第111話 発狂姉とビデオレター

「雫がいない」


 入院三日目。病院のベッドの上で、私は誰にともなくそう呟く。

 大部屋が満室だから、とかいう理由で個室を宛がわれた結果だけど、そうなると余計に一人であることを意識してしまう。


「……雫がいないよぉぉぉぉ」


 いや、どっちにしろ意識はしていただろうから、これで良かったんだろうか? ベッドの上で悶絶しながら、私は絶食三日目の修行僧みたいな顔でスマホの画面を覗き込む。


「雫に会いたいぃぃぃ」


 本日設定された待ち受け画面は、雫のあどけない寝顔写真。はあ、癒される。

 でも、やっぱり本物を見たい。こうして足りない分を盗撮……じゃなかった、雫の成長記録写真で補おうとはしてるんだけど、直接触れ合わないとシズクニウムが欠乏して禁断症状が起こりそうだ。


 というか、もう起こってる。気が狂いそう。


「雫ぅ~……」


 ほんの少し前まで、私と雫は日に一、二回顔を合わせる程度しか交流出来なかった。でも逆に言えば、その頃ですら日に一度は顔を拝める機会があったの。こんな風に、丸一日以上雫に会えなかったのは初めてだ。


「はぁ、はぁ、雫……」


 無意識の内にスマホの通話ボタンをタップしようとしている自分に気が付き、歯を食い縛りながらそれを堪える。

 雫は今、私との同居を認めて貰うために頑張っている真っ只中。私が手を貸したら意味がないと、通話することすら叔父さんに禁止されてしまっている。


 でも……でも……!


「あぁーー!! 雫ぅーー!!」


「先生、この子は精神病棟に移してあげた方が良いのでは?」


「君、患者の前でズバッと言うねえ」


「大丈夫ですよ、先生が検診に来たことにも気付いていないみたいですし」


「それはそれで問題なんだけどねえ」


 雫、ちゃんとご飯食べてるのかな? 同じ服何日も着ないでお洗濯出来てるかな? お掃除しないで埃だらけの部屋で過ごしてたら風邪引いちゃうかも……あわわわ……!


「えーっと、鈴音さんだったね。調子はどうだい?」


「雫……」


「昨日はゆっくり寝られたかな?」


「雫……」


「朝食はどうだったかね? うちの病院食は中々美味いと評判なんだが」


「雫……」


「…………」


「先生、精神科の先生を呼んでおきました」


「君、動くのが早いよ」


 ああ、雫のことを考えるともう他の何も手が付かないよ……昨日から一睡もしてないし。

 雫が自分で頑張るって言ってるんだから、私に出来るのは静かにその結果を待つことだけだって分かってる。でも、雫のことがどうやっても頭を離れない……私は一体どうしたら……!!


「とりあえず睡眠薬です」


「ああ、ありがとう。とりあえず、寝れてないようだからね、多少強引にでも寝かせて貰うよ」


「ああーー!! 雫ぅーー!!」


「先生、ひとまずこの子の入院期間は延長させておきましょう」


「その方がいいだろうね」


 なんだか聞き捨てならない言葉が聞こえてきた気がするけど、それについて思考を巡らせるより先に、猛烈な眠気が襲ってきた。


 ああ、雫……今は何をして……ぐぅ。





「……んん?」


 気が付いたら夕方になっていた。いや、なんで?

 そんな疑問に答えるように、隣でパイプ椅子に座っていた蘭花が口を開いた。


「あ、起きた? 喜びなよ鈴音、大部屋の方でベッドが空いたけど、鈴音の状態を鑑みてこのまま個室に入院させて貰えるってさ」


「いや、どういうこと!?」


 私、ただの過労だよね? なんで一週間でパッと退院していく人間にそんな特別待遇してるのさ。


「後、入院期間二週間に伸びたから」


「それこそなんで!?」


「鈴音が雫雫うるさいから、過労のあまり精神を病んでるんじゃないかって診断されたってさ」


「それが平常運転なのに!!」


「それを世間では異常って言うんだけどね」


 苦笑混じりにサラッと言われて、私はうぐぐと黙り込む。

 確かに、雫と丸一日以上会ってないせいで少しばかり発狂しかかってたけど、それを治療する名目で入院を伸ばされるとは。不覚。


「気持ちは分からないでもないけど、落ち着きなよ。本当にやばかったら私がちゃんとフォローするし、今のところは上手くやってるからさ」


「うぅ、頭ではそう分かってるけど……顔が見れないとどうしてもね」


 私だって、蘭花や美森さんのことは信頼してる。きっと雫は大丈夫だと理解してる。


 でも、それをこの目で確かめられないのが辛い。非常に辛い。


「まあ、そう言うだろうと思って、今日はいいもの持ってきたよ」


「いいもの?」


「じゃん、タブレット端末だよ」


 得意気な顔で取り出された、スマホより画面大きめなそれを差し出され、私は少しばかり困惑する。

 スマホ持ってるのに、これいる? それとも、気晴らしに何かアニメでも見ろってこと?


 そう尋ねると、蘭花は「半分正解かな」とニヤケ顔で笑った。


「これをこうして……っと、ほら」


「おお?」


 タブレット上で蘭花がササッと操作すると、何かの動画が再生される。

 そこに映っていた顔を見て、私は目を丸くした。


「えっ、天衣ちゃん!?」


『んー、これでいい、かな? よし。それじゃあ……んんっ、お姉さん、聞こえてますかー? これから、雫ちゃんがいなくて餓死しかかってるお姉さんに、雫ちゃんの現在の様子をお伝えしたいと思いまーす。あ、一応ビデオレターって形なので、お二人の叔父さんとの契約には反しませんよ、ご安心を!』


 一から十まで図星を突かれ、私は勢いよく蘭花の方へ視線を投げる。

 てへっ、といたずらっ子のように舌を出しているところを見るに、既に天衣ちゃんには事情を全部話したんだろう。


 それにしても、餓死なんてしないよ! ただちょっとシズクニウム不足で発狂しかかっただけだよ! 失礼な!


「鈴音、口元から涎垂れてるよ」


「おっといけない」


 久しぶりに雫の様子を見れるとあって、ちょっと興奮しすぎちゃった。まあ、これは生理現象だから仕方ないよね!


『雫ちゃん、戻ったよ』


『ん、おかえり。トイレ分かった?』


『大丈夫だよ』


 なんて思ってたら、ついに雫の姿が画面に映った。

 胸ポケットに入れてるのか、ちょっとアングルは雑だけど、エプロンを着けて台所に立つ可愛らしい妹の姿を前にして、私は卒倒しそうになる。


 ああ、私の天使……やっと見れた……!! 私、もう思い残すことはないや……


「鈴音ー、まだ動画始まったばっかりだよー?」


「はっ、いけない、昇天しかかってた」


 蘭花の言葉で抜けかかっていた魂を飲み込むと、もう一度画面を食い入るように見詰める。

 よく見れば、そこにはマイエンジェルの姿だけじゃなくて、なぜか成瀬さんの姿まであった。エプロンまで着けて。


「……百歩譲って家にいるのはいいとして、なんで成瀬さんが雫と料理してるの?」


「二人のために手伝えることがあったら協力したいって、自分から言い出したんだよ。ほら、委員長ってボコミだから、二人のこと大好きだし」


「はい?」


 いや、今しれっとすっごく重大な情報がカミングアウトされたんだけど?

 えっ、ボコミ? あのド変態が、あの真面目な委員長?

 えぇーーー!?


「いやー、私も流石に驚いたよ」


「う、うん、すごく驚いた……ねえ蘭花」


「うん?」


「もしかして、いつも成瀬さんが私達をガミガミ叱るのって、ひょっとして反撃されたがってたから……!?」


「いや、流石にそれは……ないよね?」


 あの真面目な感じで、実は反逆されて叩き伏せられる日を夢見てたとしたら……ちょ、ちょっと見方が変わりそう。

 うん、これはまた退院してから本人に確かめよう、そうしよう。


 それより、今は雫のことだ。


「……雫、すごく頑張ってるね」


 食材が並べられた台所で、雫は一生懸命料理に挑んでいた。

 天衣ちゃんと協力し、成瀬さんが何やらドジる姿をなじり、苦戦しながらも一つずつ工程をこなしている。

 スマホを立て掛けて、参考のレシピでも見てるのかと思えば、そこに流れていたのはレシピなんかじゃなく、FFOのコメント欄。


 いつも配信を見てくれている、たくさんのプレイヤーだった。


『そうそう、その調子その調子』

『具材切り終わったら、野菜から順番に煮込むんだぞー』

『ボコミ役立たずすぎワロタ』

『賑やかしとしては役に立ってるからセーフ』


『やっかましいですわー!!』


 どうやら、三人の手元をカメラで撮って、配信チャンネルで流してるみたい。それで、みんなからアドバイスを貰いつつやっていると。


 ボコミこと成瀬さんがぎゃあぎゃあと叫ぶのに合わせてコメントが盛り上がり、雫の表情に笑みが浮かぶ。


 ……うん、そうだよね。

 雫だって成長してる。私があれもこれも世話を焼かなくたって、こうやってたくさんの人の力を借りて、ちゃんと自分の力で前に進める。


 それが嬉しくもあり、寂しくもあり……だから、


「よし、決めた!」


「何を?」


「雫が頑張ってるみたいだし、退院までにちょっとしたプレゼントを、ね」


 そう思い立った私は、すぐさまスマホを操作。"ベル"のアカウントにログインし、ある人へとメッセージを飛ばした。


『アーサーさん、例の賭け、私の勝ち分について話があるんですけど』

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