九月三日、水曜日、午前七時
「How are you?」
と言うママに、普通に「ファイン」とでも返せばいいのだろうが、昨晩は頭痛でほとんど眠れなかった。
「うーん……ちょっと頭痛が……」
と答えると、「水を飲むといいよ」と教わった。早速飲んだが、割と早めに効いてくる。これはいい。二日酔いの頭痛にも水がいいとされるが、メカニズムは同じなのだろうか。こんな涼しい所でも水は手放せないのだ。空港でも待合室で飲もうと思い、一リットルのボトル入りミネラルウォーターを購入する。
空港まで送ってくれたのは、昨日の運転手だった。すっかり仲良くなってしまい、空港に着いたときには、
「また来年来るよな? そのときは一週間くらい滞在しろよ」
「もちろん! 今度は一週間ね」
「ああ、また来年!」
と言葉を交わし、笑顔で別れた。
昨日のチベットらしい青々とした空とは打って変わり、どんより曇り空である。これがここの普通の天気ではないとはわからない僕はなんとも思わなかったのだが、空港に着くと、チケットカウンターに大勢の人、その外にもなぜか人だかりが目につく。どこか雰囲気が昨日とは違う。
入り口でパスポートとEチケットを見せると、職員は何やら残念そうな顔で言う。
「キャンセル」
という言葉が聞き取れた。キャンセル……キャンセル……。しっかり聞くと、
「このフライトは、今日は天候不良で欠航だ。あそこで詳しく話を聞いてくれ」
と言われた。まさか。欠航? この天気で?(曇っているだけで雨はない) 今日はもう飛ばないのか? 飛ばないとしたら僕はどうなる?
とにかく、言われたチケットカウンターへと行くと、同じ便に乗る予定だったらしい人であふれかえっている。混乱した頭でなんとか係員にたどり着き、聞くと、とにかく今日は欠航、Eチケットにキャンセレーション・スタンプを押すから、今日の夕方にここに電話して明日のフライト情報を聞いてくれ、とのこと。
いや、それでは納得がいかない。僕は今日のデリー空港の深夜便で日本に帰らなければならない。それに乗れないとなるとどうなるのだ。いや、確実に乗れないのだが、どうすれば? そのことを言いそびれたので、近くの別の係員(梅宮辰夫似)にそう言うと、責任者らしき人を紹介された。恰幅の良いインド人顔で、頭が良さそうだ。話がわかりそうだ。
「僕はデリー空港で今日のこの便に乗らないといけないんです。じゃないと日本に帰れません」
とチケットを見せても残念そうな顔。ここに電話するようにと、エア・インディアの電話番号を教えてもらった。
しかしまだ僕の頭は混乱したままだ。なんとかして今日帰らなければ。仕事にはまだ一日余裕があるが、できれば今日デリー空港まで行きたい。すべて予定どおりに流れていた僕の旅は、最終日にとんでもない綻びができてしまった。
他に情報はないものか。うろうろする。僕が今日乗る予定だった航空会社はエア・インディアというのだが、ここにはもうひとつ別の航空会社のオフィスがあった。ゴー・エアである。青いイメージカラーでその社名が記された事務所に入ると、何人か人が。聞くところによると、もしかしたらゴー・エアの便は飛ぶかもしれないという。しかし席はあるだろうか。本当に飛ぶのだろうか。チケットを買うにはどうすれば? わからなかったが、考えているうちに急に落ち着きを見せた僕は、
「明日の便でいいや」
という思いに開きなおり、そのままゲストハウスへと向かった。何とかなるだろう。
小雨が降ってきた。
ゲストハウスに戻ると、入り口にママが立っていた。どうやら欠航の情報を得ているらしく、
「やあ、残念だったね。今日もう一泊?」
と優しく、言ってくれた。僕はなぜか申し訳ない気持ちになったが、そうすることにした。
開き直った僕だが、それは一時のこと。これからやるべきことは多い。電話で上手に話ができるだろうか、あの場の口約束で本当に大丈夫だろうか、確実な情報なのか、日本に帰る便はどうなる、日本に帰った後の能登へと向かう飛行機は、お金の心配、そして薬の心配(僕にはちょっとした持病があって、毎日薬を服用しているのだが、それは心配ないだろうか。それがないと頭痛と吐き気がして、眠れないのである。鞄を調べると、二日ならなんとかなりそうだ)。
日本へと帰る便はANAなのだが、とにかくそこに電話してみることにした。この手の話は英語では難しいが、とにかくANAの事務局に電話してみる。ママにパソコンを借り、電話番号を確認、デリーのオフィスに電話すると、日本語のできるスタッフがいた。
「今日のNH918便で日本に帰らなければならないのですが、今レーにいて、ここの飛行機の欠航でデリー空港に行けなくなってしまったんです」
その他にも諸々の情報を伝えると、彼女はたどたどしい日本語で、
「ワカリマシタ」
と言い、電話の向こうでは何やらカチャカチャやっている。しばらくして、
「明日ノNH918便、予約取レマシタ」
とのこと。これは一安心。明日、これに乗れば日本に帰えられる。追加料金も無しだと言う。
次は帰国後の、羽田発能登空港行きの便だ。ここには国際電話がないらしく、インターネット・カフェで使えると聞き、中心地のインターネット・カフェへ。自然と急ぎ足になる。
「国際電話を使いたいんだけど」
カフェ内の電話ボックスようなところに通された。こんなところにもダライ・ラマ十四世の顔がある。料金を気にせず、ANA東京オフィス(能登空港行きもANA)に通話し、事情を説明。欠航証明書があればなんとかなるらしい。とにかく本来の予約の翌日の同じ便を予約し、話はついた。
まだある。帰国後、すぐに能登空港へと飛ぶわけではなく、東京に一泊する予定なのだが、そのホテルにも連絡を入れなければいけない。同じく電話で「翌日に予約変更できませんか?」と言うと、素っ気ない態度で「満室で無理」とのことだった。東京での宿くらい、帰国後でもなんとかなるのだが、そこは結局キャンセルして、別のホテルをその場のパソコンで予約した。
最後に、能登空港から自宅へと帰る「ふるさとタクシー」と話さなければ。ふるさとタクシーは、予約を入れておけば片道一、三〇〇円で自宅まで送り迎えしてもらえるサービスだ。当日に客が来ないのでは不安だろうし、また翌日に予約を入れ直さなければ、と思い電話。こちらもスムーズに片付いた。
すべての話はついたのだが、不安である。この動悸は標高の高さ故だろうか。また頭痛がしてきた。これも標高からなのか、わからない。こんなとき、あっけらかんと観光気分を楽しめればいいのだが、とてもそんな気分にはなれない。路上の土産物屋、両替商、耳かき職人、その他諸々の人々がうるさく、いらいらする。そういえば、と思いつき、また別の場所で自宅に電話する。母は案外素っ気ない態度だった。外から見るとそれほど重要事態ではないのだろう。
また、「ジェスモ」で夕飯を食す。店員は「今日も来たのか?」という顔をしている。モモはもういいので、東アジアの味、チキン・ヌードルを頼んだ。あまり美味しくなかったが、頭痛はするし、気持ちは落ち着かないし、味などどうでもよい。少し肌寒くなってきて、この短パンひとつでいいのだろうかと心配になったが、明日ここを去ると思えば我慢できる。
空港で言われたのは「夕方」という時間だった。夕方、この電話番号に電話するように、とのこと。午後五時に電話してみると、六時にまたかけ直せと言われ、六時にかけ直すが、うまく話が通じない。電話はぷつっと切れてしまった。 そして数分後、先方からかけてきた。
「明日、朝七時に空港に来るように」
「午前ですね? 朝の七時なのですね?」
と念を押し、せわしなく電話を切られた。
これで本当に一安心だ。ママの淹れるチャイが美味しい。
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