できるから、マナの量だけ魔力を発揮できるのだ。 

 そこから放出された魔導エネルギーは、小規模なブラックホールのような球体を作り、バルキュリーの村に落下させた。

 わずか数十秒の出来事だったが、バルキュリアを壊滅させるには十分な威力があった。

「全軍出撃!! 一人も生かすな!!」

 その兵士の名はアダムと言った。

 全貌を見渡せるのはここまでだった。

 突撃態勢に入ってからはアダムの近距離戦しか見えて来なかった。

 それでもバルキュリーの惨状は克明に映し出された。

 ほとんどの者は地面に埋没していた。

 確かめるまでもなく絶命していたが、バルキュリアを恐れる兵士達は、一人一人入念に剣を刺し込んでいった。

 と、よろけながらうごめいている二つの影がアダムの目に映った。

 全身ボロボロで、むき出しになっている皮膚からはどす黒い血が染み出していた。

 

(……ルミ姉さん!! …ゼル姉さん……!!)

 この二人なら逃げ延びているかもしれないと微かな希望を持っていた。

 だけど、二人とも身重だった事が災いした。

 あれだけ無敵だった二人の姉が、成すすべなく兵卒のやいばさやとされていた。

 重力魔法によってすでに命は尽きていたのかもしれない。

 ルミとゼルは声を上げることもなく、地面に崩れ落ちた。

(姉さん……!!)



 二人の姉の最期をみとった後、スルーズはアダムに対する殺意を覚えた。

 だが彼は初陣の一兵卒だったし、二人の姉の最期を見ていただけで、他のバルキュリアにもとどめを刺していなかった。

 ただ震えて茫然自失のまま、殺戮現場を徘徊していただけだった。

 アダムには故郷に残した婚約者もいた。老いた母もいた。

(この男は悪いことをしていない)

 アダムがスルーズと出くわしたのは、彼だけが撤退する軍から離れて哀悼の意を持って、殲滅したバルキュリアに対し謝罪と祈りを捧げていたからだ。

 心優しき若い命を、奪うことは出来なかった。



「行け……!」

 スルーズは抜きかけた剣を両手で押さえ、アダムを解放した。

 拙い足取りで走り出すアダムを見送りながら、スルーズは歯を食いしばった。

(許せない……)

 スルーズはアダムの記憶で見た指揮官達の顔を頼りに、年月を重ねながら、次々に暗殺していった。


  

 そしてスルーズは遂にバルキュリー殲滅作戦を指示した最高責任者であるゲルマン王国・国王リーデルフ・ハイネンを旅行先の宿泊施設で、侍従もろとも殺害した。

 返り血にまみれたスルーズは、宿敵を倒したというのに、浮かばれなかった。

 むしろ生きる目標を失ってしまったと言っていいだろう。

(わたしはこれからどう生きていけばいいのだろうか)

 バルキュリーも滅んだ。

 ゲルマン王国に自分の安住の地など何処にもない。

 追われる身となったスルーズは、ロマノフ帝国に身を置くようになっていた。

 中央ではなく、辺境・地方の都市ならばバルキュリアである事を隠せるかもしれない。

 仕事も軍事侵攻に関わるものではなく、暗殺や殺し屋稼業に徹していれば、目立つ事もない。

 そう考えマイストールに南下したのだ。

 だが……。

 領主ゴーランド男爵の依頼を受けた時、その歓迎会で魔導師長のサダムに、言葉巧みに騙され、主従契約の腕輪をはめられてしまったのだ。

「貴様はバルキュリアだな」

 サダムはスルーズの正体を見破っていた。

「領主様には内緒にしておいてやるから、わしに従って働くがよい」

(迂闊だった)

 スルーズは油断していた。

 読心魔法でサダムやゴーランドの心を読まなかったのだ。

 食客となり、寝食を与えてくれた相手だからと、気兼ねしていた自分の甘さを呪った。

 そしてサダムの本性は野心に満ちたものだと気づいた。

〈ゴーランドにコイツの正体なんて教えるわけないだろう。マイストールはいずれわしの物になるのだ。バルキュリアには色んな使い道があるからな〉

 そんなサダムの声が聞こえた。

 それからも不本意ながらゴーランドに逆らう者を抹殺していった。

 その中にはマイストール奪還を目指していたシャルルの兄もいた。

 殺したくはなかったが、主従契約の腕輪がそれを許してくれなかったのだ。

 いっそ自殺しようかと試みたが、主従契約に触れてそれも出来なかった。

(わたしは死ぬまで、アイツに付き従わなければならないのか)

 スルーズは深い闇の中に取り込まれそうだった。

(誰か、わたしを殺して欲しい。お願いだから……)



 わたしを殺して……

  わたしを殺して……

   わたしを……

    ……助けて!!……

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