独白鏡

@ryu2040

第1話

前を歩く人のカバンが、無防備に口を開けている。口を開けて間抜けな表情で寝ている自分の甥っ子の顔が思い浮かんだ。

歩くスピードを合わせ、中身を確認する。手帳、ハンカチ、ポケットティッシュ、スマートフォン、文庫本、透明な袋に入ったリップ、化粧品が入っているだろうポーチ、持病があるのか、粉薬の小袋、そして財布。

僕は手帳にそっと手を伸ばし、触れる。文庫本よりは薄いそれを、歩きながら上へ引く。1日の利用者量が世界でも有数なこの駅の人混みでは、僕の動きを観察し、咎めてくる人などいない。

その役割を果たすはずのカメラもあるのだろうが、この人混みの中では僕の手は埋もれているだろう。

手帳を抜き取った僕はそのまま前の女を追う。女は手帳を抜かれたことを知らず、人混みを進む。だから僕も、泳ぐように人混みを進んだ。

女は環峰電鉄の改札を入り、電車に乗るので、その動きを真似、僕も電車に乗る。

素早く車内を見渡し、空席を察知した女は遠慮なく腰を下ろし、カバンを開いた。

僕は、薄い笑みを浮かべる。誰も、僕が笑っていることには気がつかない。

女は手帳が無いことに気がつき、カバンの中を探している。カバンの底に秘密の扉があるように、探す。

だが、手帳は残念ながら僕の手にある。

首を軽く傾げ、カバンをとじる女。手帳は家に置いてきた、もともと今日は持っていなかった、と納得したように見えた。

胸に暖かい充実感を抱え、3分ほどで着いた次の駅で降りる。ゆったりと歩く僕を追い越して行く人たちの後ろ姿。

この世界の人は、どうしてこうもみんな急いでいるのだろう。

駅構内を抜け、光の中へ歩きだす。自分を祝福してくるような朝の陽は眩しかった。

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