改めて、八月二十六日、火曜日、午前八時
デリーは、いわずと知れたインドの首都圏である。人口は二〇一四年現在で約一一〇〇万人。ここに様々な民族がごちゃごちゃになって混ざり合っている。インド国内のほとんどの都市でもそうなのだが、ここも同様、新市街地と旧市街地にはっきりと分けられている。つまり、ニューデリーとオールドデリーがそれである。その二つは、オートリクシャで走っても一〇分ほどの距離にあり、南のコンノートプレイス以南がニューデリー(鉄道ニューデリー駅はこの一キロほど北にある)、北のデリー駅周辺がオールドデリーである。少しややこしい。
ホテルのあるパハルガンジ通りは、鉄道ニューデリー駅から西に伸びる通りなのだが、端から端までは歩いて二〇分ほどである。インドで迎えた初めての朝を歩いてみた。まず腹ごしらえだ。朝から多くの人で賑わっており、屋台も長く並んでいる。なるべく現地の人たちに近い生活がしたかったので、屋台で食べることにした。ひととおり物色した後、いちばん美味しそうな屋台で食べてみることにした。写真がそれである。揚げたナンが三枚に、おかわり自由のカレーがついて、なんと二〇ルピー。一ルピーが約一・七円なので、日本円にして約三十四円である。僕の他にも多くのインド人客が入れ替わり立ち替わり、常に人がいる状態だった。この値段が庶民の感覚なのだと、胸に刻んだ。周囲のインド人客の見よう見まねで、緊張しながら、手でナンをちぎり、カレーに浸して食べた。
味はと言うと、やはり辛い。かといって、嫌な辛さではない、といいたいところだが、普通に辛い。庶民の辛さである。嫌いなわけではないので、美味しく食べたが、朝からこれだけ食べると満腹である。インドの屋台は、後払いが原則なので、カレーで汚れた手で代金を支払い、もう少し散策することにした。
普通に歩くだけでも、とにかく方々から声がかかる。日本語で「ドコニイクノ?」「ナニサガシテルノ?」「マリファナあるよ」と、とにかくしつこい。そのような人に付いていくと、悪徳旅行会社に連れて行かれ、また高額なツアーを組まされると聞いていたので、困りながらも無視していた。僕は煙草も吸わないので、マリファナもいらない。次から次へと来る、そのような客引きにおびえながら、しかしこの目でデリーを見ようと、目はきょろきょろしていた。挙動不審である。
「ナニサガシテルノ?」か。僕は何を探しにこのインドまで来たのだろうか、と思いながら、歩いていた。
そんな中、バングラデシュから来たという老婆に五〇〇ルピーほど寄付したのだが、後から考えてみるとかなりの額である。朝食が二〇ルピーだと把握したばかりなのに、まだわかっていないのかと後に反省した。しかし、バングラデシュと聞くと、なぜか自動的に憐れんでしまう自分はなんなのだろう。
インドでの酷暑期(五月ごろ)は過ぎているものの、もちろんまだまだ暑い。日中は四〇度近くまで上がる。そこでいちばん大事なことはいうまでもなく水分補給である。日本からポカリスエットの粉末を持ってきているものの、なるべく使わないようにしているので、屋台のオレンジジュースを飲みながら歩いていた。その場で機械を使って挽いてくれるタイプのものだ。しかしこのジュース、三〇ルピーした。観光客向けの商売なのだろう。しかし日本人の感覚からすると、かなり安い。飲んでいると、物乞いの子どもがしつこかったので、お金ではなくこのジュースをやって逃げた。まだこの国の「あつさ」に慣れるまで時間がかかりそうだ。
ついでながらいうと、物乞いであろうがなんであろうが、インドの子供はとにかく可愛い。通りのそこかしこを走り回り、寝転がり、食べ、飲んでいる。穢れを知らない無垢な心だけでなく、その心がありのままでいられるこの環境と相まって、ヒンドゥー教の子どもの神様のような神聖さを感じさせる。手を合わせたくなる。
ひととおり歩いた後は、コンノートプレイスに行くことにした。コンノートプレイスは、一九三〇年ごろ、イギリスの統治下にあった時代に、英国人用のシビックセンターとして都市計画がなされた地区である。中心の緑地(コンノート・プレイス)から放射状に通りが伸びており、その通りによって分けられたブロックにAからNのアルファベットの名が付けられている。インドの混沌とは一線を画し、英国風の白亜のファサードが緑地を取り巻いており、一般的な「インド」のイメージとは少し違う。並ぶ店は、外国資本のファッションブランドや飲食店、映画館まである。
といっても、もちろんここはインドである。観光客を相手取った客引きがしつこい。その中で、聞き捨てならない言葉を耳にした。
「ミミカキ、ミミカキ」
僕は、旅をしたときには必ず現地でご当地耳かきを買うことにしている。台湾と日本各地の耳かきコレクションが今のところ数十本ある。インドでも耳かきが買えるのかと、思わず、
「耳かき?」
と聞き返してしまった次の瞬間には、その背の低いインド人は僕の右耳に耳かき棒を差し込んできた。
「チェック・フリー、チェック・フリー」
と言いながら、僕の耳の中をほじくり回すではないか。タダなわけがないだろう、どうせ後で金をとられるのだと思い、「ここに来る前にしてきたばかりだ。いらない!」と抵抗したが、二人掛かりで押さえ込んでくるので、早々にあきらめた。僕が観念したと知ると、短身の耳かき職人は僕を芝生の広場に案内して、ゆっくりと耳かきを始めた。しかしここに来る前、日本で耳かきをしてきたというのは本当で、どうせひとつも取れないだろうと高をくくっていたのだが、驚いたことに、次から次へと出てくるでではないか。しかもなぜか黒い。汗と混ざってそのような色をしているのか、今まで一人では搔き切れなかった部分を掻かれているのか、その両方なのかはわからないが、驚くほどたくさん取れた。さらに、
「ベリー・ベリー・カタイ」
と言って、なにやら薬品のようなものを耳に流し込んできたときには焦ったが、その後に米粒一つ分くらいの大きな耳あかが出ててきたときには、感動した。なぜか感謝の気持ちが芽生えた。しかし、ふっかけてきた金額が七〇〇ルピーという高額だったので、感謝しつつも、「お前が勝手にやり始めたんだぞ!」と少し怒った表情で値切り、六〇〇ルピーにしてもらった。短身の耳かき職人は憮然とした表情で「タンキュー……」と言い、別れた。Thank youのインド訛りである。その後も別の耳かき職人を何人か見かけたが、観光客相手にかなり儲かる仕事なのだろう。何せ一人七〇〇ルピーだ。一日一人こなせば十分食っていける。
デリーは一国の首都とはいいながら、見るべきものはさほど多くはない。東京も特別観光には向かないのと同じかもしれない。耳かき職人から逃げながら、コンノートプレイスを一周したら、オールドデリーへと向かうことにした。移動手段は地下鉄である。構内では、トークンと呼ばれるプラスチックのコイン状のものを買い、自動改札機にかざし、到着した時には改札機に入れて出るというシステムになっている。以前旅した台湾の地下鉄も同じ仕組みだったので、割とスムーズにいった。ここから三駅。運賃は八ルピーかそれほどだった。ちなみに、切符を買わずとも自由に通り抜け可能な「鉄道」の駅とは違い、地下鉄はかなり都会的な施設となっている。トークンのシステムもそうだが、改札に行く前にX線の荷物検査がある。その先には、ライフルを構えた警備員もいる。
降りた駅はチャンドニ・チョウク。なんともインドらしい響きでいい。「インドの浅草」と呼ばれる、旧市街地である。まさにインドの混沌そのものを体現するような街並みに旅の醍醐味を感じた。まずはその混沌の中を歩く。一瞬一瞬に変わる雑踏の風景。人々の怒号。クラクションの洪水。所狭しと入り乱れる黒い人、様々な色のサリー、黄色いリクシャ……。どこかに流されてゆきそうになるのを押さえながら、しかし一部流れに身をまかせながら、ただ歩いた。
しかし元々暑さには弱いので、この辺でかなり弱ってきた。そういえば一時を過ぎたのに昼食もまだだ。しかし暑さで食欲はない。見たいものだけ見て、ホテルに帰りたくなった。見たいものといってもさほどでもないのだが、オールドデリーに来たらこれというものがある。ラール・キラーだ。
タージ・マハルの建設で名高い、ムガル帝国第五代皇帝シャー・ジャハーンは、タージ・マハルがあるアーグラーから都をデリーに遷した。その中心がこのラール・キラー、別名レッド・フォートだ。「赤い砦」の名の通り、全身赤茶けた城壁で覆われている。観光地らしい観光地も見ておこうと思い、駅前からサイクルリクシャで行くことにした。
その運転手の運転がスリル満点のべらぼうなもので、かなりひやひやした。反対車線から無理矢理入るわ、追い越し際に車とぶつかりそうになるわ。クラクションと怒号の中を疾風のように駆け抜けた。インドの風になった。
ラール・キラーの入場料は二五〇ルピー。しかしこれは外国人用の値段で、インド人は確か五〇ルピーほどだった気がする。ここに限らず、インドでは外国人用の入場料というものが別に設けられている所も多い。場所によっては、ヨーロッパ、アメリカ、アジアと地域別に分けられている所もあった。
一人で城内をなんともなしに歩いていると、一人の青年に声をかけられた。ふと手元を見ると、インド人用の入場券を持っている。入場料が必要な場所で悪質な客引きとは考えづらかったので、なんとなく彼と話しながら見て回った。しかしながら疑念は消えないので、一定の距離を保ちながら。なんせ初めてのインドだ。着いたばかりで、警戒心は消えない。僕はひっきりなしに話かけてくる彼の言葉に相づちを打ちつつ、「日本ではアイフォンはいくらするんだ?」という訳の分からない質問もされた。こいつはただ外国人と話したいだけなのか、それとも後で何か高額なものを買わされるのかと思いながら。
ラール・キラー自体は、特に期待もしてなく、実際たいしたこともなかったので説明は省く。結局、その青年(名前を聞いたが忘れた。インド人の名前は覚えづらい)は、城を出た後、僕用に駅までのサイクルリクシャの運転手を確保してくれた。「二〇ルピー運転手に払えばいい」と言って、去った。どうやら本当にただ外国人と話したかっただけらしい。ありがとう、青年。ちなみに、ここから駅まで二〇ルピーと言ったが、僕が駅前からここまで来た時には、暴走運転手に一二〇ルピー支払っている。来る時一〇〇ルピーぼられたのだ。日本円にしてたった一七〇円だが、何度も言うように、ここではなかなか大した額だ。一日分の食費はある。
疲れ果てて、ホテルに帰った。
ただ歩き回って、耳掻きをされて、また歩いて帰ってきただけの日だった。なのにこの疲れはなんなのだろう。体力だけの問題だろうか。
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