東京に雪

 家族は、いない。

 いなくなって、もう慣れてしまった。

 彼氏もいない。

 そんなものは必要ないから。

 仕事さえあれば、仕事さえしていれば、それでいい。

 私なんかには、それで十分だ。


「ゆきだよ」


「おねえちゃん」


「だいすき」


「きれいだね」


 脳裏に響いたその声を、私は知らないから。





『本日の東京の天気は雨、地域によっては雪の予報です。四月に入りましたがまだまだ肌寒い日が続いて--』


「雪、ふるのか」


 窓から外を眺めて、無意識に仏壇にも視線を送る。

 雪は、そんなに好きじゃない。



「おねえちゃん」


 子供が声をかけてくる。

 空からははらはらと儚い雪。

 肩に積もることもない雪を払って、私は子供を無視する。

 仕事に、仕事に行かなければならないのだ。


「おねえちゃん!」

 

 無視しても、子供はすがるようにその小さな足を懸命に動かして追いかけてくる。

 最初はそれすらも無視していたが、そろそろ周りの視線が痛くなってきた。


「……なあに」

「おねえちゃん、ゆき、だよ?」


 空を眺める。

 灰色の美しい空に純白という異物を添える雪は、確かに降っている。


「そうね、雪ね。」


 何も考えることなくそう答えた。

 すると子供は、顔を輝かせる。


「そう! ゆきはゆきね! おねえちゃん、ゆき、ゆきだよ、おうちにかえろう?」


 子供は無邪気にはしゃぐ。

 その様子に、胸がツキリと痛んだ気がした。


「……迷子なの?」

「ちがうよ? ゆきは、ゆきねだよ、おねえちゃん」

「意味がわからないわ」


 わからない。

 この子の顔も、声も、名前も、知らない。


「…………おねえちゃん。もう、おしごとがんばらなくてもいいんだよ。おうちに、かえろう」


 ああ。

 それは、いけない。

 何かが、はぜる音がした。


「仕事を、しなくていい……? 私は! 何もなくなったから! それしかもうなかったから! それをするしかなくて! それをするな!? ふざけないで! それもこれも、あなたたちがいなくなったからじゃない!」


 涙が溢れる。

 忘れてたことを掘り返される。

 でも、本当は知っていたのだ。

 ここがどこなのかも、この子が誰なのかも、繰り返した四月の日々の中で、ずっとずっと。


「そうよ、ほんとは知ってたのよ……あなたが雪音なことも、ここがきっと死後の世界みたいなものであることも、知ってたのよ……」


 目の前に立つ、死んだはずの妹の髪を、優しく撫でる。

 この子が死んだ日も、こんな雪の日だった。

 雪でスリップしたトラックに轢かれて、即死。

 トラックの運転手は、三歳だった妹と、一緒にいた両親の命を道連れにこの世から去っていった。

 それからは仕事三昧。愛する両親を、歳の離れた可愛い妹を、たった一日で失った私には、それしかなかったから。

 その結末が、哀れな過労死であることを、認めたくなかった。受け入れたくなかった。

 でも、目の前の雪音の泣きそうな顔を見て、自分が間違っていたことをようやく悟る。


「雪音、帰ろうか。……ごめんね」


 手を繋いで、家に帰る。

 それは、数年ぶりの安らぎで、何事にもかえがたい“ユキ”だった。

 もう2度と、この幸を手放さないと心に誓おう。




 --四月のある日、東京にユキが降った。

 これは、ただそれだけの話。

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四月某日、東京に雪 空薇 @Cca-utau-39

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