第一章 雪深きヴィークリーズ 4
雪はすぐに止むと思っていたのに、予想に反して次の日も、また次の日も止む気配がなかった。
雲の厚みが増したせいで世界はいつもより薄暗く、薄く開けた木窓の隙間から吹き込む風さえも肌を切るようだ。台所から見えている青黒い岩の柱は、もう半分ほども雪に埋もれてしまっていた。家が潰れるといけないので、ソールは、スコップを持ち出して屋根の雪かきをしに行った。吹雪のせいで森のほうも真っ白だ。山々は隠れてしまってほとんど見えない。
凍りついた上着を払いながら家の中に戻ったのとほぼ同時に、居間のほうから何かの倒れる派手な音が響いて来た。部屋を覗いてみると、箒と椅子が転がっていて、尻餅をついたらしいフリーダが床の上で痛そうに尻をさすっている。
「…何してるんだ」
「壁のほこりをはたこうとしたのよ」
彼女は、顔を真っ赤にしながら慌てて立ち上がる。
「ここの床がいけないんだわ。傾いてるなんて」
居間と寝室は繋がっていて、暖炉の燃えている居間の端に、布で仕切られた寝台の空間がある。しばらく使っていなかった部屋で、ほこりが溜まっているのが気になるというフリーダに、自分で掃除しろと箒とはたきを貸したのだった。
「ほこりをはたくのに、箒なんて使わないだろ」
ソールは呆れた口調で言って、フリーダの隣に倒れている椅子を起こした。その椅子は、どうやら台所のほうから持ってきたものらしい。
「ほこりには、はたきを使うんだ。箒は床を掃くもの」
「そんなの知らないわよ。掃除なんてしたことないし」
「……。」
ソールは、思わずまじまじと少女の顔を見る。
「…あんたの家じゃ、女が狩りをして男が家事をすることになってたんだな、きっと」
「何よ、厭味のつもり?」
「他所の家のことなんて知らない、それだけだ」
椅子を抱えて台所のほうに戻そうとするソールの後ろに、きらきら輝く小さな妖精たちが追いすがる。楽しそうにソールの凍った上着をひっぱり、髪の毛から下がったつららを見て笑い声を上げる。
「寒くはないみたいだな。上着はぴったりか」
「巨人族なんて、妖精族の天敵のはずなのに――」
フリーダもついてくる。
「だから巨人族じゃないって言ってるだろ」
「じゃあどうして、そんなに力持ちなのよ。一人でこんな山奥に住んでるなんて怪しいわ」
台所では、ティキがいつものかまどの側ではなく、窓際で外をじっと眺めていた。ソールが入って来たのを見ると、尾を振りたてながら彼のほうに向き直った。
「キュッ?」
「ああ。外は寒かったよ」
会話は、一応成立している。ずっと一緒に暮らしているのだ。ティキの言いたいことは、何となく判る。
「――ねえ、キミのことを教えてよ。」
フリーダは、ティキのほうに視線を向けていた。
「なんで火の精霊がここにいるの? 他に親戚とかいないの?」
「言っただろ。俺に答えられるようなことは何も無い」
「じゃあ、両親は? お母さんも巨人族だったの」
「知らないよ。父さんは何も言わなかったし。」
それは本当だった。生まれてくるには母親という存在が必要なことは知っているが、物心ついた時にはすでに父と二人きりだった。そして、誰も、この家には訪ねてこなかった。
「たぶん俺が大きくなったら教えてくれるつもりだったんだと思う。けど、父さん、その前に死んじゃったから」
「…ごめんなさい、私、余計なこと」
「何で謝るんだ?」
かまどの前で、凍った上着を乾かしながら、ソールはそっけなく言った。死は悲しいものだが、いつまでも引きずるものではない。
彼は台所の壁にたてかけてある、砕けたままの斧に視線をやった。――あの日も、外は吹雪だった。何があったのかを知る者は、今はもう、どこにもいない。
しばしの沈黙のあと、フリーダは話題を変えた。
「それにしても不思議だわ。妖精の繭は、安全地帯に入るまでは孵ることがないよう妖精の女王様が魔法をかけてくださったのに、どうしてこんなところで孵ってしまったのかしら…。」
「暖かくなったからじゃないのか。暖炉の側で」
「そんなことじゃ孵らないはずだったのよ! 妖精族の魔法に間違いなんてあるわけないし…」
二人の妖精たちは、いつの間にかティキと一緒になって窓の外をじっと眺めていた。二人ともやけに真剣な顔だ。やがて、そのうちの一人が振り返って、ソールのところへ飛んで来て髪を引っ張った。
「おい、ヤルル、引っ張るなって」
「ヤルル?」
「ああ。名前つけた。ちなみに、もう一人のほうがアルル」
「ちょっと…勝手に!」
「いいだろ、名前無しのほうが可愛そうだ。それに、そっくりで、どっちがどっちか分かりづらいんだよ。名前つけとけば、呼ばれたほうが反応するからさ」
「はああ」
溜息をつくフリーダをよそに、ヤルルと名づけられた妖精は、ソールの髪の毛をさらにひっぱった。
「そーる」
小さな声で名を呼ばれて、上着を火に翳していたソールは、驚いて思わず顔を上げた。はずみでヤルルが頭上にふわりと飛び上がる。
「お前…、喋れるようになったのか」
「てきが、くるよ」
窓辺にいたアルルのほうも、同じように口を開いた。
「敵?」
じっと見つめてくる小さな金色の瞳。ティキはゆっくりと尾を振りながら、ますます強まっていく吹雪のほうに眼差しを向けたままだ。
吹雪の音に混じって、かすかに低く何かの音が聞こえた。
確かに"敵"だ。
本能がそう告げる。ソールは、瞬時にして状況を理解した。素早く上着に袖を通し直すと、壁に立てかけたままにしてあった片方の刃の欠けた手斧を手にとる。玄関に立っているフリーダの白い馬が不安げに足を踏み鳴らしている。馬も、気配に気づいているのだ。
「えっ、何?」
気づいていないのは、フリーダだけだ。
(殺気だ…ただの雪崩の音じゃない)
玄関を開けて外に出ると、とたんに、横殴りの冷たい雪が体全体に突き刺さってきた。さっきまでより降り方が激しくなっている。降ったばかりの雪にブーツを足首まで雪に埋もれさせながら、ソールは、手を雪に翳して森のほうを見やった。低く唸るような声は、そちらから聞こえてきている。かすかに地面の揺れる気配も。
白く吹雪いた視界の中に、黒い小山のようなものが揺れながら近づいてくるのが見えた。
目をこらしたソールは、それが、辛うじて人の形をした氷の塊であることに気が付いた。歩くたびに、ぱらぱらと氷の破片が落ちる。
後ろで息を呑む音がした。フリーダだ。
「――氷の、巨人!」
「知ってるのか?」
吹雪の音に負けないよう、ソールは叫んだ。
「ええ! 魔女の手先よ。話したでしょう? 私の国がずっと戦っている相手のしもべよ――私たちを探しにきたんだわ!」
ずずん、と地面が揺れた。ソールは舌打ちした。
「家の中に隠れてろ。なんとかしてみる」
「何とかって?!」
それには答えずにソールは、手にしていた手斧を玄関前に投げ捨てて、代わりに戸口に転がっていた丸太に手をかけた。割って薪にするため森から切り出してきておいたものだ。持ち上げると、上に積もっていた雪が雪崩のように滑り落ちる。丸太を真っ直ぐに抱え上げると、ソールは、こちらに向かって来る巨人にむかって思い切り投げつけた。
ごすっ、という鈍い音。氷がぱらぱらと剥がれ落ち、巨人が一瞬、よろめいた。
「…すごい」
フリーダが呟く。
「くそ、雪で足が滑る」
舌打ちしながら、ソールはさらにもう一本の木を抱え上げようとする。だがそれより早く、頭上で、ごうっと風の唸る音がした。
「危ないっ」
フリーダの鋭い声。はっとして、ソールは雪の上にしゃがみこんだ。頭上すれすれを黒い大きな翼が通り過ぎていく。
(ドラゴン…あいつもいたのか)
ドアの前で、フリーダが弓を構えようとしている。
「やめとけ、そんなんじゃ届かないから」
「でも…」
「いいから中にいろ! 地下室に隠れてれば、万が一家が潰れてもなんとかなるから」
叫びながら、ソールは、それが "あの時" 父がとった方法と同じだということに気が付いていた。胸の奥がなぜだか熱くなる。どうして、今頃になってこんな気持ちになるのだろう? あれは、ずっと昔の話だ。死はいつまでも引きずるものではないと、分かっているはずなのに――
体勢を立て直した巨人が、ゆらめきながらこちらに向かって来る。ソールは丸太をひきずって、降りしきる雪の中に足を踏み出していく。対峙する場所は家の前、雪が無いときには広場だった場所だ。
雪を被った氷の巨人が、ソールめがけて拳を振り下ろしてくる。彼はそれを避けずに受けとめた。風圧で、煤に汚れたざんばらの赤金の髪が炎のように逆立ち、足が雪の中に押し込められる。けれど巨人の拳は、何故か、ちっぽけな少年を押しつぶすことが出来ない。
「人形が、力比べで俺に勝てると思うなよ…」
自然と、腕に力が篭った。これは本物の巨人を真似ただけの”まがいもの”だと、遠い記憶の中で何かが囁く。先祖代々、血とともに受け継がれてきた記憶の一部が教えてくれる。誰かに聞かなくても、知っている。
どうすればいいのか、どう戦えば勝てるのか。
自分なら、負けるはずがないと。
「うおおおっ!」
咆哮とともに、ソールは巨人の拳を握りつぶした。足にくらいついて、両手で抱えて引きずり倒す。どうっと音をたて巨人がて雪の中に背面から倒れこむと、その上にかけあがって、両手の拳を思い切り頭部に叩き込んだ。何度も。何度も。
大きなひび割れが走り、巨人の頭が割れた。
ガラスのような氷の塊が崩れ落ち、立ち上がろうともがいていた足が動きを止めた。
白い息を吐きながら、ソールは、つい今しがたまで巨人の形をしていた、砕けた氷の塊の上に乗ったまま空を見上げた。白い空を旋回してこちらに戻ってこようとしているドラゴンの姿が見える。地面にいる的ならともかく、あれを素手で仕留めるのは難しそうだ。
ゴウッ、と風が吹いた。
「…くっ」
舞い上がる雪から腕で顔を守りながら、彼はじりじりと後退し、玄関先に置き去りにしていた斧を拾い上げた。戸口でスキンファクシが激しく足を踏み鳴らしながら
だが、黒い旋風の突進には、到底耐え切れるものではなかった。
斧の刃は黒く硬いうろこの表面をすべり、鉄が割れ、柄が手の中で吹き飛んだ。ソール自身も勢いで弾き飛ばされ、背後の家に叩きつけられた。背中の下で家の屋根が壊れるのがわかる。屋根をこしらえていたロープが切れて、丸太が転がり落ちてくる。屋根ごと軒下に積もっていた雪の中に頭から突っ込んで、一瞬、息が詰まった。
「げほっ、げほっ」
咳き込みながら頭を上げると、目の前に駆け寄ってくるティキの姿が見えた。キーキー鳴きながらソールの周りを駆け回る。壊れた部分は、ちょうど台所の上だったらしい。かまどの火が、心細げに燃えているのが見える。
「そーる、上!」
アルルとヤルルの叫ぶ声。はっとして、ソールはとっさに雪の上を転がって避けた。目の前を鋭い爪が掠めていく。
獲物を噛み砕こうと突き出された、牙の並ぶ大きな口を、彼は、仰向けになったまま必死で受け止める。冷たい、凍てつくような息が顔に吹きかかる。体が雪の中に沈んでゆく。
「くそっ、なんて力だよ…」
さっきの氷の巨人などとは比べ物にならないほどの力だった。しかも今は、不意打ちなうえに体勢も不利だ。ソールは、相手の黄色く濁った目を睨みつけた。巨人のほうはただの氷の人形だったが、こちらは本物だ。こんな生き物が、まだこの世界に存在していたなんて。
ガチン、と突然、鈍い音がした。
ドラゴンの力が弱まり、じろりと脇のほうを見やる。ソールも視線をやった。視界の端に、弓を構えたフリーダがいる。彼女は、馬の上からドラゴンの目めがけてニ射めを放った。ガチン、と再び硬い音がして、矢は黒い皮膚の上を空しく滑る。
黒い巨体が、吼えた。
「こっちよ、化け物!」
スキンファクシがひらりと身を翻し、真っ白なたてがみを靡かせながら吹雪きの中を駆け上がってゆく。黒い不気味な翼を羽ばたかせ、ドラゴンがそれを追おうと飛び上がる。
「…っ、待て!」
起き上がろうとして激痛が走り、ソールは思わず肩を押さえた。無我夢中で気がついていなかったが、どうやらさっき思い切り家に叩きつけられたときに、骨にひびが入ったらしい。
腕を伝って血がぽたりと流れ落ち、それとともに、首元から切れた鎖が手元の雪の上に落ちた。雪の中に四つんばいになったまま、彼はしばし呆然として、白の上に散る赤と金とを見つめていた。
体に力が入らない。こんなことは初めてだ。
(けど、…戦わなきゃ)
見上げると、フリーダが落ちてきたあの日と同じように、追いかけっこをする白と黒の塊がうっすらと見えている。追いつかれそうになってすんでのところで方向転換してはかわすスキンファクシと、その背中に必死でしがみついているフリーダの姿。なんとかして家から引き離そうとしているのだ。でも、そう長くはもつまい。
(どうすれば…)
折れていないほうの手で、落ちた首飾りを掴む。すぐ側には、物言わぬ青黒い岩が雪をかぶって立っている。冷たい絶望が押し寄せてくる。
あの日、何者かと戦ったあと、父は岩になった。
強くて力持ちだった父でさえ敵わなかった。
そんな敵と、どうやって自分が戦える――?
ふいに、周囲がふわりと暖かくなった。吹雪の重圧が消えて、痛みが引いてゆく。はっとして顔を横に向けると、ティキを挟んで二人の妖精の子供たちが、ぎゅっと両手を握り締めて何か念じていた。
「お前ら…何してる?」
「じっとしてて」
男の子のほう、ヤルルが手をかざしながら言う。
「いたいの、なおせる」
女の子のほう、アルルが手をソールに向けている。
「魔法? そんなのまで出来るのか…」
「なんとなく、わかる」
「いっしょにがんばる」
二人は、同じ色をしたそっくりの瞳でソールを見上げた。
「何で…俺のために…」
「そーるは、なまえをくれた。」
「ふくもくれた…さむいのは、もう、いや。そーるのそばがあったかいから」
「お前ら…」
頭上では、フリーダが懸命に時間稼ぎをしようとしている。胸の奥に広がりつつあった絶望が、端から溶けてゆくのを感じた。戦っているのは、自分一人ではない。ここにいる全員だ。
「キュッ!」
ティキが肩に駆け上がってくる。妖精たちの光が消えるのと同時に、痛みは消え、体は軽くなっていた。
(こいつらを、守ってやらなくちゃ…)
ソールは、握り締めていた手を開いた。
金色の小さな鎚の飾り。由来も何も聞かず、生まれた時から持たされていたもの。
その意味が、今なら何となく分かる。いや、分かる気がした。
立ち上がった彼は、空を見上げて声を限りに叫んだ。
「フリーダ!」
吹雪の中でも、きっと聞こえる。羽ばたきと、風の音。
「こっちへ降りて来い! 真っ直ぐに!」
もつれあう、白と黒。声は確かに届いていたようだ。スキンファクシは、ソールのいる方向めがけて必死に駆け下りてくる。そのすぐ後ろには、黒いドラゴンの巨体が続く。ソールは唇を噛みしめ、体に力を込めた。手の中が熱くなっていく。体がそうだと思うままに、彼は手を振った。その瞬間、手の中から金色の閃光が放たれていた。
ゴスン、と重たい衝撃音とともに、ドラゴンの体が空中でよろめいた。はねかえって宙に舞うそれは、金色に輝く鎚の形をしていた。
はっとして、ソールは手の中を見やった。無意識のうちに握りしめていた首飾りが無くなっている。そして、かわりに目の前をくるくる回りながらこちらに飛び戻ってくる鎚がある。
「うわっ、と」
受け止めた衝撃で足が滑る。手袋の上に積もっていた雪が摩擦熱で溶け、白く蒸気が上がった。
(これ、あの首飾り…なのか?)
ずしりと重たい鎚を両手で構えたまま、ソールは、雪の上で体勢を立てなおそうとしているドラゴンのほうに歩み寄っていく。考えながらも、体は勝手に動いていた。どうすればいいのか分かる。これがどう使うべき道具なのかも――"知って"いる。
そう気づいたとき、体の中で確信が目覚めた。
"これなら勝てる"と。
顔を挙げ、咆哮したドラゴンの顔めがけて、彼は鎚を思い切り叩き込んだ。振るうとき、ごうっと空を切る音が耳元で響いた。重たい衝撃とともに、黒い液体がどろりと雪の上に落ちる。飛び立とうと翼を広げたドラゴンの背に飛び乗って、さらに頭に一発。
ドラゴンの首ががくりと雪の上に落ちた。そして、鼻面の先から見る見る間に白い霜の色に変わっていく。ソールの足の下を通り、翼の先へ、尾のほうへと。霜の色の伝播していった先から、黒い巨体は霜柱の折れるような音を立て崩れ始めた。足元が崩れ、ソールはそのまま下の雪の地面へと落下した。雪が舞い上がり、ドラゴンの両翼が砕けながら落ちていく。
「ソール!」
馬を飛び降りたフリーダが、雪に足をとられながら駆け寄ってくる。
「大丈夫?! ケガは無い?」
「無いよ、今は」
「今は、って…。あっ、それ」
フリーダの視線がソールの手にしている黄金の鎚に注がれた。ソールも、自分の手元を見やる。さっきまで人の頭ほどの大きさだった鎚の先は、いつのまにか、手の平に収まるほどに縮んでいた。そうしようと思えば、もっと小さく…たぶん、元の首飾りの大きさにまで縮められただろう。だが、それだと無くしてしまいそうだったので、手におさまるくらいの大きさに縮めるところまでで、止めておいた。
「そっちは大丈夫なのか。馬のほうも」
「え、ええ。」
「無茶させたな――悪い」
「え?」
隣を通り過ぎて家のほうへ戻っていこうとしているソールの背中を、フリーダは、困惑した表情で振り返る。
「何で、キミが謝るのよ? 私が、ここへ来たばっかりにキミを巻き込んだんでしょ」
「いや…多分、違ったんだと思う」
雪は、何時の間にが止んでいた。空は晴れることなく元通りの曇天のままだったが、彼には確信があった。
「どのみち、いつかは戦わなきゃならなかったんだ。…この雪を降らせてるのは、あんたが戦ってる魔女なんだろう?」
「ええ」
「だったら、それは俺の敵でもある。」
「え、それって…」
ソールは、鎚を握り締めて岩に目をやった。
あの日、父が戦っていたものが何だったのか、今ようやく判った。
そして、この山を守れと、父は言った。それは――ここを元通り、季節の移り変わる生き物の住める場所に戻すということでもある。魔女を倒さない限り、この森に、再び春がやって来ることない。
「ソール」
待っていたヤルルとアルルが、彼のほうにふわふわと飛んでいく。
「いっしょに行く?」
「ああ。」
「――そういうことね。」
フリーダは、手にしていた矢を矢筒に戻しながら一つ息をついた。
「妖精族の魔法が、間違ってたわけじゃないんだわ。キミを安全地帯だと認識したからだったのね。魔女のしもべたちを倒せる、キミのことを…。」
そして、真面目な顔になって、居住まいを正した。
「私からもお願いするわ、ソール。そして改めて自己紹介させてちょうだい。私はフリーダ・ローグレス。ローグレスの女王、ゲルダの娘よ。魔女との戦いに協力してもらえること、私たちの客人たる妖精の御子たちを守ってくれたことを、母に替わって心よりお礼申し上げるわ」
「ふうん、王女様か。」
「…相変わらず、そっけないわねぇ」
苦笑しながらも、彼女はもう、最初の頃のように怒鳴りはしない。「ま、今更驚かれても困るんですけどね。」
「発つなら、雪が止んでる今のうちだな」
ちらと空を見上げてから、ソールは、壊れた壁から台所へ入っていく。「荷造りするから、ちょっと待っててくれ。」
「荷造りって…。」
「色々あるだろ、飯とかさ。」
フリーダに背を向けながら、彼は、それとなく体の前で右手を押さえた。体の芯に、まだ熱が少し残っている気がする。それに、僅かに右腕が重い。初めて使った武器の衝撃の重さにまだ馴れていないせいなのか、血の中にある"遠い記憶"に体のほうが追いついていないせいなのか。
体の中にある、祖先の記憶――戦いの記憶。こんなものが存在することは、今日まで知らなかった。
(これは…一体何のために使う力なんだろう?)
血の先に連なる先祖たちの誰かは、きっと、ドラゴンや巨人と戦ったことがあったに違いない。けれど、そうだとしても、自分自身が何かと戦ったのは、これが初めてだった。
そしてこれが、この先も続く戦いの道のりの最初の一歩になるだろうことを、ソールは、薄っすらと予感していたのだった。
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