第8話 客人

 どうすべきだろうか?


「ふぅ……」


 冷や汗がドッと出る。

 玄関先の様子を窺える小部屋。のぞき窓から玄関を覗くと、その光景に絶望を感じた。

 子供のように、先ほどまで期待に胸を膨らませていた。それを必死に押し殺して座っていた椅子に、再び腰を下ろした。

 先ほどまで、待ちこがれていた女性が立っている。

 エレイナだ。だが、その横には……。


 ――どうして、あの老尼僧が来ているのか!


 約束では、彼女ひとりで来るはずであった。それなのになぜ……いや、老尼僧あれも女だ。


 ――女の勘というものか。


 私のを見抜いたのだろう。

 考えてもみたまえ。か弱き女性にひとりで来い、などと……手紙で指示するほど幼稚な手はないはずだ。後から思えば、私の行ったことは実に愚かな行為だ。女性の勘……どころか手紙を読めば、私がエレイナに気があり、この中年の男は何かいかがわしいことを企んでいる。

 そういう結論に達するはずだ。


 ――どうすべきだ?


 どうするにしても、来ているのは仕方がない。を追い返すことも出来るであろう。交渉条件を勝手に変えてきたのだ。しかし、追い返せば……恐らく、これからもエレイナを使って、私から金をせしめようとしてくるに違いない。

 見たまえ、あの老尼僧はまるで物色するように、私の屋敷を見上げている。

 エレイナは反対にすらりと立ち、微動だにしない。顔は無表情……いや見えているはずの右目は、まるで軽蔑するような目付きだ。

 彼女は、から聞かされているのかもしれない。手紙の内容。そして、そこから読み取った私の、彼女に対しての感情を……。


「わたくしに情けをかけているのですか!」


 私に投げつけた言葉が頭にこだまする。

 今の彼女にとって、男性が寄ってくるなど、考えられなかったであろう。

 顔に深い傷を受けたあの事件。その前ならまだしも、今の容姿に疑問を抱いているに違いない。年の離れた男が、しかも僅かしか会ったことのない得体のしれない男が、ずっと自分の生活の後ろにいた。口にしていた食べ物が、生活が、その男によって支えられていたのだ。

 彼女としては、私の行為を程度に思っていた。

 薄々、感じていた情けを、彼女は軽蔑していたのであろう。そして、それ以上のものがあったことに、拒絶を覚えたのかもしれない。

 正直言うと私も、こういう理由で彼女を好きになった、と明確に説明が出来ない。だが、1年前のあの安酒場で、恋に落ちたことだけは確かだ。


 ――さて、どうすべきか?


 現在の状況で招き入れ、彼女だけを手にするには……。

 私はあることを思いついた。賭けの部分もある……だが、このチャンスを逃すわけにはいかない。


 ドアノッカーが叩かれる音がした。意を決して、隠し部屋から出る。


 そして、玄関に立った。玄関の扉が異常に大きく感じる。いつも使っているのに、これほど大きく重い扉だと感じたことはなかった。

 深呼吸すると、重たいブロンズ製のノブに手をかけた。


「いやぁ、ようこそ我が家へ!」


 我ながらヒドい作り笑いだ。満面の笑みを浮かべて、ドアを開ける。


「――ご主人様、ご寄附をお願いできないでしょうか?」


 気が付けば、老尼僧は薄気味悪い笑みを浮かべている。

 対照的にエレイナは無表情のままだ。声も出さない。


「今日の客はひとりと聞いていたのだが……」


 一応、不機嫌そうなことを言ってみる。すると、老尼僧は、


「手紙ではこの子だけということでしたが……今日になって、この子がひとりでは心細いというもので、無理は承知でこの老婆も付いてきた次第でございます。

 どうかお許しを……」


 もっともらしい……もっともらしいから、言い返すことが出来ない。

 それでは仕方がない、と私はの同行を認めた。


「申し訳ない。客人を玄関に立たせたままでいた。さあ、どうぞ……」


 ふたりを私の屋敷に招き入れる。

 老尼僧を先頭に続いて、エレイナが私の前を通り過ぎていく。


 ふわりと彼女の髪の匂いを嗅いだ。いつ嗅いだか覚えていないぐらい久しぶりだ。

 それは柔らかく私を包み込み、気分が落ちつく……いや、それに浸っているわけにはいかない。これからとエレイナを引き剥がさなければならない。

 2階まで吹き抜けた玄関に入ると、ふたりの行動はそれぞれだ。

 は飾られた調度品や美術品を、見定めるような行動をしていた。エレイナのほうは相変わらずの無表情……いや、奥歯をグッとかみ締めているようにも見える。


「こちらは不意の来客になれていなくてね。それに使用人はにも今日は休暇で……私ひとりしかいない」


 ひとりしかいない、と言った途端、一瞬、エレイナの肩が揺れたような気がした。


 ――何を怯えているのか?


 見れば長身の彼女が、少し背中を丸めているような気がした。

 彼女には似合わない。まるで小動物ではないか。


「どうぞこちらへ……」


 私は客人を応接室に案内する。

 本当は彼女を家族が使う食事室ダイニングルームに案内して、ふたりで食事ディナーを取ろうと考えていた。

 客用の大きな食堂では緊張するであろう、と考えてだ。しかし、使用人には私とエレイナの分の食事を用意するよう指示した。つまり二人分しかない。


「お好きな場所でどうぞ……」


 暖炉に向かって半円形に並んでいるソファを勧めた。さすがにまだ暖炉には火を入れていないが、ゆったりと座れるソファがあるので、そちらの方が落ちつくであろうと考えた。


 それに……。

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