九月八日、月曜日、午前九時

 目覚めてすぐに屋上レストランで軽い朝食をとり、チェックアウトを済まし、グルガオンにあるANAのオフィスに向かう。

 グルガオンは、デリー南にある、ここ数年の新興都市で、先進国で見られるような近代的なビルが立ち並び、大型のショッピングセンターやシネコン、ケンタッキー・フライドチキン、サブウェイ、スターバックスなんかもある。「インドの秋葉原」らしい。といっても、実はここ、デリーでは最も古い時代に作られた街で、十三〜十四世紀の遺跡も混在するという、これまたインドらしい街なのだ。

リクシャの運転手に聞いたところ、コンノートプレイスから地下鉄で乗り換えなしで行けるとのこと。四〇分ほどだ。地下鉄といっても、途中からは地上に出る。その車窓からは遺跡らしき建物もよく見えた。乗客もよく降りた。

 ANAのオフィスがあるという、MGロードという駅に降りる。前日にスマホで調べた地図を頼りにして歩いていると、それはすぐに見つかった。十階建ほどのずんぐりしたビルで、オフィスは七階にあった。インターホンを押し、中から鍵を開けてもらう。開けてくれたのはホリグチさんだった。救世主ホリグチ、やっと会えた。彼女は、見た目はいたって普通の日本人女性だが、なかなか仕事ができるようだ。実際してくれた。後ろにいるのはインド人女性、はじめに対応してくれた人のようだ。電話口と同じく、ボソボソとしゃべる。

 早速コーヒーを出されて、インド人スタッフが今日の便の検索をしてくれた。幸運にも空席があり、しかも差額は発生しないという。この日に日本に帰られることが決まった。ひと安心。二人に深く礼を言って、少しゆっくりしていくことにした。

「本当に大変でしたね。でも無事に帰って来れて良かったです」

「はい、あの電話の翌日に飛んだんです」

 ありきたりな優しい言葉が僕の心を癒してくれる。これでいいのだ。

 新しいチケットをもらい、もう一度礼を言い、オフィスを出た。

 腹が減った。ここでは、ニューデリーで見られるような地元の屋台はなく、世界中で見られるようなチェーン店ばかりだ。仕方なく、ケンタッキー・フライドチキンで済ますことにする。といってもインド使用。ベジタリアン用のメニューがあり、辛いメニューが多く、ドリンクもスパイスが効いている。

 もうすでに頭の中はニッポンである。こんな馬鹿みたいに暑い国を後にして、涼しいところに帰りたい。そう考えていた僕は、すぐに空港に向かうことにした。ここから空港は近いことは頭の中に入っていたし、またニューデリーに戻ると気分を悪くしそうだったからだ。もちろん冷房の効いたところに行きたかったからというのが八割だが。

 ケンタッキーを出るとすぐリクシャスタンド。客を我が物にしようと、運転手が群がってくる。その中の一人に捕まえられ、プリペイド式と知らない僕は彼の言い値で空港まで向かうことになった。もちろんぼったくられを承知して。こう暑いと交渉する気も起きない。

 思ったとおり、空港へは十分ほどで着いた。チェックインを済まそうと、ゲートに入ろうとするが、警備員には「あっちだ」と、右側のゲートを差されるだけ。どこのゲートから入っても同じだろうと、すぐ隣のゲートに行くと、同じ警備員の男二人がじゃれ合っている。

「おいおい、聞いてくれよ。こいつが俺の妻のことを馬鹿にするんだよ」

「いやいや、そんなこと言ってねえだろうよ」

 といった具合に、すごく仲が良さそうだ。

 チケットを見せると、鼻で笑われる。聞くと、入場は搭乗の三時間前かららしい。僕の乗る便はその日の深夜一時三十分の便である。つまり僕が空港に入れるのは夜の十時半なのだ。現在午後三時だが、これからニューデリーに帰る気にもなれないので、右奥のゲートから入ってラウンジで待つことにした。待つのは得意だ。


 結局、八時間待ってチェックインを済ました。待っている間は、本を読んだり音楽を聴いたり仮眠をとったり空港の人々を観察したりして、インドを去る感慨にふけっていた。旅立つ人、国へ帰る人、それを見送る人、ここには僕と同じく、様々な感慨が漂っているのだ。その感慨があるから空港は面白い。誰一人としてつまらない思いでここにいる人はいない。そう思うと、皆が皆、愛おしく思えてくるから不思議だ。


「アリガトゴゼマス」

 インド人CAがカウンターで手続きしてくれた。

売店でお土産を買ったら、デパーチャー・ゲートまで歩く。そこが遠い人はゴーカートのような車で連れて行ってくれる。ゴーカートまでクラクションがうるさい。

「ここでも鳴らすのね」

 と言う観光客もいた。しかし、それ以外は夜の空港は静かで心地が良かった。暗いインドの空に包まれていた。

 予定を三十分ほど遅れて、AH918便はインドの土を離れた。

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