第3話 マイストールからの脱出 前編





 靴音がしたと思うと、暗がりから数人の男たちが姿を見せた。

「シャルル様! 成功いたしました」

 現れた男の一人にミシェールが涙ながらそう言った。

「救世主を召喚できたのか!?」

 シャルルと呼ばれた若い男は、葵を見て喜色を見せたが、ミシェールに抱かれて眠る男に気付くと、まぶたを落とした。

「ロベス……」

 シャルルが自分の胸に手を当ててこうべを垂れると、彼の背後にいた二人の男もそれにならった。

 どうやらこの世界、あるいはこの土地の儀礼のようだ。


「シャルル様、グズグズしてはいられません」

 男の一人が建物の外を気にしながら、シャルルの耳元で告げた。

「分かっている。ドボルジュとランドはロベスを頼んだぞ」

 そう言ってシャルルは葵の前に進み出た。

「救世主殿。わたしはシャルル・ロイ・マイストール男爵だ。とにかくわたしたちに同行して欲しい。詳しい話は後程に」

(マイストール?)

 ミシェールの膝の上で眠る、ロベスという男が口にした都市の名前だったはずだ。

 都市の名前と同じ名を持つシャルルという少年は、恐らくこの都市の城主かそれに値する地位にある人物ではないだろうか。

「救世主殿。行くぞ」

 たぶん葵より年少であろうシャルルは、葵の手を取って、祭壇の後ろに回り、裏出口から飛び出した。


 夜だった。

 出口の向こうに馬車が横付けされていた。

「乗ってくれ」

 ミシェールと葵をうながすと、シャルルはみずから馬車の手綱を取った。

 ロベスを抱えた二人の従者が乗り込むと同時に、シャルルは鞭を打った。


 馬車が走り出した後、シャルルは手綱をドボルジュとランドにゆだねて、葵の向かいに座るミシェールの隣りに腰を落ち着けた。

 ミシェールは手鏡のようなものを見ていた。

「シャルル様、追手は来ません。気付かれなかったようです」

「油断するな。罠があるかもしれない」


 葵たちを乗せは馬車は、石造りの建物の薄暗い路地道を選んで走っていた。

 急いでいるせいなのか、石畳の舗道が不整備なだけなのか、馬車は時折跳ね上がる。

 その度にミシェールが小さく悲鳴を上げた。

「シャルル様……!」

「ミシェール、大丈夫だ」

 肩を寄せ合う二人だった。

 シャルルとミシェールはどうやら恋仲のようだ。


 ふとシャルルと目が合った。

 それが話す切っ掛けになった。

「救世主殿、お名前を窺ってよろしいか?」

「諸葛亮孔明様です」

 隣りに座るミシェールが先に答えた。

「孔明でいいです」

 と葵は付け加えた。

「それでは孔明。あなたはどのような特技をお持ちか」

 それを聞かれて、葵は答えに窮した。


 この世界に必要な何かを持っているから葵は召喚されたのであろうが、それに相応ふさわしい特技とか技能を問われると、思い当たるものはなかった。

 葵は首を横に振った。

「特技など何もありません。ぼくの何を必要として、この世界に召喚されたのか、全く見当もつきません」 

「ご謙遜なされるな。今は火急ゆえ、率直に話して欲しい」

(そう言われても……)

 葵は困った時の涼し気な微笑みを浮かべた。


 ラノベとか漫画など読まない葵ではない。

 それゆえ、こういう場面で召喚されるのが、チートと呼ばれる無類無むるいなき剣士や魔術師でなければならない事も十分承知していた。

 しかも世界を救う救世主と来た。

(ありえない。人選ミスだな)

 それ以外考えられなかった。

 だが、今それをここで口にしたらどうなるだろう。

 間違って召喚されたと分かった途端……。

(殺される事だってあるな)

 葵は顎に手を置いて思案した。

(少し答えを保留しておいた方がいいな)


 とその時、手鏡を持ったミシェールが告げた。

「シャルル様…! 何か様子がおかしいです」

「どうした?」

「警備が手薄なはずの裏門に兵が集まっております」

「どれくらいの人数だ?」

「三十人程いるようです。更に駆けつけています」

「チッ…! とにかく一度路地裏に入って停車しよう」

 馬車は薄暗い路地の一角に入ったところで止まった。



 ミシェールははあたかも目前に敵を見ているかのような口ぶりだったが、馬車から見渡せる風景は、石畳の路地と煉瓦レンガと石造りの建物が並んでいるだけで、彼女が言う裏門など何処にも見当たらなかった。


「ミシェールは透視能力者なのか?」

「孔明様。透視能力とは少し違います」

 ミシェールが答えた。

「わたしは今、わたし達が逃げ口と考えている西の裏門を、この手鏡を介して見ているのです。でもこの手鏡は、他の人が見れば単なる手鏡でしかありませんが、わたしが覗けば一度見た所であれば、今現在の様子を見ることが出来るのです。ただしこの手鏡でないと見れません」

「どうして?」

「これが魔法ツールだからです。わたしはこのツールの適合者なんです」


(ユニークツールスキルと言ったところか)

 簡単に言えば他の人には使えないツールの特殊機能を、彼女だけが使えるということらしい。

「ミシェール。魔法について少し窺いたいのだが、いいかな?」

「ええ、何なりとお聞きください」

「この世界の魔法とは、人間に対してどのような威力があるんだい?」

「威力というのは攻撃力ということですか?」

 葵が頷くと、ミシェールは首を横に振った。

「クロノスでは魔法は攻撃には使いません……と言うか、攻撃に使える魔法保持者はごくわずかしかいません。クロノスというのは、この世界のことです」

 魔法は防御か攻撃のための補佐的な使い方でしかないらしい。

「わたしの手鏡による探査魔法もその一つです。直接攻撃は出来ません。攻撃は剣と弓、それに槍など兵卒によるもので、魔法を使って弓をコントロールしたり、槍を投げたりは出来ないのです」

「つまり、戦いの中で魔法が直接介入してくることはないんだね」

「防御には関与いたします」

「だいたい分かったよ。ありがとう」


「とにかく今は、そんなことはどうでもいい」

 とシャルルが苛立ったように言った。

「ミシェール。どこか別の逃げ道はないのか? 手薄になっている所でもいい。少人数の戦いならこっちが有利だ。ドボルジュとランドがいるからな」

 シャルルの言葉に、手綱を留めている二人が反応した。

「シャルル様、お任せあれ」

「蹴散らしてやりますよ」

「二人とも、当てにしているぞ。それより、ミシェール。見つかったか?」

「いえ、ダメです。二方の出入り口及び、裏門に至るまで、五十人以上の兵が配備されております」

「クソッ、すべてバレていたのか?」

 シャルルが葵を見た。

「孔明。力を貸してくれないか」

(困ったな…)

 葵は例の涼し気な笑みを浮かべた。 

「ぼくはこの世界について何も知りません。何よりもぼくの世界にはミシェールやその父親が見せた魔法というものがないのです。この世界の摂理とか概念も分からないままでは手の尽くしようがありません」

「言いたいことは分かる。だがこの状況下では、そうも言ってられないのだ。何か思い当たる力の根源はないのだろうか?」


(確かにシャルルの言うとおりだ)

 いや待てよ、と葵は漠然とした思いが頭に浮かんだ。

 この世界には、ミシェールが見せたような魔法という非科学的な物理的作用が、確実に存在していた。

(とすればこの世界に召喚されたぼくにも、何らかの作用が働いてもおかしくないはずだ)

「ミシェール、その手鏡少し借りていいかな?」

「ええ、どうぞ」

 とミシェールから手鏡を受け取って覗いたが、自分の顔しか見えなかった。

(これはぼくには使えないみたいだ)

「ありがとう」

 と言って手鏡を返そうとミシェールの指に触れたその瞬間だけ、手鏡に何かの風景が映った。

「ちょっと待って」

 葵はもう一度ミシェルの手を離れた手鏡を覗いたが、自分の顔しか映っていなかった。

「ミシェール、ぼくと一緒に手鏡を握ってくれないか」

「えっ?」

 と一瞬ためらったミシェールだが、葵の言葉に何らかの意図を感じ取ったのか、すぐに葵の指にその指を重ねた。

 その瞬間手鏡の中に、葵が通う大学の建物が映った。


「こ、これはどこですか?」

 恐らく見慣れない建物だったのだろう、ミシェールが驚いた顔で葵を見た。

「もしかして、ここは孔明様の住んでおられた世界ですか?」

 葵は頷きながら、

(そういうことか)

 となんとなく分かった気がした。

「今度はミシェールが手鏡を握って欲しい」

 ミシェールは勘のいい娘のようだ。

 葵がミシェールの手の上から指を添えると、案の定ミシェールの見ようとしている風景が見えた。

 そこには百人近い兵士たちが城門に集結していた。

「これが今向かおうとしていた城門か?」

「はい。これは正門です。二つの城門と二つの裏門はすべてこんな感じです」

 ミシェルの思考が変わると、手鏡に移る城門も変わった。

 どの門も兵で一杯になっていた。

 四つある街の城門を見た後、葵は何か違和感を感じた。

 もう一度四ヵ所の城門を見せてもらった。


「どうかなさいましたか?」

「一つ聞きたいんだけど…」

「ええ」

「この都市の兵隊の数はどれくらいだ?」


「八百人くらいだ」

 葵の問いにシャルルが答えた。

「ここマイストールは地方都市だからそんなに多くはいない。八百人と言ったのも、臨時に徴兵した民兵を考慮した数だ。実際には六百人少しといったところだろう」

「手鏡に映った兵の数は各城門にそれぞれ百人以上います。つまり城門にこの都市の半分以上の兵力を割いているということですよね。この世界の戦い方としてはありうる戦法なんですか?」

「いや…言われてみれば、確かにおかしい」

 シャルルは親指の爪を噛む仕草を見せた。

「これは籠城戦の時の人員配置だ。われわれのような少人数を捕縛するだけなら、それぞれの門に十人少々の兵を置くだけで十分だ。後は場内探索に使う兵を、五十人ばかり動員すれば事足りるはずだ」

「つまりこういった場合、百人未満の兵力を当たらせるのが、用兵の常套じょうとうということですね」

「その通りだ」

「でも、シャルル様。その場内探索の兵は見当たりません」

 とミシェールが言った。

「わたしたちに差し向けられた兵は、城門だけということなのでしょうか?」

「分からん。が、なんかやっぱりおかしいな」

「わたしもそう感じます」

 シャルルとミシェールは互いに頷き合った。

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