第2話 召喚された孔明
建物の中だった。
(どこだここ? それに桐葉は?)
光の渦から解放された葵は、まず隣にいた筈の桐葉を探した。
周囲を見渡したが見当たらなかった。
大学の遊歩道の
(教会みたいだな)
葵が今立っているのは、周囲より1メートルほど高い祭壇のような所だった。
何が起こったのか分からないまでも、とにかく桐葉を探さないといけないと、葵は思った。
その時だった。
葵の足元で何者かの声がした。
「%&#$"*」
全く分からない言葉だった。
薄暗い足元を見下ろすと、祭壇のすぐ下で、血まみれの中年の男を抱えた青い瞳と亜麻色の髪を持つ若い女が座り込んでいた。
葵と目を合わせた男が
そして葵に掌を向けた。
すると、男の掌から放出された虹色の柔らかな光が、葵の額に照射した。
(あっ!)
と思ったが、痛みはなかった。
(何なんだろう)
ほのかな温かさが頭の中に伝わってきた。
「成功だ……! 救世主を…異世界から…召喚したぞ」
倒れたままの男は、そう言いながら葵に震える手を差し伸べた。
「お言葉が……お分かりか?」
「は、はい……」
何が起こったか分からないが、葵は祭壇を下りると男の手を取った。
「救世主様……今あなた様に……こちらの言葉が…理解できるよう…魔力を以て……施しました」
「魔力? 救世主?」
「救世主様とは……あなた様のこと。……このマイストールと…この世界を……どうか、どうか…お救いください」
「マイストール? それは何ですか?」
「マイストールは…この都市の…名前です。…どうか…お救いください」
葵は無責任に頷けなかった。
「でも、ぼくは何をしていいのか分かりません」
「この世界の救世主様……後は…娘のミシェールに…お聞きください……わたしは…もう……」
葵の手を握っていた男の握力が、ふいに失せた。
「お父様…! お父様! お父様あぁ……!」
男の娘・ミシェールは父に
状況が全く呑み込めない葵だったが、父を亡くしたばかりのミシェールを、質問攻めにするのは
しばらくして、ミシェールは涙を拭い、泣きぬれた瞳を葵に向けた。
「救世主様、申し訳ありません。取り乱してしまいました……」
「いや、キミの気持ちはよく分かるよ。気にしなくていい。それより…」
「分かっています。救世主様は恐らく、ご自分の置かれている状況に苦慮されていることでしょう。あなた様が抱えている疑問には、父に代わってわたしが、納得行くまで説明いたします」
(気丈な娘だ)
ミシェールの腕に眠る父の腹部には数ヵ所の刺し傷があった。
『救世主を、異世界から召喚した』
とその男は言った。
つまり葵は何かの方法によってこの地に召喚されたという事らしい。
つい今し方まで、大学構内にいたわけだ。
それが
SFのような話だが、葵の知る科学の知識では、その男の言う『異世界召喚』程に、納得いく説明は出来なかった。
「ところで、召喚されたのはぼくだけ?」
「はい」
「女性はいなかった?」
「ええ。あなた様一人だけです」
(桐葉は召喚されなかったのかもしれないな)
それならそれでよかった。
「召喚はぼくを狙ってのことなのか? ……あるいは偶然ぼくが網に飛び込んで来た…」
「いいえ」
ミシェールは首を横に振った。
「この世界の救世主となるべく人を、と願って召喚した結果、あなた様がこの地に招かれたのです。つまり神の御心の下に、あなた様は救世主に選ばれたわけです」
「ぼくを召喚したのはキミのお父上ということだな」
「はい。父はマイストールで唯一の召喚士なんです」
ミシェールは血の気が引いた父親の頬を撫ぜた。
「特に父のような
「パンゲアとは?」
「この世界の陸地の2/3を占める大陸の事です。パンゲア大陸には三つの大国があって、ここマイストールは、その中の一つであるロマノフ帝国の一地方都市なんです」
「キミの父上はすごい方だったんだな」
「でも、異世界召喚は簡単じゃないんです。その人の命と引き換えに召喚が可能となるのです」
ミシェールは言いながらまた泣いた。
が、すぐに涙を拭いた。
「でもね、あなた様は気になさる必要はありませんよ。だって父は、刺客に襲われて……どの道助からない状態だったんです。……だから、ためらっていた異世界召喚術を行ったんです」
葵はもう一度、血まみれの男の体を見た。
「ところで救世主様」
「なんだい?」
「お名前は何とおっしゃるのですか?」
「ああ、名前は…」
と言いかけて言葉を切った。
(本名を名乗ることもないか)
何を信じていいのか分からないこの世界に、すべてをさらけ出す気にはなれなかった。
古代の人々の考えの中に「名は人を縛るもの」という事がある。
ミシェールは
(異世界召喚なんて概念のある世界だ。科学的根拠がなくても、色々と用心した方がいい)
迂闊に名を教えてしまっては、呪詛に使われるかもしれないと葵は考えた。
そして葵は頭に浮かんだその名を口に出した。
「ぼくは孔明。諸葛亮孔明だ」
葵は困った時ほど出てしまう、涼しい微笑みでミシェールを見つめた。
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