第108話 子供の意地と雫の決意

「叔父さん、急に何言い出すの!?」


 叔父さんの言葉を受けて、お姉ちゃんは怒りの形相で声を上げる。

 殺人鬼だって裸足で逃げ出しそうな迫力で睨む姪の姿を前にして、それでも叔父さんは動じることなく淡々と諭す。


「そう騒ぐな、ここは病院だぞ。第一、急な話でもあるまい、前々から言っていたことだ」


「そうだけど……!」


 三年前、私達の両親が事故死した時、叔父さんは私達の保護者になってくれた。

 同時に、私達姉妹を家に連れ帰ろうとしていたんだけど……それを、私が一度拒絶している。


 両親を失って塞ぎ込んでいた私にとって、あの家と部屋は残された最後の心の要塞。それを捨てて全く新しい場所で暮らすなんて考えられなくて、かなり激しく抵抗した。


 ……あの時のことは、正直今でも思い出したくない。

 あたり構わず暴れる私を抱き締めながら、叔父さんを必死になって説得してくれたお姉ちゃんの存在がなかったら、私はとっくに壊れていた。そんな確信がある。


「雫は私が面倒見る、それで叔父さんも納得したでしょ?」


「確かにな。雫の状態を考えても、あの時はそうするより他なかった。だが、今は違うだろう?」


 ちらりと、叔父さんの眼光が私を射抜く。

 その鋭さに気圧されて、びくりと震える私の体を、お姉ちゃんがそっと抱き寄せた。


「こうして、外に出られるようになったんだ。いい加減、ちゃんと学校に通うべきだ」


「それにしたって、何もあの家から出る必要はどこにも、」


「あるだろう? 現に、鈴音はここ三年の無理が祟ってこの有り様だ」


 ズキリと、私の心に痛みが走る。

 叔父さんの言う通り……お姉ちゃんは、私の心を守るためにずっと無理をし続けて、こうして入院しなきゃいけないほどボロボロになっていた。


 私の、せいで。


「鈴音一人ならまだしも、妹の世話をしながらの生活などやはり無理がある。雫だけでもうちで預かったほうがいい」


「なんでよ、雫を連れてくなら私もついてく!」


「ダメだ、高校の転校など簡単ではない。変なところに転校するくらいなら、このまま卒業した方が将来のためになる。お前一人なら、それほど生活に無理もあるまい」


「私の将来なんてどうでもいいよ! それより、私は雫と一緒にいる!」


「馬鹿者、軽々しくそんなことを言うな!! 第一、お前がそんな風に甘やかし続けるから、雫も自立出来んのだ。知っているぞ、雫がいつも部屋でゲームばかりにかまけていると」


 叔父さんの視線が、再び私に突き刺さる。

 何も反論出来ない私に、叔父さんは言葉を重ねた。


「ゲームなどしていても何も変わらんぞ。ただでさえ学校に通えなかった期間が長いんだ、そんな無駄なことで現実逃避などしていないで、少しは勉強するべきだ」


「っ……」


 あっさり無駄と切り捨てられて、私は唇を噛み締める。

 わかってる。普通の人からすればゲームなんてただの遊びで、大した価値はないんだってことくらい。


 でも……それでも、私は……!


「雫のこと何にも知らない癖に、勝手なこと言わないでよ!!」


 その時、お姉ちゃんが叫ぶのを聞いて、私はハッと顔を上げる。

 どこまでも真っ直ぐな瞳を怒りに燃やしたお姉ちゃんは、一歩も引くことなく叔父さんに食い下がる。


「雫は現実逃避なんてしてない! ボロボロに傷付いた心で、何とか立ち上がって歩いていこうって雫なりに努力してるの! それを否定するのはいくら叔父さんでも許さないよ!!」


「まあまあ、鈴音、落ち着いて落ち着いて……体に障るから」


「源蔵さんも、落ち着いてください」


 ヒートアップする二人の間に、美森さんや蘭花さんが割って入ることで抑えてくれてるけど、一度険悪になった空気は戻らない。


 正直、叔父さんの言い分も分かる。

 私がいつまでもお姉ちゃんに甘えてばかりいたせいで、お姉ちゃんを追い詰めた。

 自分一人じゃ何も出来なくて、いつもお姉ちゃんに守って貰って、お世話して貰って……こんな私がいない方が、お姉ちゃんも幸せなんじゃないかって……ずっと思ってた。


「雫は、連れていかせない……!」


 でも……こんな私を、お姉ちゃんは認めてくれた。

 こんな私を、必要としてくれた。

 ゲームの世界に飛び込んで、色んな障害を全部ぶっとばして、私のところまで手を伸ばしてくれた。


 だから……今度こそ、私ががんばる番だ。


「……お姉ちゃん、いいよ」


「雫!? 何を言って……」


「ねえ、叔父さん」


 お姉ちゃんの言葉を遮って、私は叔父さんと正面から向き合う。

 どこか不機嫌そうにも見える叔父さんの厳つい顔は対峙しているだけで足が震えだしそうになるけれど、それを必死に堪えながら口を開く。


「私は、お姉ちゃんと、一緒にいたい……甘えるばっかりじゃ、なくて……ちゃんと支えあって、これから先も、ずっと、一緒に過ごしたい」


「それが出来ていないから、こうなったんだろう?」


「うん……だから、私……叔父さんと、何よりお姉ちゃんにも、証明するよ。私だって、ちゃんと自立して、一人で生活出来るんだって」


「どうやってだ?」


「お姉ちゃんが退院するまで、家で一人で生活する……美森さんや蘭花さんの手は借りないで、勉強も、家事も、ちゃんとやる。それが出来たら……」


 震える声で、せめて目だけは逸らしてたまるかと、精一杯の虚勢を込めて叔父さんを睨む。少しでも、成長してるんだと示すために。私だってやれるんだと示すために。


 すうっと息を吸い込んで、私は自分の要求を突きつけた。


「今度こそ、私達が姉妹で暮らすことを、ちゃんと認めて、ください……!」


 じっと睨んだまま叫んだ私の声を、叔父さんはしばらく吟味するように押し黙る。

 永遠にも感じる長い数秒間が過ぎ、ようやく開かれた口から、「いいだろう」と低い声が響いた。


「俺も、お前達がちゃんとやっていけるのであれば文句などない。そこまで言うのなら、やってみるといい。ただし、無理だと判断したらすぐに止めるからな」

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