第9話 ささやかな酒宴

 私は、実行する瞬間を狙っていた。


 ソファに腰を下ろす前に、エレイナから謝罪の言葉が出される。内容なんて聞いていない。彼女の声を聞いているだけで十分だ。そして、彼女の言葉が終わったことに、に催促されてようやく気が付いた。


 私が謝罪を受け入れ、寄附の再開を口にしたことで、場が和んだように感じた。

 そこで私はワインを飲まないか、と提案する。

 誤解を解消したことと、を祝って、ささやかな酒宴だ。それには彼女は怪訝そうな顔をしたが、が私の提案を受け入れてくれたことには感謝している。


 これから始まることへの準備には欠かせなかったからだ。

 私はワインに薬を入れるほど愚かではない。このワインは、エレイナと一緒に飲むために用意した、取って置きだ。そのようなものに薬を入れるなど、ワインへの冒涜だ。

 私は銀のカップを渡し、ワインを注いだ。そのカップで出したのは、銀は薬物で色を変える、といわれているからだ。それに注げば警戒は薄れるであろう。それに私は先に飲んで見せた。

 これで安心してか、ふたりがワインを口にしたのを確認した。

 油断させたところで、私は再びある提案をする。

 寄附について書面での契約書をしたためよう。口約束よりもそちらの方がいいだろう、と……。

 そこで私は書斎にいって書面をしたためることとした。その間、ふたりにはここで待つようにと……。


「そうだ、申し訳ない……」


 気が付けば部屋は薄暗くなっていた。もう日が落ちてしばらく経つ。私が夕食を準備させていたぐらいだ。そんな時刻を約束の時間としたのだから、暗くなって当然であろう。

 オイルランプはマントルピースの上にあり、火を付ければ明るくなる。


「どこにいったかな……」


 私は火を付けるものマッチを探して、他のデスクをいじった。まあそのデスクにあるものを取るための演技であるが……。


 私の職業は武器商人だ。


 そして、海外との貿易も行っている。前にも話したとおり、あまり人目に触れたくない客人もいる。交渉は成立するものもあれば、決裂することだってある。

 成立することになれば、両者とも笑顔でこの屋敷を出ることになるだろう。

 決裂すれば……まあ1度や2度の交渉が不成立ごときで、相手を始末するほど馬鹿ではない。そういう者にこそビジネスチャンスがある。しかし、始末が悪いのは、子供のように駄々をこねる客人だ。

 そういうのに対応する薬がいろいろある。デスクの引き出しからを持って、私は再びマントルピースの前に戻ってきた。


 手にしたのは小麦粉に似た粉末だ。

 これは燻すことによって、特殊なガスが出る。人間を痺れさせ、動きを封じることが可能だ。それをランプの頂点……香料を燻す小さな金属片の上に置いた。

 そして、ランプを灯す。これにより、薬が燻されて特殊な煙が部屋を包み込むはずだ。


「では、ごゆっくり……」


 応接室から出るとき、私はカギをかけた。勘づかれて逃げられてはマズい。応接室の窓は、私のカギがなければ開けられない仕組みになっている。


 一応、書斎に向かった。

 仕事にいつも使っている椅子に腰を下ろすと、片手が震えていた。

 今更になって後悔しているが、やってしまったのだ……もう後戻りできない。

 仕事机の上の砂時計を引っくり返した。この砂が落ちきる頃には、あの薬の効果が出ているはずだ。

 その時間はあっという間に来てしまった。自分で考えている以上に早い。

 私は鍵を開けて応接室に入る。自分も煙を吸うわけにはいかない。息を止め、窓を開け、換気をした。よどんだ空気が外気と入れ替わる。


 そして……一息つくと落ちついて、振りかえった。


 ――よくやった!


 ふたりともぐったりとソファに倒れ込んでいた。

 それぞれ足下に銀のカップが転がっている。はすっかり飲み干しているが、エレイナはほとんど口をつけていないようで、カーペットにシミが広がっていた。

 ふたりとも、顔の筋肉も動かせないほど痙攣しているようだ。今回使った量を考えると、翌朝までは効果が持続されると思われる。

 見れば、の目が開いたままであった。それに見られると気分が悪い。まぶたを閉じると、担ぎ上げた。

 老婆とは思えないぐらい重い。動く意思のない者を持ち上げると、重く感じることは経験していた。死んだ母を父と一緒に棺桶にしまうときにだ。

 老尼僧これをどうするかというと、私が子供の頃に折檻として閉じ込められた部屋が地下にある。

 この屋敷の主となってから確認すると、そこは座敷牢であった。木製の格子ではあるが、容易には破壊できまい。ましてや老婆であれば。

 そこに放り込んでおいて……後で、使用人に処理をさせよう。始末の悪い客人と同じように、少々痛い目にあえば、懲りるであろう。


 これでエレイナは私のものだ。


 これは、私が選択したことだ。ふたりを誘い込み、監禁した事になる。教会側には私の手紙が残っている。証拠は十分だ。が警察に告発すれば、捜査されるかもしれない。しかし……捜査されるだけだ。裁判所などには告発されないで、罪にもならないであろう。そういう人脈は持ち合わせている。金もそうだが、私の商売柄、国防に関わる人間を罪人にするほどこの国は愚かではない。

 それに彼女が「自主的に来た」と言えば、それですむことだ。


 ――どうやって彼女に言ってもらう? ここまでしておいて?


 ……確かに。


 ――すべてはがやったことだ。


 私が決め、実行したことだ。しかし、それの代償は……エレイナに触れるのは、この薬が効いている今宵だけ。1年以上もの間、じっくりと練っていた計画は、この一晩で終わってしまう。

 エレイナは……私をさらに拒絶するだろう。こんな男など、金を積んでも願い下げに決まっている。


 ――もう少しうまくできただろ?


 いや、これは私が自分で選択したことだ。もう

 応接室に戻った私は、彼女の前に立った。

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