02.竜神教徒をもてなせ(前編)

 ここは大陸にいくつも存在する竜骸国家のひとつグイターニャ。竜骸国家とは竜の死骸を占有する国のことであり、その国は竜血や竜骨によって豊かな生活を得られることが多い。コンロやオーブンといった調理用具の類も、照明器具や乗り物の類も、薪などで動かすことは可能だがやはり竜血や竜骨を利用した方が効率良く動く。竜血は油のような性質を、竜骨は炭のような性質を持つが、どちらも油や炭より扱いやすく大きなエネルギーを産み出すのだ。

 火の国グイターニャ。美食の国グイターニャ。グイターニャ料理は世界四大料理のひとつに数えられている。料理人の地位が高い国でもあり、貴族に食事を提供することを許された一級料理人ともなれば社交界での影響力も小さくない。

 アガタは十九歳という若さで二級資格を持ち、平民出身であるため一級になれる望みこそ薄いものの一流の料理人である。宮廷魔術師であるルキウスに雇われたのもそれが理由であった。魔術師ルキウス・ソラノが食にこだわりのある人物であることは彼の知人であれば知らぬ者はいない。雇われて数日でそれを察したアガタは存分に腕をふるい──予算なども全てアガタに任されている──、毎日のびのびと働いていた。

 その日もアガタは慣れた手付きでコンロに火を入れた。普段の料理は薪で事足りるが、安定した火力を維持するにはやはりコンロを使うのが良い。着火に使ったマッチを灰入れへ放り込み、フライパンを火にかけて油を熱していく。十分に熱くなったらそこに鳥のもも肉を並べ、皮の方からじっくりと焼いていく。皮をぱりっと仕上げる方が主人の好みだった。焼き上がったそれを一旦引き上げてフライパンをきれいにした後にソース作りに入る。火にかけたフライパンに、熟れたビートの実を牛の乳と一緒に練り上げ固めたもの[バター。牛の乳のみで作られるものもあるが、ビートの実を使うとコクと香りが違う。]をひとかけ落として胡椒を少量、溶けて透明になったところでリモネ[レモンとも呼ばれる果実。酸味が強く、使用にはセンスが必要。]の汁を加えて火を止めた。

 この鳥のソテーは本日の夕食で、来客の予定はないため主人の分とカミロの分、そしてアガタ自身の分しか用意されていない。働き始めた頃は主人以外の献立は粗末なものだったが、材料を買うにしても少量だけよりある程度まとめ買いした方が効率がよいのもあって、今では同じものを作っている。使っている肉が切れ端だったり、器へ盛った際に具が少なかったりはするが。

 完成した料理を盛り付けたアガタは、厨房の壁にある伝声管──花のように広がった送話口が優美である──へ呼び掛けた。

「ルキウス様、ご飯が出来ましたよ」

「……すぐ行く」

 少し間を空けてから返ってきた声を聞き届けてからアガタは配膳の準備を始めた。本来であればそれは使用人の仕事だが、ここではアガタ自身が行うことになっていた。そもそもこの屋敷に住み込みの使用人はアガタを除けばカミロ一人しかおらず、その彼も主に事務に携わる言うなれば秘書のような存在だった。ハウスキーパーは二日に一度の出勤で十分に役目を果たしており、恐らくこれ以上この屋敷に人が増えることはない。

 アガタが丁度ダイニングルームのテーブルに食事を並べ終えたところでルキウスが現れ、すん、と鼻を鳴らした。

「おいしそうな匂いだね」

 どこかうきうきとした様子で席についたルキウスは、食前の祈りもそこそこにナイフとフォークを手に取った。切り分けた肉を口へ運び、目を細める。それを見ているアガタもまた満足げな表情で、こちらへ寄越された視線に微笑んでみせる。そこに言葉は必要なく、みるみる減っていく料理が雄弁に感想を述べている。瞬く間に皿を空にしたルキウスは食後の果実水を飲みながらアガタを見た。

「そういえば週末の準備はどうなってる?」

「大丈夫です、腕によりをかけて作りますよ」

「そうか」

 楽しみだなあ、などと暢気に言うルキウス。週末は客人を招く予定だった。相手はルキウスと同じく宮廷で働いている人物である。だがひとつ問題があり、その客人は敬虔な大地竜神教徒であった。単に竜神教と呼ばれることが多いそれは大陸においてかなりの多数派を占める宗教だが、グイターニャではあまり浸透していない。大半の人間は葬儀のときと都合のいいとき──あるいは悪いとき──に祈る程度で、教義も重視していない。何故か。竜神教の教義を厳密に守ろうとすると、食事制限が多いのである。グイターニャは美食の国、相性が悪いのは当然だった。

 竜神教は竜の恵みを尊いものとして扱う。であるから、竜血や竜骨由来の調理法を多用するような料理を普段の食事とするのはあまり好ましくないとされる。火についてはコンロを使わず薪で代用すればさほど問題はないが、問題は冷やす方である。冷蔵庫は竜血の利用なしには使えない。つまり、今回は痛みの早いものの作り置きはほぼ出来ないといってよいし、ゼリー寄せや冷やし菓子のたぐいも出せない。

 もちろん、無理にもてなす必要はない。国賓を招くわけでもなし、礼を失しない程度に茶と菓子だけ出すなり、教義に触れない軽食を振る舞う程度にとどめてもよい。しかしアガタには主人に雇われている矜恃があり、なにより食というものを愛していた。幼い頃から厨房を遊び場とし料理に親しんできたアガタにとって、料理に関して試行錯誤するのは楽しく幸せな行為であり、信仰にも近かった。

「ごちそうさま」

 果実水を飲み終えたルキウスが席を立ち、それを見送るアガタ。皿もコップもすべてがきれいに空になっているのを見て、彼女は満足げに口角を上げた。

 そのしばらく後、仕事も食事も湯浴みも終えたアガタは自室でノートを広げて何やら書き付けていた。あまり他人に見せるつもりはないのだろう走り書きの文字は少し読みづらいが、どうやら何かのレシピのようだった。似たようなレシピがいくつかあり、どれも何度か書き直した跡がある。そのうちの一つに大きく丸をつけると、アガタはそのノートを大事そうに自分のトランクへとしまいこんだ。そして机のまわりを片付け髪を下ろし、ベッドへと潜り込む。

 アガタの朝は早い。彼女はするりと眠りに落ちた。

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