九月四日、水曜日、午前六時

 前日と同じトーストとチャイの朝食をとっていると、日本人の女の子と出会った。一人でトレッキングに来た大学生で、夏休みを利用して来たのだという。昨日着いたところで、十日間ほど滞在する予定らしい。やはり皆そうなのだ。僕は本当は一泊でここを去る予定だったんだけど、これこれしかじかでね……と言うと、気の毒そうな顔をされた。さらに聞くと、東京の大学に通う四年生で、文科系、大学院に進む試験の終了翌日にここへと旅立ったとのこと。そういう心意気は好きだ。

 あれやこれやと話していると、前日に頼んであった空港行きのタクシーの運転手が来た。例の運転手である。昨日「また来年」と約束し合った彼だ。なんとその約束がこんな形で破られようとは。彼は相変わらず屈託のない笑顔であるが、僕は少し気まずい。空港で、

「今度こそ、また来年」

 と約束し、別れる。今回は僕の方に笑顔はない。

 空港は、昨日の便に乗る予定だった人に今日の予定の人も加算されて、さらに混雑していた。Eチケットを見せると、昨日は入れなかった保安検査所の向こうまで入れた。僕は訳が分からなかったが、とりあえず係員に話してみる。昨日話した梅宮辰夫似の浅黒い顔の、まるっこいおじさんだ。日本に帰らなければならないことや持病の説明をすると、かわいそうな顔をして「この列に並んでくれ」と言う。日本人が僕一人だけなのもあり、かなり同情されたのか、「何かわからないことがあったらまた聞いてくれ」とこのとこ。やはりここに人は暖かい。

 見ると、列の先はエア・インディアのカウンターへと続く。とにかくこれに並ぶことにした。僕が並ぶととたんに後ろの列が長くなる。これほどの人が乗る飛行機などあるのだろうか。

 しかし依然として詳細は不明なので、近くにいた欧米人とおぼしき人に話しかけてみた。デヴィッド・バーン似の長身の男である。

「どうすればいいんでしょうね」

 というとぼけた質問にも彼は笑顔で紳士的に答えてくれた。

「どうやら、デリー行きは今日も欠航らしい。わたしたち(彼の他に妻、子供二人がいた)はこれからシュリナガール行きに乗って、そこからデリー行きに乗り継ぐ予定だ。シュリナガールからはデリー行きの本数も多いし、なんとかなるかもしれない」

「付いていかせてください」 

 とにかくそうすることにした。

 少しずつ時間をかけて列は進み、僕とデヴィッド・バーン似の紳士の番になった。彼に言われるがままに、僕はシュリナガール行きのケットを入手する。昨日のEチケットを見せれば無料で作ってくれるようだ。しかしその後のことはわからない。だいたいシュリナガールってどこだ(はじめは「品川」に聞こえた)。乗り継ぎなどできるのだろうか。とにかくチケットだけ入手して、飛行機の到着を待つことにした。それしかない。

 デヴィッド・バーン似の彼はドイツ人である。家族でトレッキングに来たようで、「よく来るんですか?」と訪ねると「インド自体初めて」なのだそうだ。子供は男の子と女の子が一人ずつ。どちらも小学校入学前か低学年くらい。この時期のヨーロッパの子供は本当に可愛い。欠航なんてなんのその、あっけらかんとしていて、あちこち走り回ったりベンチで寝たりしている。

 あとは我々は館内アナウンスに耳を傾けるしかない。英語とヒンディー語で流れるそれを注意深く聴く。それしかすることはない。その何度目かのアナウンスに、

「キャンセレーション」「エア・インディア」

 という言葉が聞き取れた。

 ああ。僕は気が遠くなった。むなしく欠航が決まった。館内もため息と不満があふれる。デヴィッド・バーン似の彼と「また明日」と言い、梅宮辰夫似の係員に明日の集合時間を聞き、またゲストハウスへと戻ることになった。明日も、とにかく今日と同じ時間に来るように、とのことだった。


 すっかり今日帰られるものだと思っていた自分があほらしい。空を見ても昨日と同じどんより曇り空。雨は降っていないが、太陽の姿も見えない。思えば、ここに着いたときは、空は青すぎるくらい青かった。あの空でなければいけないのだろうか。

 とぼとぼとシアーラ・ゲストハウスにたどり着く。

「また!?」

 とママが出迎える。また申し訳ない気持ちになる。

 今日も昨日と同じ手続きを踏まなければならない。今日デリーへと行き、帰国できるものとばかり思っていたので、またその飛行機やらホテルやらの予約を取り消さなければならない。まずは日本行きのNH918便の予約変更。予約変更というか、明日帰られるかもわからないので、とにかく事情を説明したい。電話して、昨日と同じ日本語の話せるスタッフと話す。

 しかし今度は、デリー空港に着いたらチケットを買ってくれとのことだった。それは新たに買い直すと言うことですか? と聞いても、どこかあやふやな答えで、彼女の日本語能力の問題もあって、そのまま電話は終了してしまった。また動悸がし始めたが、僕は新たに航空券を買い直す覚悟を決めて、次へと進む。羽田発能登空港行きの予約取り消し、東京でのホテル予約取り消し、諸々を昨日と同じ要領で片付ける。

 明日飛ぶかどうかもわからない。天気予報によると、この天気はまだ三日は続くらしい。

 暗いレーの町を歩いていると、心が落ち着かずいらいらするが、とにかく、ここでは食べて寝るだけだ。また「ジェスモ」に行った。昨日と同じ店員がいた。

「チキン・ヌードルか?」

 という言葉に思わず涙が出そうになった。昨日のことを覚えていてくれたのだ。もしかしたら欠航で帰れなくなっているあわれな日本人、と思っているのかもしれない。僕はレーの人が大好きだ。

「いや、今日はコーヒーを」

 と、ぐっと平然を装って答える。ブラックでお願いします。

 この言葉もあってか、再度開き直れてきた。どうなってもいい。何日遅れようがいい。ずっと飛ばなくていい。ここで暮らしてもいい。最後の言葉は、レー初日に思ったことだが、現実になってもいいかな、と思えてくる。

 しかし、根に持つ寂しい性格からか、明るくなることはできない。コーヒーをすすりながら、ただ、窓の外の小雨を眺めていた。そういえばインドに来てから爪を切っていない、などと考えながら。

 シアーラ・ゲストハウスに帰る。チャイを頼む。

「本当は二〇ルピーなんだけど、あなたは特別にただで淹れてあげる」

 というママの好意に甘えることにする。これだからレーの人々は……。

 部屋に帰って読書する。一日中降る小雨の音を聞きながら、窓の外から見える別室のベランダに佇む客や、菜園の風景を眺めていた。雨の音とは別に、川のせせらぎも聞こえてきた。こんな音があったのか。さっきまで気持ちの余裕がなく、何も聞こえなかったが、近くに川があるらしい。聴いていると、また悲しくなってきた。これはいつまで続くんだろう。こんなチベットの山奥に閉じ込められて、これからどうなるんだろう。電車は通っていない。バスではデリーまで二日かかる。ただ飛行機を待つしかない。

 ここでは食べて寝るだけ。「ジェスモ」ばかりでは芸ながないので、別のレストランでハンバーガーを食べる。寒い中、短パンで我慢しながら、道沿いのテラス席でそれを食べていた。道ゆく人が昨日より多い。この小さな町に、二日分の観光客がたまっているので自然なことだ。空港で見かけた顔がちらほらと見える。彼らもまた僕と同じ悲しみを抱えているのだろうか。

 ぼけっとそれを眺めていると、アジア人とおぼしきカップルに話しかけられた。

「ジャパニーズ?」

 と言われたので、そうだと答えると、彼らは韓国人だという。空港であなたを見かけた、今日乗れなかったんだよね、アジア人どうし、明日の空港行きのタクシーを相乗りしよう、そのほうが安いから、ということで、

「いいね、オーケー」

 と言い、そう決めた。名前とメールアドレスを交換し、シアーラ・ゲストハウスの場所を伝えて、翌日六時に待ち合わせた。ジュン・スンホといった彼は、少し愁いを帯びた表情だった。

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