八月二十六日、火曜日、午前一時
インディラ・ガンジー国際空港に到着したのは、現地時間で真夜中だった。インドは「インドの匂い」で満ちていると聞いていたのだが、このとき僕が感じたものは、これといってなかった。そのさほどでもない空気感に軽く失望していたのだが、ホテルのピックアップが待っているという六番のアライバルゲートを出た時、本当のインドの「土」に触れた時、その失望は消えた。
アトモスフィア(「空気」という言葉をなぜかそういいたくなる)の密度が違う。質感が違う。夜中の一時を回ったというのにまだ暑いのはもちろんのこと、湿度も高い。そしてなにより人々の熱気が違う。アライバルゲートから出てくる客を我がものとしようと奮闘するタクシーやリクシャの運転手、ホテルのピックアップの人々が、主張し合い、ひしめき合っている。この熱が空港を、いやインドという国を満たしているのだ。
僕の名前を大きく書いた紙を持った人がいたのでその人と合流した。僕は出国前にホテルを予約し、ピックアップを頼んでいたのだ。初めて接するインド人。緊張と興奮から、なにを話せばいいのか戸惑っていた。なかなか言葉が出てこない。
間もなく、ガタピシいいそうなボロボロの白いミニバンが近づいてきたと思ったら、それがホテル行きの車だという。一人後部座席に乗り込むと、日本のインド料理屋で嗅いだことのあるなんらかのスパイスの匂いがした。なんだこの車は、などと思ったのだが、インド中どこでもその匂いはしていることに後になって気づくのであった。
ピックアップの男と運転手のヒンディー語での会話を聞き流しながら(終始喋りっぱなしだった)、片側六車線もある、空港から市街地へと伸びる広い道路から外を眺めていた。オートリクシャでホテルへと向かう日本人青年が見える。同じ便で着いたのだろうか。深夜に空港に着いた時は、オートリクシャやタクシーでホテルへと向かうのは危険だと聞いていた僕は、勇気あるなあ、と感心していた。ホテルとは別のところに連れて行かれ、勝手に高額のツアーを組まされることもあると聞いていたからだ。そこまでの被害には会わないにしても、おそらく彼はなかなかの額をぼったくられたかもしれない。
ちなみに「オートリクシャ」というのは、簡易タクシーのようなもので、写真のような形をした三輪オートバイだ。基本的に上を黄色、下を緑色に塗り分けられおり、現地の人や観光客の主要な足として、インドのいたるところを大勢走り回っており、非常にうるさい。ちなみに、お気づきかもしれないが、これは日本の「人力車」に由来する。第二次大戦後に輸入され、ヒンディー語風に訛ったものと思われる。本当に人が引いているものはコルカタ(カルカッタ)に一部残るだけらしい。オートリクシャの他にも、自転車で漕ぐタイプのサイクルリクシャもある。また余談だが、とにかくインド人はクラクションを鳴らす。ことあるごとに、「オレはここにいるぞ!」と主張せんばかりに、鳴らす、鳴らす、鳴らす。ふと前を走るトラックを見ると、その背面には「HORN PLEASE」と書いてあるではないか。むしろ、鳴らすことを推奨されているのだ。これは夜になってもとにかくうるさく、なかなか困ったものだった。
インドではいたるところにいるという牛たちも、路傍をゆったりと、列をなして歩いていた。インド到着後、ものの一時間くらいで、その牛を見ることになった。ヒンドゥー教では神聖な生き物とされている牛。それが現地でどのような扱いを受けているのかも興味を持って眺めていたが、どうということはない。牛飼いがその列の先頭にいたのだが、日本の牧場で見る風景となんら変わりはなかった。後に街で見かけた牛たちも、道行く若者にお尻を叩かれたりしていた。さほど特別扱いされいてるというわけではないらしい。当たり前と言えば当たり前だ。彼らにとっては生活の一部なのだから。東京の銀座の歩行者天国に野良犬が歩いていたとしたら、読者は驚くだろうが、インドではそれにあたる風景が、ごく当たり前のものとして、そこにあるのである。
約二十分ほどでパハルガンジ通りにある、予約してあったホテルに着いた。深夜の二時を回っていた。パハルガンジ通りは、ニューデリー駅前の最大のバザールだ。そこには宿無しの子供、大人、老人、野犬たちが地べたで眠っていた。牛の歩く風景と並んで、不謹慎かもしれないが、恐怖のような感情を抱いた。夜だったせいもあるかもしれない。
ホテルのロビーには冷房はなく、天井から下がった扇風機があるだけだった。そこでチェックインを済ませた後、旅行代理店も兼ねたこのホテルに予約してあったニューデリーからバラナシへの列車の切符も受け取った。それはいいのだが、その後おもむろに「これはジャイプールへの切符。これはサトナへの……」と言いながら、僕が頼んでもない切符まで出してきた。焦ったが、きちんと説明をするとわかってくれた。
このことについて一応説明しておこう。日本にいたときにこのホテルに予約を入れていたとは先に書いたが、その際に僕のインドでの予定も聞かれたので伝えると、ホテル側から「こんなのはどうか」とインド観光のプランを提示してきて、「この切符の予約もとるぞ」と言ってきたのだ。もちろん、バラナシ行きの切符以外は断ったのだかが、手違いがあったらしく、その別の切符まで予約してあったらしい。それを僕に渡そうとしたのだ。これもインドだなと、なぜか楽しい気分になった。
そして、初日にして感じたのが、インド人の英語の訛りである。インド人は、ほとんどの人が英語を話せる(物乞いでもかなり流暢に話せるが、それは生活のために勉強したのかもしれない)。少なくとも、義務教育を受けたインド人は、すらすらと英語が口にできるのだが、そのインド訛りに慣れるのに少し苦労した。最初はなかなか聞き取るのが困難だった(日本人の訛りの方がずっとひどいのに、こんなことをいうのもおかしなものだが……)。インドでの最初の英語体験は、空港でのビザ取得時だった。ひととおりの書類を提出した後、職員に「フォロゥ」と言われたので、どこかに連れて行かれるのかと思い戸惑っていると、別の職員が「picture」と言い直してくれた。「photo」の事だったのだ。いや、その方がネイティブに近いのだろうが……。他にも、ホテル(hotel)は「ハトル」みたいな感じに聞こえた。きちんと調べたわけではないので正確にはわからないないが、「インド=ヨーロッパ語族」というくらいだから、欧州語とヒンディー語には似た単語が多くあり、ハトル(?)はホテルに当たるヒンディー語なのかもしれない。事実、「駅」は「ステイシャン」と聞こえたし、会話の中でも、英語なのかヒンディー語なのかの区別が曖昧なように感じた。さらにいうと、日本人なら伸ばし棒で発音する語中語尾のRをはっきりと「ル」で発音する。例えば、gardenは「ガルデン」だし、coverは「カバル」だ。インドの人名でも地名でも、「ル」のつく名前のその部分はRで表される。のちに旅する北部の地チャンディーガルはChandigar、シタール奏者のラヴィ・シャンカールはRavi Shankarと書く。また、所々のイントネーションは日本訛りに似ているような気もした。といいつつも、インド人の英語力は日本人からしたら比べ物にならないほど大したものだ。イギリスの植民地だったので当たり前かもしれないが。僕が戸惑ったのは、自らの英語力の不足が多分にあることは否めない。
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