ドラゴニアン コンティネント ─アガタ嬢の魔法のレシピ─
新矢晋
01.彼女が初めて屋敷を訪れた日
上級住宅地の一角にある屋敷の前に、若い娘が立っていた。年の頃は十代後半、ダークブラウンの髪を結い上げた真面目そうな印象の娘である。シンプルなワンピースを着て大きなトランクを提げているその娘は名をアガタといい、黙って屋敷を見上げていた。……そこは宮廷魔術師が暮らす屋敷にしては控えめに見えた。下手をするとアガタが以前勤めていた商人の屋敷より小規模かもしれない。だが、何故か肌がぴりつくような緊張感を覚え、彼女は小さく深呼吸をした。
アガタを出迎えたのはアガタと同年代の使用人──身形がよいため下級ではない──とおぼしき男で、アガタの差し出した推薦状を確認したのち屋敷の中へと彼女を招き入れた。廊下はしんとしていて、他に使用人がいるような気配はなかった。案内人はぴんと背筋を伸ばして歩いており、立ち居振舞いに隙がなく、アガタは彼に話しかけることも出来ずに黙ってその後をついていった。
「はじめまして、アガタさん。私がここの主のルキウスです」
連れていかれた応接室でアガタを迎えた相手はアガタが想定していたよりも若々しく、この辺りでは珍しい銀色の髪の青年だった。宮廷魔術師となるには家柄だけでなく圧倒的な知識と技術が必要とされ、アガタが知る限りは大体中年以上の年齢層で、老人も少なくない。だがアガタを迎えたその青年、ルキウスは、彼女より少し年上程度にしか見えなかった。アガタは戸惑いながらも丁寧な挨拶をし、勧められるまま椅子へと腰掛けた。
「アマンシオさんから評判は聞いています、素晴らしい腕前だそうですね」
「ありがとうございます。まだまだ勉強中の身ですが、ご満足頂けるよう努めさせて頂きますね」
「ふふ、楽しみです。うちは見ての通り一人暮らしですので、あなた一人で担当していただくことになりますが……」
「問題ありません」
ルキウスは終始穏やかな態度で、仕事の内容を説明する口振りもごく丁寧なそれだった。雇い主として悪くは無さそうに見える。次の雇い主が宮廷魔術師と聞いて、偏屈あるいは高慢な老人を想像していたアガタは、ここでようやく少しだけ緊張を解いた。
「……まあ、基本的には自由にやっていただいて構いません。もし気になることがあれば私か彼……カミロに訊いてください」
案内人の名前も判明したところであらかたの説明は終わり、ルキウスは少し考えるような仕草を見せてから再び口を開いた。
「荷物の整理などもあるでしょうし、設備の確認も必要でしょうから、明後日からお願いしてもいいですか?」
「はい、大丈夫です」
アガタが了承すると、ルキウスはどこか嬉しそうに顔を綻ばせた。笑うと少し顔が幼くなる。もしかしてこの青年は自分が思っているよりも年下なのでは、と感じたアガタがその顔を見つめるとルキウスは怪訝そうに首を傾げた。アガタがなんでもないと言うと、彼は不思議そうにしながらもカミロに目配せをして席を立った。
「すみません、このあと予定がありまして。後のことは彼に。……では、これからよろしくお願いしますね」
「はい。よろしくお願いします」
「いってらっしゃいませ」
退室するルキウスを見送った後、アガタに向き直ったカミロがドアの方を示す。こうしたひとつひとつの所作に、アガタと同年代でありながら上等の教育を受けてきただろうことがうかがえる。
「荷物も置きたいでしょうから、まずは部屋の方から案内しましょう」
こちらへ、と再び廊下へと出たカミロに続くアガタ。やはり廊下は静かで、灯りの揺らぎすらない。案内された部屋は窓が北向きではあるがそれなりに手入れはされており、少し掃除をすれば快適に使えそうだった。家具も一通り備え付けられている。使用人部屋にしては広く、使われていない客室か何かだろうと思われた。アガタにとっては十分すぎる部屋である。
部屋に荷物を置いた後、次に案内されたのはアガタの主な職場となる部屋だった。期待と不安で緊張しながらその部屋へと足を踏み入れたアガタは、息を飲んだ。
ぱっと見ただけでも設備が充実しているのがわかる。複数口のコンロはもちろんのこと、オーブンや冷蔵庫まで完備されており、調理台も広々としていた。また、部屋の中は明るく、照明がきちんと設置されているのが見てとれる。竜骸の恩恵を受けていることは明白だった。
そういえば、とアガタは思い返す。玄関も廊下も応接室も明るかった。照明──燃える匂いはせず灯のちらつきもなかったため、恐らく竜血やその派生燃料を利用しているものだろう──が十分に設置されている証拠だ。この屋敷は外から見た規模こそ控えめではあるが、その分内部設備に手をかけているのかもしれない。
ここがアガタの職場。つまるところ、アガタは料理人であった。
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