九月七日、日曜日

 昨日から、初めて泊まるホテルに泊まっていた。本当なら、グルガオンのANAのオフィスに行かなければならないのだが、日曜は休みだ。ただ、ここに留まることにした。一日中、音楽を聴いたり、本を読んで過ごす。泊まっているホテルの屋上レストランでランチをとったり、いつも行っていたカフェに寄ったり、歩き慣れたパハルガンジ通りを歩いたりした。ここで不思議な老人に出会った。

「君は教師か?」

 と彼は横からいきなり話しかけてきた。この国ではなにもかもがいきなりだ。いや違う、と言うと、

「そうか。眼鏡をかけているから教師かと思ったよ」

 と本気で言ってくる。聞いてもないのに自分の話をし始めた。

「おれは元大学教授なんだ。ブータンからここにやってきて、今はもう自由の身だ」

 確かに見た目は頭は良さそうだ。相槌を打つまでもなく、彼は話を続ける。

「インドは腐っている。欲得ずくめで、なんにしても金、カネ、かねだ。奴らは儲けることばかりを考えている。誇れるものといったら、財産だの名誉だの。俺はこんなにも金を持っている。これだけのビルを持っている。これだけのポジションにいる……。それが一体なんになる? 馬鹿げているよ。それで本当にハッピーなのかい? 愛はあるか?」

 意訳なのでそのままというわけではないが、だいたいこのようなことを言っていた。

 言っていることは正しい。さすが幸せの国ブータンだ。同時に、このようなことがインドでもいわれ始めているということを思い知った。近頃、中国では同じような社会現象があって、つまり「幸福」追求型の流れがあって、儒教が見直されていると聞いたが、インドでもそうらしい。IT大国になり、経済でも目覚しい発展を見せているインド。どこの新興国も同じ轍を踏むのかもしれない、と考えた。

「ほら、愛なんだよ愛。幸福と何か? ここのカフェでもっとゆっくり話さないか?」

 そう言われたが、やめた。ここで断らないとかなり面倒なことになりそうだった。

 彼とは別れて歩いていると、空に月が見えた。そういえば、この時初めてインドで月を見たかもしれない。夕月だ。暮れなずむパハル・ガンジ通りの東の空に、黄色がかった満月が架かっていた。もちろん日本で見る月と同じ月だが、インド風情で見る月は、どこか濃く、重たそうに見えた。

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