九月二日、火曜日、午前六時

 この日も電話で起こされた。空港へと向かうタクシーをホテルに頼んでいたのだ。このホテルはなんでもしてくれる。毎度のことながら、なんだか、身分に合わないリッチな旅をしているようで気が引けた。空港へと向かう、というのは、日本に帰るわけではない。レーという地方へと向かうのである。

 レーはラダック地方にある。ヒマラヤ山脈の西端の裏側とさらに北にそびえるカラコルム山の狭間の奥深くという地形、標高は三五〇〇メートル以上、富士山の山頂ほどで、もちろん空気は薄い。地形的にも文化的にも人種的にも、完全にチベット文化圏で、こここそデリーとは全く趣が違う。文化大革命以降の中国のチベット地方への破壊行為が及んでいない所で、その文化的遺産が数多く残っている。パキスタン・中国国境に近く、かなり微妙な地域であるため、長く外国人旅行者の入城が禁じられていたが、一九七四年にそれが許可された。人々はチベット語のひとつであるラダック語を話す。もちろん英語も通じる。観光シーズンは、寒さが和らぐ五月から九月中旬あたり。といっても、真夏の最高気温は三〇度に達することもありつつ、日陰や日没後はかなり涼しく、一日のうちに夏と冬がある、と言われている。冬でも降雪はほとんどない。

 なぜここを訪れるのか。ただ単に、『地球の歩き方』をぱらぱらとめくるうちに、このレーの頁に目が止まっただけのことなのだが、こここそ行くべき所だと直感した僕は、高山病など恐れずに、インド旅行の最後にここを訪れることに決めたのだった。それだけのことだったが、この判断が吉とも凶とも出たのだった。


 インディラ・ガンジー国際空港の九番出発ゲートにはインド人半分、欧米人半分といった具合だった。ラダック地方にはトレッキングのできる場所が多く、アウトドア派の欧米人の人気地方らしい。日本人は僕だけのようだ。

 レーまでのフライトは一時間ほど。レー空港近くになるとヒマラヤの山肌すれすれを飛び、窓際に座っていた僕は隣の席のインド人に写真を撮ってくれと頼まれた。見渡すと皆窓の外にカメラを向けている。雲はなく、その褐色の山肌は生々しく、淡い恐怖すら感じられた。上空から谷々に点在する集落への思いを巡らせ、こんなところにも生活している人がいるのかと思うと少しわくわくする。

 飛行機を降り立ったときの気持ち良さは格別だった。空の青は濃く、乾燥した空気が肌に心地いい。空気の薄さはあまり感じられなかった。ここで暮らしている人がいるくらいだから当たり前なのだが、高山病なんかになるのだろうかとさえ高をくくる。

 シアーラ・ゲストハウスという所に予約を取っていた。そこへと向かうタクシーのおじちゃんの顔など、ほとんど日本人。日焼けした日本人といってもだませるくらい東アジアの顔で、屈託のない笑顔のすてきなフレンドリーな人だった。

「ここの人は日本人と変わらない顔ですね」

「そうさ、兄弟だよ」

「仏教徒ですか?」

「うん、チベット仏教の信徒だよ」

「そうか、僕も仏教徒ですよ」

 などという会話がインドにいながらできるとは思っていなかった。おじちゃんの言うとおり、チベット人はチベット仏教を信仰しているわけで、町中の至る所にはダライ・ラマ十四世の肖像が掲げられている。人々も皆優しく、デリーのような悪どい人間は全く見かけられなかった。タクシーを降りた瞬間に、いいようのない居心地のよさを感じた。自分の直感は正しかったと思った。

 シアーラ・ゲストハウスは二階建ての白い小さな建物で、敷地の半分以上が菜園になっている。オーナーの女性もすごく雰囲気のよいおおらかな、お母さんといった具合だ。なんの計画も立てずにレーに一泊だけのつもりでここに来たと言うと、「一泊だけ? 少なすぎるよ。一週間は必要だよ!」と言いつつ、今日一日で回れるレーの観光スポットを巡るツアーを組んでくれた。僕はただ町を歩きたいだけだったのだが、それは言い出せず、言われるがままに観光タクシーを頼んでもらった。昼食を食べていないと伝えると、簡単なトーストとチャイを作ってくれた。特に美味しいわけではなかったが、家庭的な味で、この風景とよくマッチして、明日の朝もこれをお願いした。

 ほどなくタクシーの運転手がやってきた。例によって浅黒い東アジア人顔で、これまた例によって笑顔の素敵なダンディーな壮年の男性だった。

 まず向かったのが、定番スポットの「レー王宮」だった。レーの中心部を見渡すとまず目に着くのがこの北に聳える土色の巨大建築。宮崎アニメを思わせる荘厳な作りに目を留めない人はいないだろう。十六世紀、ここはラダック王国と呼ばれ、大変栄えた地方であった。十九世紀にカシュミールの藩王国に併合されるまで、王族が住んでいたという。

 車で曲がりくねった急な坂道をゆっくりと登る。確かに車がないと大変そうだ。この標高でこれだけの運動をするとなると、歩きでは相当疲れるだろう。

 登れば登るほど、「まさにチベット!」という風景が広がる。空は濃すぎるくらいに濃い青で、雲が近い。地は褐色や鼠色の岩石質の山肌。まさに不毛地帯。雨が降るのはこの時期だけで、年間の総降水量で八〇ミリほどだという。

 レー王宮はほとんど廃墟のようだった。入り口でもらったチケットは何度も使い古された感のある厚紙。恐る恐る入ってみると、暗く、埃っぽく、洞窟の中のようだ。工事中の部屋もあったり、中に展示されてるものがあるわけではない。宗教建築でもないので、ただ散策するだけだ。

 しかしそこからの眺めは素晴らしい。山々に囲まれた盆地に広がるレーの中心部の風景がよくわかる。地味な色のキューブが所狭しと並んでいて、それが山々の風景とマッチする。なんどもいうように、空気はきれいで、透きとおっている。インドではない全く別の国に来たようだ。この風景を見るだけでも一見の価値はある。観光客は僕一人かと思われたが、一人アジア人を見かけた。日本人だろうかと思ったが、声はかけなかった。

 レー王宮は立体的に入り組んだ構造になっており、アップダウンが多い。標高の高さなのか、それとも日頃の運動不足なのか、ここだけで結構疲れる。息が荒くなった所で入り口に戻ると、運転手が笑顔で待っていた。

「ここを登っていくと、ツェモ・ゴンパだ」

 と言って指したのが写真の急斜面。見ると、観光客らしき欧米人がへっぴり腰でこの急斜面を登っている。「ここを登るんですか?」と聞くと「もちろん俺たちは車で行くさ」と言ってくれ、体力に自信のない僕は少し安心した。

 車で回り道。坂道を曲がりくねりながら登る。たしかにあの急斜面を登ると近道だったかもしれない。五分ほどで「ツェモ・ゴンパ」に着いた。

 ここには「ゴンパ」と呼ばれる僧院が点在する。こちらは観光気分だが、もちろん信者にとっては神聖な場所。修行中の信者の邪魔をしない、土足厳禁、肌の露出を避ける、飲食・喫煙の禁止、周囲を歩く場合は時計回りで……といったいくつかのルールがある。

 ツェモ・ゴンパはここのゴンパの中でも最大のもので、観光客も多い。といっても、ここのメインイベントは、ここからの眺めである。僧院といっても、こちらとして特にお祈りをするようなところでもないようで、ただ登って眺めを楽しむだけのようだ。レー王宮よりも高いだけあって、その分眺めの素晴らしさは増した。急な階段を登ると、頂上は観光客のたまり場。あの急斜面を登ってきたのだろう。一息ついて、悦に入っている。この紙面でいくら言葉にした所で、この空気は伝えられそうにない。行ってみるのが一番だ(自力で行ってない者が何をいう……)。

 時間がないのでさっさと巡る。ここからさらに登るようだ。二キロほど車を走らせて、着いたのは「シャンティ・ストゥーパ」だった。日本人の中村行明師が開いたというストゥーパで、日本風とチベット風の折衷のような様式の仏壇がある。

 今日一番宗教建築らしい建築だ。そして今日一番気持ちのいい空間だった。クリーンで清らかな空気、周囲は山のみ、人はほとんどおらず、この白亜の塔が聳え立つのみ。仏教の国に生まれてよかったと思った。自分はこの空間がわかる人種なのだとわかった。それは気持ちのよい発見だった。このレーの地で暮らしたい、いや、僧として修行したいとさえ思った。

 もうひとつ、小さなゴンパを見学して、ゲストハウスに戻る。着いてすぐ、ゲストハウスのママに急に車を呼ばれて観光したので、町を歩いていなかった。町といっても、中心部は半径五〇〇メートルほどで、歩いて回ってもすぐ。それだけに、この町の魅力が濃くわかる。土産物屋の客引きはうるさいが、デリーの喧噪とは少し趣が違い、郷愁感を思わせる、居心地のよい風景だった。デリーがエキゾチズムの喧噪とすれば、ここはふるさとの喧噪だ。懐かしい顔立ち、優しい息づかい、道ゆく黄色い僧服、托鉢……北に聳えるレー王宮が見守っていてくれている。

 車で回っていたときに「ここでディナーを食べるといい」と運転手に言われていたレストラン「ジェスモ」に入った。中は広いが、簡易食堂のような所で、やや暗めの店内ながらも、多くの客で賑わっていた。

 メニューを見せてもらうと、チベット料理、中国料理、中東料理、インド料理、と様々。さすがシルクロードの中継地だけある。もちろんチベット料理を食すことにした。

 頼んだのは「モモ」と呼ばれるもの。数あるメニューの中で、綴りの読み方に自信があったのがこれだったからだ。なんせ、MOMOである。中でも頼んだのが「チキン・モモ」なのだが、聞くと、何やら鶏肉を皮で包んだものらしい。果たして出てきたものは、厚い皮の蒸し餃子のようなものだった。これにインド風のスパイスの効いたソースを付けて食べるらしい。

 モモ自体は、日本人からすると完全に中国料理の味で、これにインド風のスパイスのソースという、わかりやすい折衷料理だ。ずっとカレー(もしくはカレー味の食べ物)を食べてきたので、この東アジアの味がものすごく懐かしかった。よく、日本食が恋しくなる、みそ汁が食べたい、などと旅行者は言うが、僕はそれはないと感じていた。インドカレーがどれも美味しかったからだ。しかし、今こうして中国の味を口にしてみて、やはり懐かしかったのだと痛感した。口にしたのは中国の味だが、やはり懐かしかった。美味しかった。口の中が喜んでいた。

 と、ここら辺で頭痛がするようになってくる。じんじんとした、締め付けられるような痛みで、視界もあやふやで、足下がおぼつかない。人生初の高山病だ。路上耳かき職人(ここにもいたか)の客引きを無視しつつ、ゲストハウスに戻って、早めに寝ることにした。明日の朝の飛行機でデリーに帰らなければならない。たった一日だが、ここがインドで最も気に入った場所だ。また訪れたい、次の海外旅行もここにしたい。

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