八月二十九日、金曜日、午前五時二〇分
朝まだき。暑さはさほどではない。ホテル前でクドゥと待ち合わせてボート置き場に行くと、数々のボートの中の一つにラジュとKDが気持ちよさそうに寝ていた。
「おはよう」
声をかけると、二人は手を振って応える。僕たちは早速乗り込んで、眠気まなこをこする彼らとともに、朝日の昇るガンガーへと漕ぎだした。
どのガイド本にも「ガンジス川には、思いっきり早起きして日の出前に行こう」と書いてあるだろう。そのとおりだと思う。命の大河ガンガーの神秘を味わうには、その東岸から登る太陽とセットで、それをボートの上で楽しむのが一番だ。
ボートは全長十メートルほどで、エンジン式。後方にあるレバーのような梶を使って操縦する。誰でも操縦できそうだと思い、僕もやってみたのだが、この手の物は不器用なのでボートはあらぬ方向にずれてしまった。結局、終始クドゥが操縦していた。
初めてのガンガー、その上に浮かんでいるということはどういうことなのだろう。ただただ、なにも考えず、大河にたゆたう。そこから朝日を見たときは、涙とまではいかないしても、(恥ずかしいいい方だが)この地球に生まれたことへの感謝のような、ありがたい気持ちに浸った。ここで死にたい、ここの土になりたい、と思った。
そんなことを思いながら、僕はいつの間にか眠っていたようだ。ゆり起こされると、ダーシャシュワメードからはかなり離れた西岸にボートが括り付けられれていた。朝食をとるらしい。降りてチャイを飲み(彼らはとにかくチャイが好きだ)、露店でカレーを買い、舟上で輪になって食べた。
食べながら向かったのは、東岸にある「ラームナガル城」だ。十八世紀頃のバラナシの藩王(マハラジャ)の城であり、現在は博物館として解放されている。十時オープンにもかかわらず、着いたのは七時ごろだったので、とりあえず皆で沐浴することにした。そのころにはバラナシの暑さは戻っており、僕も賛成した。
沐浴といっても、西岸のガート周辺で行うものでもなく、皆も敬虔なヒンドゥー教徒でもなさそうなので、ただの水浴びである。
気持ちよさそうに舟先から宙返りしてダイブするクドゥを見て、僕もパンツ一枚になり、恐る恐る入ってみた。ガンガーの水は温く、思ったほどの気持ちよさではなかったが、やはり浸かってみないとわからないものもあると思っていたので、これは念願の経験である。しかし臆病な僕は、この屍体も流れるガンガーで変なばい菌でも入れやしないかとびくびくしながら。このときのほんの一時間ほどで程よい日焼けをしてしまった。
ラームナガル城の開館時刻ぴったりに入場すると、現地の観光客が十名程、すでに並んでいた。ここでも外国人用の入館料(一五〇ルピー)を払い入ると、これといった照明もなく、展示品は埃だらけで、本当に見せる気があるのか疑われるほどだった。展示品というのは、ここに住んだ歴代の王族のゆかりの品々で、年代は幅広く、英式の自動車、大砲をはじめとする武器、衣服、調度品など、興味のない僕にとってはなにも面白くなかった。ただ、屋上からのガンガーの眺めはなかなか素敵で、舟が出たダーシャシュワメード・ガートのあたりまで見渡せた。その屋上ではヒンドゥー教のお祈りのための祠のような場所があり、そこで僧侶の言うとおり、祈祷の言葉を復唱して、わずかばかりの布施をした。訳も分からず、ただ言われるがままに。その別れに、花を一輪渡してくれて、それを右耳に引っ掛けたままボートに乗り、中心部まで戻った。その途中、KDが「その花は川に捨てるんだよ」と教えてくれたので、そのとおりにした。その行為は、僕の祈りがこの大河を流れ、風化し、インドの一部になるような気がして、どこか、清々しい気持ちになれるものだった。
そんなKDは、僕を見て、
「君は今まで会った日本人の誰とも違う」
というようなことを言った。ラジュと一緒にいて、日本人と会う機会は多そうで、彼も少しなら日本語が話せる。彼が出会う日本人というのは、インドに旅に来る日本人のことだろう。確かに僕は彼らのような開放的なところがなく、積極的に楽しもうとしているようには見えないかもしれない。沐浴するときもビクビクしていた。彼らにもまだ心を開いているとはいえず、むしろ警戒しているとすらいえる。
それは生まれついた性格でどうしようもないといえばそうなのだが、我ながらもっとあからさまに楽しもうとする態度を見せられないものかと少し反省した。
そんな僕を見かねてか、KDはボート発着場所に着くと、こう言った。
「お前は親友だよ。大好きだ。今夜うちでチキン・カレーをもてなすから食べに来いよ」
大好きだ、のところで「実はゲイなんだ」という冗談をかましていたのだが、それはさておき、例の三人と僕とで、その晩はKDの家に集まることになった。再度集まる時刻を決めて、僕はホテルに帰って寝ることにした。
約束の時刻に中心部に集まると、まずその日に食べる鶏を買うところから始まった。当たり前かもしれないが、日本で見る食用の鶏と見た目はほぼ同じ。その鶏たちが入れられたゲージの前で品定めをし、指定の鶏をその場で捌いてもらう。一キログラムあたり二一〇ルピー。だいたい一キログラムほどの鶏を三羽買った。
時間はたっぷりある。ラジュの店で話をしていると、ラジュの兄のスピリチュアルな話になった。ラジュの兄は幼いころ、地元で有名な祈祷師(占い師?)に未来を見てもらった事があるという。その祈祷師をババというのだが、ババによると、ラジュの兄は「今は病気でつらい生活を送っているだろうが、将来日本人と出会い、ムービースターになる」と言う。するとその言葉どおり、彼は、インドを訪れたある日本人と知り合い、その流れで映画デビューを果たしたのだった。全く言い当てられた、と言っていた。その日本人(名前は忘れた)の書いた本を出され、ラジュの兄の登場する箇所も見せてくれた。信じる信じないは別として、その手の話は嫌いではない(過去の本誌にも書いた「動物は未来を見る」というエッセイもある)。そのババに会ってみたくなった。聞くとすぐ近くにいるというので、祈祷を捧げてもらうことを勧められた。
ババの寺は路地裏にある(バラナシには路地しかない)。寺といっても、八畳ほどの広さの「部屋」のようなもので、ヒンドゥーの神様の像が所狭しと並べられている。ババは相当恰幅のいい巨漢で、足の大きさは三十五センチくらいあるのではないだろうかと思われた。怒ったら生きて帰れるだろうか、などと考えた。集まったお布施は、自分の食べる分だけ残して残りは子どもの教育基金へと寄付しているらしい。早速、僕の祈祷についての話になった。それには日取りというものがあるらしい。
「十一月七日、十四日、二十一日、二十八日、のどれがいい。ベストは二十八日だ。お前の誕生日が二月二十八日で、しかも曜日が同じだからな」
誕生日は事前に伝えてあったので言い当てられたわけではない。せっかくなので「ベスト」の十一月二十八日に祈ってもらうことにした。
「ただしその日は次のことを禁止だ。つまり牛肉、豚肉、鶏肉、魚、卵、酒、セックス、の七つだ。そしてこのことは誰にも言ってはいけない」
僕は、わかったと言い、部屋奥の祭壇の前で祈って欲しいことを自分で祈った。もちろん祈った内容はババには直接伝えていない。この祈りが十一月二十八日、本格的にババの手によって昇華されるのだ。ちなみに、その日にちは過ぎているので、もうここに書いてもいいだろう。ただし祈った内容は秘密。もちろん言いつけは守った。
ラジュの店に戻ると、もう皆が集まっていた。
KDの家はガンジス川べりの集合住宅の三階にある。彼はここで両親と三人で暮らしている。チキン・カレーは彼の母が作ってくれるらしい。出て来たものは、インディカ米と合わせたものだった。やはりカレーはライスに限る。特にこのパサパサ、ポロポロの細い米がインドのカレーに良く合う。日本のインド料理屋で食べるようなもちもちのナンはインドでは見かけたことがなかった。
途中何度も停電があり(「バラナシ名物」とラジュは言っていた)、扇風機が止まる度にお互い団扇で扇ぎ合いながら食べた。もちろん美味しかったのだが、その前の腹ごしらえに屋台で食べたたまごロールが思いのほか大きかったこともあって、残してしまった。申し訳ない。
夜中になっても暑いその部屋で、僕たちはとりとめもない話をして、別れた。次の日の約束をして。
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