1.頭の皿 -1
お汁粉があった。なんの宣言もなくそこに鎮座していた。明はゆっくりと顔をあげた。年老いた白い服を着た老婆が無感動な視線を明に注いでいる。彼女は盆で手をゆっくりと二度叩いた。
音もしなかった。
明は蚊の鳴くような声で礼を述べた。老婆はよたよたと店の奥へ消えていった。
店の奥からテレビの音ばかりが聞こえてくる。目の前には割り箸が放り投げるようにして置かれている。無機質な「おてもと」という字が明を見つめている。彼は小さく息を吐いた。少しばかり立ち上がって尻のポケットから無愛想な二つ折り革財布を取り出した。ゆっくりと財布を開けて、札入れを覗いた。それから小銭入れに手をかける。金具を開けるぱちっという金属音が鈍く響いた。続いて小銭を指先で弄るぎっちゃぎっちゃという音がする。
ひとしきり確認し終えると彼は財布を机の上に放り投げた。
彼はゆっくりと箸に手を伸ばす。お汁粉からは湯気が踊るようにのたうちまわっている。「おてもと」と書かれた四角い箸袋を指先でつまむ。湯気はまだ明の鼻先で踊り狂っている。明は箸を置いた。2 度嗚咽した。だがまだじっとお汁粉を見つめる。
またしても箸に手をかけた。だが今度は持ち上げるまでもなく手を離した。彼はカッターシャツの手口で目元と鼻を拭った。ぐすんぐすんという彼の荒い息遣いばかりが聞こえる。
もうテレビの音はしなかった。
明は綺麗に箸とお汁粉の入っているお椀を並べて立ち上がった。財布をゆっくりと取り上げた。
店の出口はすぐそこだ。彼は足早に店を立ち去ろうとする。と、不意に彼の体が後ろに引っ張られた。先ほどの老婆が彼の肩を強く掴んでいる。
「お会計は?」
鋭い声で老婆が呟く。明は
「申し訳ございません。」
と、それだけ言った。老婆が彼の手から財布を取り上げた。明は目を伏せて味気ない床をじっと見つめる。よく見ると床のひび割れが柄のようだった。明はそれをなんとなしに目で追いかけた。
ぎっちゃぎっちゃという音が聞こえていたが、すぐにそれも止んだ。明はまた小さく息をはいた。
「警察呼ぶね。」
老婆が彼の細い腕を掴んで言った。明は
「申し訳ございません。」
とまた言ってへたへたと座り込んだ。
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